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3月, 2020の投稿を表示しています
お米がなければ、お弁当とサトウのごはんで済ませればいいじゃない。
絶メシロード第9話「ロードパーク女の浦」。山本耕史の好演。やっと見れるもんなったな。演技もナレーションも段違い。
生姜摺って生姜焼き。
「スラムドッグ$ミリオネア」の録画をちびちび観てよおやっと観終わった。 実話? うそォ。 まあ全部実話だとしても、映画としての出来はあんまよくないな。たとえばこれ土ワイに納品したらテレ朝は受け取り拒否すると思う。テレビドラマの演出水準にも達していないから。ちょこちょこいろんなとこが変で下手。だから続けて10分以上観るのが難儀だった。 警察あんなめちゃくちゃして不問で終わるてそんな馬鹿な。インドそんなめちゃくちゃなの?
セブンの赤魚煮付けレトルト二百円。うん、ふつーに煮魚。ふつーにうまい。
このひとおかしいよね。 三食全部肉の巨大な塊をいちいち大仰に料理。やたら糖質の語を発するんだけど、どこで吹き込まれたんだろ。肉だけなら絶対太らない、って。こんだけ馬鹿食いしてりゃ全部自分の肉なるに決まってんじゃん。肉だし。 動画の末尾で自分で言ってっけど、「ご飯食えばすぐ満腹になんだけどなあ」ってだからご飯食えばいいじゃん、ふつーに。「難しい問題だよねぇ」って、難しくないから。 ただでさえひとより頭使う仕事してんだから、脳が膨大なエネルギー、糖分要求してんの当たり前なんだよね。なのに糖質糖質糖質糖質言ってその摂取を全力で避けてる。そりゃ腹減るしイラつくしとうとう真夜中ラーメン牛丼食いに行っちゃうってそりゃ。 優秀なんになんか思い込んじゃうひとなんだよね。あたら有為の人が「ガンは治さなくていい!」みたいのにひっかかって治るガンも治さずに死んじゃうけど、このひともその口だねえ。もったいない。 料理もやたら動作がおかしいというか。これもなんかいろんな思い込みがあんだろうね。ともかく全部ふつーにすればいいのに。あえて変なことしてるんで生活全部が歪んでる。 まあ長生きはしないんだろうなあ。もったいないねえ。
セブンのサバ味噌レトルト。ふつーにうまい。
400円。まあまあじゃないすか。

山崎豊子「沈まぬ太陽」

作中、転向した元東大共産党細胞幹部の奥さんが左翼劇、新劇好きで、という話が出てくるが、山崎さんの文法にはまさにその新劇臭さがあって、そして、それが実に山崎節の良さを構築してる重要要素なのだと思う。けして弱点になっていないのだ。 わたしが山崎豊子の作品に触れるのはこれが二回目。最初のはテレビドラマ「大地の子」。日中合作だから日本撮影演出パート、中国パートとあるわけだが、これ、中国側の失礼ながら言ってしまえばやや古臭い、稚拙な演出パートの部分がむしろ圧倒的に面白いのである。で、大地の子の小説原作、そして沈まぬ太陽と読み進んでいくと、まさにこのやや古臭い、善悪二元論的、勧善懲悪的、舞台劇的、すべてを単純に構図化して観客にわかりやすくした演出こそが山崎豊子の元々の資質であって、ドラマ化に際しては中国のやや遅れたテクニックがむしろずっぱまり、ドンピシャに嵌ったのだと思う。 山崎豊子の来歴をわたしはまだ知らないが、おそらくはまさにその左翼新劇運動の中で舞台劇の脚本作法を徹底的に身に着けてきたひと、という予想を立てているのだが果たしてどうだろうか。 アカのレッテルを貼られ島流しに遭う主人公。思えば大地の子もそういう話であった。作者もまたひとの人生を描きながら問わず語りにおのれを語っているのではないか。 我らが主人公恩地元は眉目秀麗頭脳明晰公正誠実温厚篤実で勿論イイモン。これに対するに裏切り者行天四郎、堂本なんたらは悪党。物語りは単純明快な善悪二元論で進行していく。 「現実はそんな単純な、善と悪に分けられるもんじゃない。物事を単純化し過ぎだ」。正論だが、この正論が取りこぼすものは存外大きい。「善も悪もあるか。何が正義かなんて誰にもわかりはしない」と坊主の如く悟り澄ましてしまえば、あとは「目の前の不正を我関せずと看過していく日本型、量産型おとなRGO-79 JIMIN」の誕生である。 ましてこれは純文学ならぬ物語りである。このひとは悪っぽいが実は善、みたいなことは当然あるとしてももうどっちがどっちかわかんない、みんな悪だしみんないいひと、みたいになったら読んでる側はもうわけがわからなくなる。 後半勿論おやっ? と思わされる場面は出てくる。中曽根康弘と瀬島龍三までが恩地元のような人格者、イイモンの側として明らかに描写され登場してくる。 これについてはひっかけ、ミスリ
録ってあった「映像研には手を出すな!」の第一話をようやっと観た。 んー。 湯浅さんってさあ。「しんちゃん」縛りがないとなんか、全部これになっちゃうのな。 「夜は短し」に。「四畳半」に。 衒学と大正浪漫しゃべりに。 もんのすごく鼻につくな。第一話っちゅうことも手伝って「話を開始させるための無理な設定」にまた鼻白んでしまったし。 「簡易彩色の設定画を動かす」という画期的な試みには胸躍ったけど。勿論コナン愛にも共感はするけど。でも、なあ……って感じ。 絵で、動画で世界を支配できるひとなのに、なぜわずかの空間も許せないほど言葉で埋め尽くす隙間恐怖症のような脚本を作りたがるのだろう。せっかくの天才を得ながら、言語、言語操作知性に対して抜き難いコンプレックスでもあるのではないか。湯浅氏に対しそんな疑念を抑えることができない。 押井臭さというものが歴然とあるが、湯浅さんも湯浅臭さとしか言いようのない嫌なもんが定着してしまっていてたいへん残念である。