apple music の三か月お試しが終わる前にマーラー全部聴けるかな、チャレンジ。兼昔カセットに録音して繰り返し聴いたエアチェックの演奏はどれだ、チャレンジ。 ブルックナーチャレンジに引き続いての第二弾。 いや今回驚くことがふたつあった。ひとつ目。俺はマーラーは三番まで聴いてあとは放棄、と思い込んでいたら、全曲ほぼ聞き覚えがあるという。クラシックに親しむなど、少年のごく限られた時期にしかなかったはずなのでこれはどうにも次第がわからない。いつ聴いたのかまったく思い出せない。 ふたつ目。エアチェックした(つまりラジカセに録音して繰り返し聴いた、自分にとって正解となった演奏)三本。1はメータのロサンゼルス、2はジェームズ・レヴァイン、3はさて誰だっけ? ってな具合の記憶だったのだが、蓋を開けてみれば1はヴァーツラフ・ノイマンのシカゴ、2がメータ&ウィーン、3はアバドのウィーンでした。 たぶん転んだ時とかに脳の記憶素子がちょっとズレたのだろう。 2,3は apple classic にあったからよかったけど1がこれなかったのですごく手こずった。メータのロサンゼルスだと確信していたので「なぜヒットしない?」と首をかしげた。ショルティー、バーンスタイン、シノーポリ。どれを聴いてもコレチガウ(シノーポリって頭おかしいよね)。 途方に暮れたときなんとなく脳裏に浮かんだんだよね。呪文、お経のように。ヴァーツラフノイマン指揮チェコフィルハーモニー管弦楽団、という文言が。 そしたらドンピシャ。いやあ、意外に覚えているもんだ。
「叫ぶ指揮者」の頁でも書いた通りいまに至るまで格別のクラシックファンではない。どころか音楽全般について好みのジャンルも詳しいジャンルもいまだないままだ。むしろ聴けば聴くほどわからなくなってきた。 自分には好きな音楽など実はないのではないか。 「ふむ。聴かせてもらったが……自分には良さがまったくわからん」。「富士に立つ影」で熊木公太郎が発した言葉に自分は衝撃を受けたのだからたぶん自分も本当のところはその口なのだ。音楽に実は感興など抱いていない。好きなふりをしている。そのほんとうのところをただ人前で言う勇気がなくて他のひとと同じように人間のふりをしている。 実はここらへんの感覚とブルックナーに惹かれる感覚は無関係ではない。 少年の自分がたまたまエアチェックしたブルックナーの第九を「なんだこれ?」とはてなマークだらけになりながらそれでもヘビロテで飽かず聴いていたのもいまから振り返ってみると「それ」ゆえなのだと思う。 ベートーヴェン。途中をすっ飛ばしてマーラー。交響曲なるものを駆け抜けて聴いてきた自分からするとこれは明らかに異質な音楽だった。未完成に由来するばかりではない明白な欠落がある。 面白いもので芸術、科学はジャンルを異にしても不思議と大体同じ進化、盛衰を辿る。写実を極め精緻に描かれた泰西名画の極北、そこから急に写実性を放棄、代わりに見る快楽、色の愉悦を獲得した印象派。ブルックナーを印象派に分類するのは明らかに暴論なのだが、しかし明白にビルドゥングスロマンではない。苦悩に打ち勝ち歓喜に至る、そういう物語も因果律もここにはない。マーラーですらベートーヴェンを引きずる古典力学だった。ブルックナーの絢爛な色彩に理由はない。空無から気まぐれに生まれすぐ対消滅する粒子の儚さがある。(この頁途中)