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墓場鬼太郎

何年か前深夜にやってた墓場鬼太郎。 貸本漫画時代の鬼太郎をそのままの世界観で、絵柄で、アニメーション化しようという野心的な試みなのに、声優の選択で全てが台無しに。 テレビシリーズの鬼太郎が最初期から一貫して「人間を妖怪から守る正義のヒーロー」などという、原作と真っ向から対立するアニメ化であったからそれを本来の形に蘇生させようという斬新な試みと俺は理解したのだが、そんな作品を「初期テレビシリーズの黄金キャストでお送りします」と誇らしげに語られても甚だ残念なばかりであった。 そうなってしまう経緯もまあ理解できなくはない。貸本まんが、懐かしいでしょ? 野沢雅子、田の中勇の鬼太郎、懐かしいでしょ? ほら、懐かしいと懐かしいが合体、あの駄菓子屋の、昭和の匂いが蘇ってくるでしょ? 。 かくしてオルウェイズな懐かしレトロアニメの完成だ。バカ女性誌などで「これがオトナの鬼太郎」とか提灯記事2、3本打てばそれでそこそこ数字も稼げるってわけだ。 でもダメじゃん、それじゃ。意味ないじゃん。 本当の鬼太郎を見せる、という目的があったのであれば、原作否定の旧テレビキャストの使用などあり得るはずがない。作り手、プロデューサーに定見がないのだろう。 実のところ俺はテレビシリーズはもちろん水木の原作もそれほど買ってるわけじゃない。タケウチカンギョウ版鬼太郎のほうが面白そうだし、それが独立プロの手で映像化されたりしたほうが面白いものができるような気がする。CG満載でも原作のアクの強さが表現できれば奇天烈な作品になるだろう。

Luxo Jr.

つまんねーなー、が正直な感想。逆にこれを「かわいい」とか「面白い」とか思える感性が不思議。  これはこれでまた「副音声」作品な感じ。セリフゼロだけど挙措がくどくて感情、発言の動きが全部見えてくる。押し付けがましく。  悲しいときに「悲しい」。うれしい時に「うれしい」。しまいにゃ踊りだす。バカにしてんのか? とモニターごとなぎ倒したくなる俺のほうが異常?
まどかの第1話を観た。 デジタル技術の援用もあって作画は超絶的に進歩しているのだろう。しかし。びっくりすると「びっくりした」。驚くと「驚いた」。この作品に限らず、そしてアニメーションに限らず、映像作品がおしなべて「副音声」化しているのはどういうことなのか。音声切らないととてもじゃないがばかばかしくて観ていられなかった。 映像の追求が作劇を浅薄化しているのだろうか。昨今。
鮎川 僕なんかは戦争の時もかなり大人になっていたし、それから戦後にもいろいろなことをやってきたプロセスでもって、ある程度、自分の戦争体験にケリをつけちゃっている。つまり何を取り何を捨てるかというふうに、あるいはこういう体験をするとこういう考えを持ち易いけれど、それは駄目だとかいうふうに、だからいつまでも戦争の原体験なんかに固執する気は全然ない。そういうことは愚かだと思うし、そんなことを言ってたら一生何かに縛られているってことになっちゃうしね。 〈戦争〉と〈革命〉が終わった時代へ 「現代詩手帖」1985年12月号