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「獄門島」featuring 長谷川博己

BSプレミアムの録画(2016年11月19日放送)をいま頃観た。金田一耕助役に長谷川博己(ひろき)。

なんたら警部役を原作通り中央の有能なエリート官吏として描いている、その一事をもってしても本気で作っていることがわかる(その対極が市川崑作品。横溝正史の原作を徹底的に大衆娯楽化、換骨奪胎している。つまり端的に、ひどい)。

エンディングの哄笑。「バーカ、バーカバーカバーカバーーーーーカ!」。この鬼気迫る演技、変な顔、は「麒麟が来る」の足蹴の場面につながっている。天才、長谷川博己。

横溝正史の映像化作品をすべて網羅的に観ているわけではないが、おそらく第一級の出来であることは間違いない。そう思える読後感もとい視聴体験であった。

その後のシリーズ化はされていないのだろうか? このキャスティング、演出にはその価値が確実にある。演出、吉田照幸。

ラスト、島を離れる船にあの青年も同乗している。兵士時代、男娼まがいの時期、そして「お払い箱」になったいま。三者はまるで別人のようである。自己同一性、アイデンティティーなるものは境遇、外部が彼に強制するものなのだと雄弁に語るシーケンスとなっている。


舞台が敗戦直後であり、金田一耕助が復員兵であり、彼は瀬戸内周辺のどの集落どの孤島においても最終的に犯人を見つけこそすれ惨劇の進行は現場にいながら毎回ひとつも止められない、そのことの意味を考えてみる。

金田一耕助はインテリの無力を象徴しているのではないか。

近づく総動員体制を、戦争の非を、インテリは誰よりも早くに気づき警鐘を鳴らすが国家はもちろん大衆はいっかな耳を傾けない。むしろ大衆が率先して国家を焚き付けさえする。

金田一が戦場で見たもの、あるいは自身が関与することを強いられたものは、日本の農村僻村で起こる猟奇殺人とパラレルである。日本軍の蛮行残虐の淵源はただ軍の獣性に依るばかりではないとしたら。

なにひとつ止められない己れの無力をかこちながら、しかし眼前の事象を見ることをやめない、やめられないインテリ。それは無力であると同時にインテリの誠実でもある。金田一耕助、とは文学者、作家、の謂いなのかもしれない。

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