めちゃくちゃ面白かった。いままで読んだ本の中でいちばん面白いんじゃないか。 面白い映画が5、6本この一冊に詰まってる感じがある。それで二千円。コスパ良過ぎだよ。そういう褒め方するあれじゃないけど。 なんといっても史強、シーチアンだよね。 知の陥穽を平然と突き破るヴァンダリズム。そしてそれはこの作品のテーマでもある。結論でもある。 冒頭で短く語られるだけにしては妙に引っかかりを、心に影を落とす白沐霖、パイムーリンの挿話だがそれも当然で、この「良心的知識人ではあるが結局肝心なところで頼りにならない弱い人間」は作品のテーマそのものだったと後でわかる。物語はフラクタル構造であり(作中バッハの名はわざと語られている)、小さな挿話は全体の構成と同型である。そして勿論白沐霖をそのまま裏返したところに出現するのが史強そのひとなのである。 同型と等方性原理。作品の構成において、作者の思考において、その二つは明確に意識されているように思う。 ここにあるならそれは向こうにもある。ここにないならそれは向こうにもない。 地上が汚穢に満ちているなら天界もまた汚穢と無縁であるはずがない。 斉花屯に親切な人々がいたのなら、4光年先の観測衛星に監視員1379号が必ずいる。「返信するな!」と衷心から叫んでくれる、思いやり深い心のやさしいひとが。 知識階級の人間なら、ワンミャオが遭遇したような事件に巻き込まれ、未知なるものと遭遇した場合、表面的には冷静さを装ったとしても、実際にはどうしようもない恐怖に襲われるだろう。それに対して、史強の場合、もしそういうものに直面したとしても、怖がりさえしない。それこそが力だ。無知な者は恐れを知らないということではけっしてない。 ……俗世間に溶け込んで生活する史強のような庶民の精神を、未知への恐怖が押しつぶそうとしても、ワンミャオやヤンドンの場合と同じようにはうまくいかない。彼ら庶民は、未知なるものに対抗するたくましい生命力を有している。その力は、知識ではけっして得られない。 全433頁ある物語のまだ序盤95頁で、実はもう作品のテーマも帰結も、全てが語られてしまっている。これ、三体皇帝の傲慢と同型なんだよね。作者の執筆態度が。「早々に全部種明かししてしまっても、我が書物の面白さは最終頁まで一片も損なわれることはない!」