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「秋刀魚の味」1962.

 NHKBSの録画をいま頃観た。というか、小津初完走(以前別の作品を最初の十分位で脱落している)。 つまらん! 観終わるのに二ヶ月くらいかかった。まあつまらん! 話と文法が退屈なのに加えて決定的なのはあの腑抜けた劇伴である。「秋刀魚の味メインテーマ」と言っていいだろうあの旋律。ニュースフィルム「未来がここに 多摩ニュータウン」の劇伴としてそのまま通用しそうな没個性的で当たり障りのない、ドラマチックの語と真反対の楽曲。 その旋律がなんとあの、ひょうたんの家で彼女が泣くシーンにまで明るく流れている(ここはストーリー上重要な意味を持つシーンであるはずだ)。楽曲の使用におよそ「演出」が感じられない。音がないと寂しいから、くらいの理由で、エレベーターミュージックと等価値にそれが存在している。 これはどういうことなのか。あとで判明するのだがそれはひとまず措く。 いま記した彼女が泣くところ。これがまたよくわからない。ストーリーの理屈としてはわかる。しかしひょうたんは法外に泥酔して帰宅したわけでもない。酔漢としては比較的扱いやすい部類としておとなしく帰ってきた。巨大な恥辱としてさめざめと泣くほどではない。 そしてメガネが「ああなっちゃあおしまいだ。おい、お前の娘もああなるぜ」と言うのもわからない。俺からすれば彼女らを「おしまい」にするのはメガネ、お前の、お前らのそういう「常識」だろうとしか思えない。 嫁がぬことのなにが悪い。 父親のせいで彼女がそうなった。それこそ彼女の自主性、自律性に対する侮辱であろう。 ここでわからぬのがつまり小津の意思である。 俺は小津映画を完走したのはきょうが初めてだ。だから小津の作家性、思想、信条、主張がさっぱりわからない。 このシーンでつまり小津は何を言いたいのか? がいちいち計りかねるのである。 笠智衆演ずる主人公はおそらくそこそこ高学歴で(だから戦時も士官であった)いまの職業も社会のアパークラスと言っていいはずの身分、収入に見える。高度経済成長の原動力となった石油、それを精製する会社の現業ならぬ事務管理部門で秘書付き執務室付きの上級職に就いている(石油はアメリカとの開戦事由となった戦略物資である。この職業設定はたぶん偶然ではない)。 彼はどこか達観しており、誰になにを言われても「そうかね」で受け流す。かといって人物かというと、岩下志麻演ずる長...
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「FLEE」Flugt, 2021.

 教育テレビの録画をいま頃になって観終わった。 つらい話だし、正直映画としては退屈である。だから十分ずつくらいたまにちびちび観ていた(飽きるのだ)。 しかし終盤のアレにはやられた! 「あーあ、兄ちゃん、カネ持たせちゃって。女買ってスッキリしてこい! 童貞捨ててこい! って。兄ちゃんも男だからわかる! ってか? なんにもわかってない。駄目だなあ昭和だなあ」と思ってしまった次の瞬間。 いや感動しました。山場です。この映画はこの瞬間のためにあった。最後まで観てほんとによかった。 アミンの幸福感がじかに伝わってきた。どれだけ嬉しかったか。そういう楽しい場所にいる喜びと、兄に全面的に受容してもらえた、十全に理解してもらえた喜びと。
「参政党、24ヶ月で消えてなくなります。今回の参議院選挙で占めた議席、来年の臨時国会ではなくなってます。自民党会派に合流します。 多分俺日本でいちばん右翼団体見てきたと思うけど、必ずそうなります。でなにで揉めるか言うたらカネで揉めます。 来年の臨時国会の頃には参議院の会派の票がなくなってます。議席がなくなってます。 戦後の右翼団体で、コレ(カネ)と、コレ(おめこ)で分裂しなかったのは日本会議だけ。日本会議ていうか日本青年協議会以外のすべての右翼団体はコレ(カネ)かコレ(おめこ)で分裂してます。もっぱらコレ(おめこ)なんですけどね。 まあ見ててみ。ほってても大丈夫」 「少なくとも歴史認識は、日本史の教科書の 山川準拠の偏差値70レベルにあんのが石破茂です。偏差値30の人間が50年談話を後退したら偏差値70の人間が50年談話に戻すのが義務でしょうがよ。 そうでしょ? 村山談話でようやく、社会党が日の丸と自衛隊を認める代わりにあの戦争が侵略であったこと、あの戦争が植民地支配の果てにあったことを日本の政府は50年かけて認めたんです。その20年後に偏差値30の安倍晋三がそれを後退させたんです。それは自民党政権のせいです。だったら自民党がちゃんと責任取って、50年談話のレベルに日本の戦争の総括を戻さなきゃ。 それができるのは、ええか悪いかは別として、石破茂しかおらんのです。 70年談話は間違いだったの! 植民地支配と侵略行為に対する真摯な反省と謝罪がなかった70年談話は間違いだったんだから、80年談話で50年談話に戻さなきゃだめなの。 それを、自民党の総裁は、我が国の歴史に責任を持つ保守政党として、やる責務があるはずですし、そして、石破茂という個人は、それをやれる能力があるはずです。林芳正と、石破茂と、村上誠一郎が並んでて、それができひんかったら、古き良き自民党そのものが崩れるんです。 我々はけして自民党の政権の永続を求めるものでも、政権交代をやめようというものでもないが、しかし80年談話だけは、石破茂にしか書けないはず! それが自民党の責任の取り方であり、それが安倍晋三という悪魔を葬り去る、唯一の方法であるはずです。 自民党に責任を取らせるためにも、80年談話は、石破茂によって書かれるべきです。 そして80年談話を、村山談話のレベルに引き戻すという仕事を花道に...

「ビーキーパー」The Beekeeper, 2024.

 アマプラでいま頃観た。面白過ぎる! え、なに、そいつ許しちゃうの? だめだよ。いくら小物だからって甘いなあ。あ、また見逃した。とこちらのフラストレーションを高めておいて「そう急くな」と。「はいはい、動かないでー。縛っちゃうよー。どんどん縛っちゃうよー」キコキコキコ。縛っちゃうおじさんの情け容赦ない仕置きに俺達は拍手喝采だよ! この絶妙な焦らし(俺らを焦らしてたわけじゃなくて泳がしてただけ。ただ、この時点で先様の電番、名前見れば追跡完了、映画は20分で終わるんだがそこはほら。ね)。 途中で出てくる「現職」がまあ、完全に「怪人・ハチ女」。「ケケケケケケケケ、死ね、みんな死ね!」。ここまでケレン味たっぷりとはいえリアリティーも保っていた演出なだけに、その衝撃、笑撃ったらなかった。俺は自室で観ていたからもちろん声出して大爆笑だよ。突然特撮ヒーロー物に突入するのだ(ラストにも黄色怪人義足男爵が出てくる。このひと、撃たれても死なない)。そしてこのハチ女、登場から二分経たずハチミツの瓶を頭に受けてそのまま燃える。この笑撃! 「もういいじゃないか。なんのために戦う?」「正義のためだ」。堂々と語られる主人公のモチーフ、作品のテーマ。これだよ。俺達の観たかった「悪と戦う男の物語」(©浦沢直樹)だよ! 円盤の発売が待ち遠しい。2025年の後半、はおろか、俺の余生はこればっか繰り返し観ることで終わるだろう。わが生涯に一片の悔いなし!

「ルックバック」2024.

 アマプラで観た。とてもよかった(原作は未読)。 自然、農村風景、握り合った手が「不穏」しか予感させない。その張り詰めた、切れるほど美しい美術に圧倒された。 マルチバース物としてはこれに先立って観たエブエブよりずっといい。 藤野が人生で初めて反省、悔悟した瞬間時空に歪みが生じ京本の四コマがスリットから藤野に届く。それは藤野が京本を救う世界線の実在を約束する四コマだ。 その幸福な世界線と悲劇の起きた世界線はけして交わらない。明るい未来に踏み出していた京本はけして生きて還らない。しかし、そうでない世界がある。交わらずともある。なぜあるか? 藤野が心からの反省をしたから。悪意に満ちた軽薄な紙片を嫌悪とともに破り捨てたから。調子乗りのエゴイスト、なんの役にも立たない自分を心底嫌悪したから。その後悔が、別の世界線を生んだ。 そんなの意味ないじゃん? ある。このルックバックという作品が実際そのように機能しているからだ。大丈夫、自信を持て。その才能を伸ばせ。君にはできる。こうしたい、こうなりたいという方向に一歩を踏み出す勇気を持て。君の未来は明るい。そのメッセージを受け取った読者は、そうでなかった人生と別の世界線を確実に歩み始めるのだ。 このエールを伝うるに現代思想の豊富な参照、援用など必要ない。ただそこに藤本の素朴な誠実だけがあればいい。倫理と物理が交わる瞬間を藤本はシンプルに描いている。これは正義の物語なのだ。

エブエブ Everything Everywhere All at Once, 2022.

 アマプラの見放題に降りてきたので観た。 ……。うーん。 開始二十分位でやりたいことは概ねわかるのだがくどいというか話が進まないというか。それはもうわかったからさあ、いう。 マトリックス大好き(旧式コンピュータのレジスタンス、この世の仕組み、真の自分、クッキー、カンフー)なのはまあいいとして、しかしこのグダグダな叙述はどうよ。 マリエンバートとゴダール「ってなんか難しそうでこれの真似するとカシコに思われるから真似よ」と思って作った凡百の学生映画を観てる感じ。石とかもう幼稚で最悪。「世界の中心はベーグルだ!」とか中学生がノートに書くSFやんけ。それでいてカンフー、マトリックスもやろうとしているから主人公が力に目覚め(結構早くに)て戦うのだけれどそれがクライマックスに至らずまた「あのときこうしていれば」の後悔を見せられる。5分毎に見せ場を濫発して飽きられる文法はアルマゲドンと一緒。 そしてなんというか汚い。うんこ座り、エイナルファック。中華人民は汚くて下品です、というアピールになにか積極的な意味があるのだろうか? 「すごく変なことをするとジャンプできる」いうのもSF設定としてどうなの? 「すごく変」をジャッジする物理法則ってなに? ストレートに「家系」映画なのだが、娘さんはガールフレンドを伴って初手から家を訪れているのでひとつも音信不通、疎遠じゃない。母ちゃんは「あのときなぜわたしを止めてくれなかったの?」と終劇近くで父親に甘ったれたことをぬかす。母ちゃんは体験を通じてひとつも成長していない。 ルッソ兄弟の関与が信じられない出来栄えである。

「ローガン」Logan, 2017.

 配信でいま頃観た。 Xメンを実はちゃんと観たことがない。なにか特につまらないやつを一本観たことがあるけど内容をほぼ覚えていない。 だが世評通りこのローガンはよかった。 落魄を描いた映画といえば成瀬巳喜男の「さすらい」があるが、それと同じしんどさつらさをまさかスーパーヒーロー映画で味わうことになるとは思わなかった。いや、そんな作品だからこそ流れてくる評判もよかったのだろうが。 いろいろあって家を失うまでに至った老人、壮年がいろいろ頑張ったが結局全員行路病死する。アガる要素ゼロの話である。 大急ぎで移動しようと車椅子をたたみ車に詰め込む。彼を抱えあげ座席に座らせる。プロフェッサーXは悪と戦う司令塔どころか社会のお荷物、家族のお荷物である。加えてなにか大変なことをしでかした結果がこの平家の落人的な状態の原因らしい。彼らはパブリックエネミーなのだ。 父親が銃口をローガンに据える。弾切れで思いは果たせず彼はそのまま絶命する。つらい場面である。どうもローガンなりXメンたちというのはそういうキャラクターらしい。ひとを助けるどころか結果として迷惑をかけ恨まれていくのだ。彼らに落ち度がないにも関わらず。 殺戮描写はイクストリームで素晴らしかった。ひと殺しはよくないぞ、と通り一遍の説諭を父は娘にするが行動がそれを裏切っているしそれでよいのである。相対化する必要のない厳然とした悪。それを叩くに情けは無用! 娘は正しく父の行動から正義を学んでいる。