テレビアニメの続きが気になっていま頃ようやっと買って読んだ。 一気読みも相まって圧倒的に圧倒された。凄い凄い。 ラストのアレ、比喩、象徴表現だと思ってたけど違かったんだね。 俺当然しばらく時間置いてアニメ第二期スタートするかと思ってたんだけど、いやこりゃ無理だわ。無理だよ。描画表現もストーリーも。コードかなんか引っかかるって。放送無理だって。そりゃ作る気配ないわ。当然だわ。 バリバラが凄く頑張っていろんなものの敷居下げたけど、それでも無理でしょう。 作者諫山創(いさやまはじめ)は若い人だろうに、どうしてここまで老成、成熟した世界観を獲得するに至ったのか。とても不思議だ。まあ天才は現れる、っちゅうことなのだろう。時代の後押しがあろうとなかろうと。 主人公の保持した直情的な世界観は作品全体にまで及ばない。むしろそれはミスリード、伏線であり、エレンの希望は度を越して複雑な現実に限りなく裏切られていく。 リヴァイのような人物は通常類型に流れがちだが、彼が自分の暴力支配にさして信を置いていないことにまた一段深みがある。 お花畑を否定する俺カッケーという慢心に侵されることもなく諫山の筆致は絶えざる相対化を作品世界に投入する。甘い理想が過酷な現実に破られたかと思えば、絶対に倒せない現実と思われたものがある瞬間にあっけなくその無力を晒す。すべてを決するものは流動する力関係、ゲヴァルトだが、それはその信奉者に微笑むものと保証されているわけではないのだ。 なぜエルヴィンはまるで学者のように物腰が柔らかいのか。それは彼が本当に、兵士の皮を被った学者だからだ。兵団の戦闘力は目指す知識に辿り着く手段であり、人類を守るという大義名分すら彼には究極の所口実であった。 ヨロイ、ねえ。誰もが思うし、思った途端否定するもんねえ。「だってまんまじゃん。似過ぎじゃん」って。それであれだもの。いやー。びっくりした。 あのシークエンスは漫画の歴史に残る素晴らしいテンポ、コマ割りでしょ。「山本、今日ウチ来ねえ? 鍋やっからさあ。母ちゃんキジときのこ送ってくれたんだ」ぐらいの軽い調子で、ねえ。真っ黒になるミカサの目。「やるんだな! いまここで!」。あの怒涛の、急転直下の展開。もう興奮したー。あたまクラクラなった。