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9月, 2021の投稿を表示しています
 
 

「獄門島」featuring 長谷川博己

BSプレミアムの録画(2016年11月19日放送)をいま頃観た。金田一耕助役に長谷川博己(ひろき)。 なんたら警部役を原作通り中央の有能なエリート官吏として描いている、その一事をもってしても本気で作っていることがわかる(その対極が市川崑作品。横溝正史の原作を徹底的に大衆娯楽化、換骨奪胎している。つまり端的に、ひどい)。 エンディングの哄笑。「バーカ、バーカバーカバーカバーーーーーカ!」。この鬼気迫る演技、変な顔、は「麒麟が来る」の足蹴の場面につながっている。天才、長谷川博己。 横溝正史の映像化作品をすべて網羅的に観ているわけではないが、おそらく第一級の出来であることは間違いない。そう思える読後感もとい視聴体験であった。 その後のシリーズ化はされていないのだろうか? このキャスティング、演出にはその価値が確実にある。演出、吉田照幸。 ラスト、島を離れる船にあの青年も同乗している。兵士時代、男娼まがいの時期、そして「お払い箱」になったいま。三者はまるで別人のようである。自己同一性、アイデンティティーなるものは境遇、外部が彼に強制するものなのだと雄弁に語るシーケンスとなっている。 舞台が敗戦直後であり、金田一耕助が復員兵であり、彼は瀬戸内周辺のどの集落どの孤島においても最終的に犯人を見つけこそすれ惨劇の進行は現場にいながら毎回ひとつも止められない、そのことの意味を考えてみる。 金田一耕助はインテリの無力を象徴しているのではないか。 近づく総動員体制を、戦争の非を、インテリは誰よりも早くに気づき警鐘を鳴らすが国家はもちろん大衆はいっかな耳を傾けない。むしろ大衆が率先して国家を焚き付けさえする。 金田一が戦場で見たもの、あるいは自身が関与することを強いられたものは、日本の農村僻村で起こる猟奇殺人とパラレルである。日本軍の蛮行残虐の淵源はただ軍の獣性に依るばかりではないとしたら。 なにひとつ止められない己れの無力をかこちながら、しかし眼前の事象を見ることをやめない、やめられないインテリ。それは無力であると同時にインテリの誠実でもある。金田一耕助、とは文学者、作家、の謂いなのかもしれない。

シンエヴァ 四周目

 最初っから違和感はあったんだけど、「不可逆的な」「相補性」がヤだなあ。 不可逆的な。そういう言い方の時に使わんでしょ。 相補性。「助け合い」って言いなよ。 文芸担当の人に頑張って欲しかったところである。が。 これが厨ニということなんでしょう。しょうがないね、エヴァだから。 あの脊髄ってなんすか。初号機の? 端的によくわかんねえんすけど。 まあ鳥みてえな艦(ふね)だから翼もあるし背骨もあるよ言われれば「そうすかねー」言うしかないけど。 それを槍に変えるという相談の会話はもはや。そんな簡単なもんなの? って思うけど本人たち「できる! わたし達の思いと更なる奇跡があれば!」とか言ってるしそんでできちゃったんだから思いも奇跡もあったんでしょう。観てるもんに一切疑問を差し挟ませない強引さはいっそ心地良い。 カヲルが生を繰り返してるのはまあいいとして、月の棺桶は別にあんな要らないでしょ。別の平行宇宙、平行世界なんでしょ? だったらひとつでいいじゃん。とか思うけど。違いますか!
 

「式日」

  シンエヴァプライム公開に合わせてアマゾンプライムは庵野秀明特集と言ってもいいくらいに見放題のラインナップを揃えた。かねてから気になっていた「式日」をこの機会に観ることにした。 うーん。 エヴァからSFメカ戦闘要素を抜くとどうなるか? 式日になる。 そしてそれはどうなるか? というと、壮絶につまらないのであった。 SFメカ戦闘以外のエヴァ要素が全部揃っているのに。 宇部。鉄道。儀式。赤い傘(ATフィールドの機能を持つ)。赤い海。家族の相克。メンヘラ女。飛び降り自殺確認行動(これはエヴァというより庵野)。パイプ椅子。カウンセリング。多少のエロ。 面白くなりそうでしょ? 要素だけ見たら面白くなりそうでしょ? エヴァとおんなじなんだから。でもそれがまったく面白くない。 なんでなんだろうね? 二時間七分は長いよ。この内容で。前半一時間はいらないよね。ばっさり切っても差し支えないんじゃないか? 延々「あしたなんの日か知ってる?」繰り返すだけだからね。 お父さん? らしきひととか自転車眼帯男(これも綾波要素っちゃあ要素)とかお母さんとか、ひとが登場すると退屈極まりない学祭アートフィルムが急に生き生きと動き出すよね。アニメーション効果もあいまって(監督の本領)。俗なドラマっていかに大切かを教えてくれる効果はあった。二時間アートだけはキツイって(マリエンバートもつまらんかったよねー)。 製作に疲れて鬱になったアニメ監督が故郷の宇部にふらり戻ったらこころの壊れた女と線路で出会い……って、これ、庵野監督の私小説、かつシンエヴァとプロットまったく同じなのよね。だからシンエヴァって式日の復讐戦とも言える。まったく同じ内容でもひと手間かけると大化けするわけだ。映画の不思議である。 プロフェッショナル仕事の流儀で庵野監督、宇部新川駅で同級生に邂逅すんだけどこれと完全に同じシーケンスが式日にまんま出てくる。予言の書となってる不気味さはある。監督が奇跡をやたら口にするのもむべなる哉である(この奇遇がシンエヴァのエンディングをもたらしたのかもしれない)。 おれ藤谷文子大好きだからかねてから観たい映画ではあったんだけど、キチガイ役とはかなりかわいそうであった。顔にもいろいろ塗りたくられちゃって。お父さん(こわいひととして有名。午後ローでよく見る。近接戦闘が得意)は多少ムッと来たに違いない。……観