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2001年についていまさらの備忘録

 Youtubeでブラックホールの忘年会を観てたら柳下さん宇多丸さんが「SFは畢竟魔法なんだけど勿論SFのひとはそれを認めたがらない」「遠くに行ったらなんか素敵なことが待ってる、と」話してて、なるほど、2001年なんてのはその典型だなあと思ってそこからつらつらと考えた。 月でいいわけだよね。なんで木星くんだりまで行かすか。まあそれは木星が1つ目の巨人だからなんだけど。オデュッセイアだから。倒しに行くわけだ。 つか受精しに行くわけだ。精子型宇宙船で。宇宙は広大な子宮でありその深奥にでっかい卵子が待っている。 ドーナツステーションまで行かすくだりが冗長で(当初予定のナレーションを取っ払っちまったせいでこの映画は無駄に長く退屈)俺なんかは大っ嫌いなんだけど、いま頃になってようやっと気付いた。棒型宇宙船が丸にバッテンのステーションにゆっくりぶっ刺さる。セックスの話ですよ、と。船内ではご丁寧にスッチーのか細い指が浮遊する万年筆をスーツのスリットに差し込む。何重にも「セックスですよ」「これからセックスが始まります。これはセックスの話なんです」と映像による刷り込みが繰り返される。 丸にバッテンの、と書いたが、この形、神秘主義の図像なんかによくありそうだ。そして実際、これは悪名高いゾディアック殺人事件で犯人が残した「悪魔を復活させる」紋章らしい。 事件と映画の公開時期から見てどっちがどっちを模倣した、影響されたということはない。奇しくも同時期なのだから。これはむしろゾディアックの犯人と監督キューブリックが同じようなものから影響を受け同じような思考に囚われ同じようなモチーフで片や事を起こし片やものを作った、と言えるのではないか。 名作の誉れ高いが俺などは随分懐疑的である。のっけから「人殺しを覚えて覚醒する、次段階に進化する類人猿」の話である。その殺人を教唆したのはどうもそこに屹立する謎の石板らしい。 序盤に加えて本篇でも描かれるのは疑心暗鬼から対立し遂には屠り合うハルとボーマンである。 殺戮を褒め称えるが如く背景に流れるのは、ニーチェの箴言集に想を得たリヒャルトシュトラウスのシンフォニーだ。曰く「神は死んだ」と。 なぜ神の死を称えるか? 悪魔を地上に復活させる降霊の儀式、それを描いた映画だからだ。SFにして魔術。SFだから魔法。