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4月, 2022の投稿を表示しています

マトリックスレザレクションズ The Matrix Resurrections

  まいっちゃったねどうも。 今回アンディー(現リリー)は関わってないの? そのせいもあるんじゃないの? やっぱマトリックスの魅力・成功は哲学・体制批判と脳みそ空っぽアクションの絶妙なバランスにあったわけだから。なにか車輪の片方を欠いている気がする。 ラスト空中で止まっててヘリ三機の攻囲を受けててそれで「プラグ抜きました戻りました」じゃ意味わかんねえよ。それまでのチェイスの意味は? 紫髪姐ちゃんの顔の濃いこと。アジア人蔑視か! ってそうじゃない。キアヌの魅力はそれにあるんだし俺もアジア人だし。なんかハチ公前とかコンビニとかで適当に拾ってきた感のあるひとでなあ。ありがたみがまるでない。ばかりか、濃さの圧で画面登場するたび顔をそむけたくなる。 主役級の顔じゃないよ、どう見ても。 キャリーもなあ。三部作後半で既に加齢してたのに、今回の起用はあり得ないよ。顔立ち完全におばあさんじゃないか。彼女にとっても酷だよこれは。 撮影中製作中からスタッフ役者みんな思ってたんじゃないかなあ。「つまんねえよ。これ絶対当たんねえよ」。なんかそんな気がする。 脚本段階で撤退なり断念なりできただろうに。なんでワーナーはこれにゴーサインを出してしまったのだろう? マトリックスの世界観を引用した長大(で退屈)な映像詩。社会批評としてもアクション映画としてもまったく現在と切り結んでいない感じがした。 しかしこれを監督ラナ(旧ラリー)の、手術を経たトランスジェンダーの苦しみの記録としてみるとなるほど一篇の私小説感はあるかなという気もする。 でもいずれにせよもっかい観る気にはまったくならないなあ。いっぺんでおなかいっぱい。ていうか満腹感ばかりで満足感はない。別のもん食えばよかった、っていう。 Vフォーヴェンデッタと同じつまらなさだったね。理が先に立って話がなおざりで。ウォシャウスキー兄弟(現姉妹)、才人なのにこういうつまずきをする癖がある。 最後の最後のキャトリックスがまた蛇足で。クスリとも笑えなくて。どうしちゃったんだ、ラナ。
 

赤ちゃん本部長「赤ちゃん本部長と優しさの裏側!」

NHK総合でなんかの隙間とか深夜とかにちょろっとどかっと不定期にやってる赤ちゃん本部長。毎回マジョリティーの蒙を啓く素晴らしい展開なのだがとりわけ今回は秀逸。そのスタンス自体の陥穽を批判的に見つめるメタ的視座の必要、を説く力作なのだ。 「紙とペンでよりよい社会を作るため」というセリフで明らかなように社内報担当岸谷芽衣は進歩的ジャーナリズムを象徴する人物。その彼女を「別名 善意の悪」と呼ぶほど本部長は彼女に手を焼いている。 根掘り葉掘り在日コリアン三世としての境遇を訊き出される新入社員の一ノ瀬君。「え! 社内報には載せないで下さい」「なんでですか? 知ってもらういい機会だと」 「もうやめろ岸谷! 理解されたいわけじゃないんだ」。制止する本部長。しかし岸谷には馬耳東風。「あー今日もええ仕事したでー。あ、健康診断の結果届いてる」 マイノリティーに、被害者に、当事者になることでしか理解できないもの。「あなた自身が声を上げていかないと世の中よくならないのよ!」と取材対象者にだけアウティングを強要し生活の資とエーコトシタ感を同時に得る鈍感な者たち。たった五分の物語に「味方然としてすり寄ってくるジャーナリスト、社会活動家たちにマイノリティーが味あわされてきた苛立ち、苦悩、困惑、怒り、絶望」が見事に凝縮して描かれている。 差別の苦しみは差別主義者だけがもたらすものではない。出色の名作。