まいっちゃったねどうも。
今回アンディー(現リリー)は関わってないの? そのせいもあるんじゃないの? やっぱマトリックスの魅力・成功は哲学・体制批判と脳みそ空っぽアクションの絶妙なバランスにあったわけだから。なにか車輪の片方を欠いている気がする。
ラスト空中で止まっててヘリ三機の攻囲を受けててそれで「プラグ抜きました戻りました」じゃ意味わかんねえよ。それまでのチェイスの意味は?
紫髪姐ちゃんの顔の濃いこと。アジア人蔑視か! ってそうじゃない。キアヌの魅力はそれにあるんだし俺もアジア人だし。なんかハチ公前とかコンビニとかで適当に拾ってきた感のあるひとでなあ。ありがたみがまるでない。ばかりか、濃さの圧で画面登場するたび顔をそむけたくなる。
主役級の顔じゃないよ、どう見ても。
キャリーもなあ。三部作後半で既に加齢してたのに、今回の起用はあり得ないよ。顔立ち完全におばあさんじゃないか。彼女にとっても酷だよこれは。
撮影中製作中からスタッフ役者みんな思ってたんじゃないかなあ。「つまんねえよ。これ絶対当たんねえよ」。なんかそんな気がする。
脚本段階で撤退なり断念なりできただろうに。なんでワーナーはこれにゴーサインを出してしまったのだろう?
マトリックスの世界観を引用した長大(で退屈)な映像詩。社会批評としてもアクション映画としてもまったく現在と切り結んでいない感じがした。
しかしこれを監督ラナ(旧ラリー)の、手術を経たトランスジェンダーの苦しみの記録としてみるとなるほど一篇の私小説感はあるかなという気もする。
でもいずれにせよもっかい観る気にはまったくならないなあ。いっぺんでおなかいっぱい。ていうか満腹感ばかりで満足感はない。別のもん食えばよかった、っていう。
Vフォーヴェンデッタと同じつまらなさだったね。理が先に立って話がなおざりで。ウォシャウスキー兄弟(現姉妹)、才人なのにこういうつまずきをする癖がある。
最後の最後のキャトリックスがまた蛇足で。クスリとも笑えなくて。どうしちゃったんだ、ラナ。
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