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山崎豊子「沈まぬ太陽」

作中、転向した元東大共産党細胞幹部の奥さんが左翼劇、新劇好きで、という話が出てくるが、山崎さんの文法にはまさにその新劇臭さがあって、そして、それが実に山崎節の良さを構築してる重要要素なのだと思う。けして弱点になっていないのだ。
わたしが山崎豊子の作品に触れるのはこれが二回目。最初のはテレビドラマ「大地の子」。日中合作だから日本撮影演出パート、中国パートとあるわけだが、これ、中国側の失礼ながら言ってしまえばやや古臭い、稚拙な演出パートの部分がむしろ圧倒的に面白いのである。で、大地の子の小説原作、そして沈まぬ太陽と読み進んでいくと、まさにこのやや古臭い、善悪二元論的、勧善懲悪的、舞台劇的、すべてを単純に構図化して観客にわかりやすくした演出こそが山崎豊子の元々の資質であって、ドラマ化に際しては中国のやや遅れたテクニックがむしろずっぱまり、ドンピシャに嵌ったのだと思う。
山崎豊子の来歴をわたしはまだ知らないが、おそらくはまさにその左翼新劇運動の中で舞台劇の脚本作法を徹底的に身に着けてきたひと、という予想を立てているのだが果たしてどうだろうか。
アカのレッテルを貼られ島流しに遭う主人公。思えば大地の子もそういう話であった。作者もまたひとの人生を描きながら問わず語りにおのれを語っているのではないか。

我らが主人公恩地元は眉目秀麗頭脳明晰公正誠実温厚篤実で勿論イイモン。これに対するに裏切り者行天四郎、堂本なんたらは悪党。物語りは単純明快な善悪二元論で進行していく。
「現実はそんな単純な、善と悪に分けられるもんじゃない。物事を単純化し過ぎだ」。正論だが、この正論が取りこぼすものは存外大きい。「善も悪もあるか。何が正義かなんて誰にもわかりはしない」と坊主の如く悟り澄ましてしまえば、あとは「目の前の不正を我関せずと看過していく日本型、量産型おとなRGO-79 JIMIN」の誕生である。
ましてこれは純文学ならぬ物語りである。このひとは悪っぽいが実は善、みたいなことは当然あるとしてももうどっちがどっちかわかんない、みんな悪だしみんないいひと、みたいになったら読んでる側はもうわけがわからなくなる。

後半勿論おやっ? と思わされる場面は出てくる。中曽根康弘と瀬島龍三までが恩地元のような人格者、イイモンの側として明らかに描写され登場してくる。
これについてはひっかけ、ミスリードということでは勿論あるのだが、それ以上に週刊新潮連載(そうだよね? たぶん)ということが大きいのだろうと思う。登場時点でこのふたりを恩地とは逆側、悪の側として描いてしまったとしたら、たぶん連載は終わる。そういう種類のクリティカルな話題に物語りが突入しているのであるから、「連載を終了させないための政治的配慮」が執筆に要求されたことは想像に難くない。そしてその決断は勿論妥協ではなくより大きな勝利の為、一時的な撤退なのである。
ふたりは勿論作品終盤でその卑劣、狡猾、残忍な正体を余すところなく露わにするのだから。

大団円を望んだものの現実は厳しい。過酷な運命がまたも恩地元を襲う。しかしこれは決して悲劇の終幕ではない。針金東尋坊さんが身を捨てて放った矢は正鵠に的を貫いた。覇道を歩み事あるごとに恩地を苛んだ悪は倒れた。二年後の再会を待つ仲間もいる。沈まぬ太陽は恩地元を力強く照らしているのだ。

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