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12月, 2012の投稿を表示しています

第6話 東京発新幹線 ひかり55号のシュウマイ

「夜行」つながりの真骨頂、駅弁篇。 東京駅随分様変わりしたけど、ほっぺタウンてまだあるのかしら。 「龍養軒シウマイ弁当700円!! これしかない!」。当然崎陽軒のことだろなあ。 ジェット。いちどやってみたい。 うまい。けど……あんまりうまく行かないのもゴロさん的風景。リアリズム。

Season2 第11話「足立区北千住のタイカレーと鶏の汁無し麺」

http://www.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume2/story/index.html 脚本、田口佳宏。 演出補、井川尊史。 監督、宝来忠昭。 刺激されて、カルディーで買いました。刺激物。 トムヤムヌードル。「53円。安い」。ゴローさんの口調で。 鍋で卵と一緒に煮る。 夕飯と一緒に食す。「辛い。うまい」。ゴローさんの口調で。

クリスマスイブ

明日はキリストが生まれた日なのでおいしいもの食べてセックスしましょう、という習慣があっても別にいいのだけれど、あまりに気張ったり発情興奮したりはどうなんでしょう。 この日を呪う向きもこの奇習に飲み込まれた連中と同類であることを自ら明かしてしまっている。「ほんとは自分も」の気持ちがあるから落ち込む。呪う。 田舎のじいさんばあさんが正月過剰に気張るのとおんなじ現象なので、両者ともに若い世代から嘲笑われるといいのだと思う。「ダッセー」と。いや、田舎のおじいさんおばあさんがお正月を古式ゆかしく丁寧に寿ぐのはダサくありませんが、たかがおまんこ一発を過剰にリボンやらなんやらでラッピングするのは。「なにをそんなに」と。 この日を「セックスの日」にしたのが1983年であるという実証研究もある。アラフォー世代というのはいろんな意味でほんとに恥ずかしい。そのひとりとして謹んで皆様に、世界人類にお詫びいたします。各方面にご迷惑をおかけいたしております。

第5話 群馬県高崎市の焼きまんじゅう

「わたしには何かを食べてる時間も落ちついてる時間もないのよ!!」  そこまで忙しいひともおらへんやろォ。ゴローさん、サユキとかいう変な女優と別れて正解なのでした。 「俺にお似合いなのはこういうもんですよ」  末尾下欄に参考資料云々と入ってるのが嫌だなあと思う。作者たちのせいではなく、写真資料使ったらクレジット入れろとかいう変な圧力がこの頃から強まってきたのだろう。沈黙の艦隊がその嚆矢だったか。  トレパク摘発とかいう馬鹿げた秘密警察ごっこといい、いったいなにがどうしちゃったんだろう。その程度のパクリに寛容でなかったら、漫画史上に残る傑作ねじ式だってこの世から葬られてしまう。  非クリエイター(やら創作物に値の付かない自称クリエイターやら)の卑小なやっかみ、ひがみの発露としか思えないのだが。

死の家の記録

 ドストエフスキーが死の家で発見したのは意外な事実だった。  大衆はけっして怠け者ではない。  労働に習熟し、ひとより抜きん出て他者を睥睨することは彼らの喜びであった。  大衆は平等を望まない。競争と階級上昇を彼らは愛した。王政打倒、階級社会の解体、奴隷労働からの解放を彼ら農奴のために腐心し獄にまでつながれた自分たち社会主義者の善意はまるで見当違いな努力であった。  大衆は解放など望んでいない。彼らは労働を愛している。下僕、奴隷たることを強く望んでいる。  ドストエフスキーは、自分たち貴族出の良識派が初手から前提を誤っていたことを死の家で身をもって思い知らされた。
「花は咲く」キャンペーンのせいで名曲「ねえ ここにいて」の存在が抹殺されてしまった状況に釈然としない。 「紅白の見世物として盛り上げよう」という意図見え見えの「花は咲く」に辟易する。この歌、どこがいいんだ。アホの子のように花は咲く花は咲く連呼して。
宮本の調査は綿密なものだったが、編集する段階になって、広島県教育委員会が家船と被差別の問題を短絡的に結びつけ、過剰な自主規制の配慮から宮本の文章を大幅に削ってしまった。これに激怒した宮本が憤然と文化財保護委員をやめるという一幕があった。それ以来宮本は、被差別問題を活字にすることに絶望感を感じるようになっていた。 「僕のところへ、部落問題のことで直接たずねてきたのは君がはじめてだな。しかし、部落問題では、これまでにずいぶんいやな目にあっているから、正直、あまり期待されても困るぞ。わたしたちのように日本人全体の生活や歴史のことを研究する者にとって、部落のことは実際大事なことなんじゃが、昨今のように、真実ものがいえんように政治的に動かされたんじゃ、何もできん。ちょっと発言するとすぐ差別じゃちゅうて、ドウカツする。歴史の真実をあきらかにせんで、なんで部落問題の解決がはかられる」 『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』 佐野眞一、1996。 

Season2 第10話「北区十条の鯖のくんせいと甘い玉子焼」

http://www.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume2/story/index.html  十条かあ。  十条は用もないのにしばらく通った時期がある。やはりあの商店街にあてられたのだ。なんとも言いようがない、唯一無二の感じ。十条は十条にしかない感じ。  交通の要衝でもないだろうに、なぜか大規模に商店街が自己主張する町。  そもそも十条に足を向けようと思ったのはほりのぶゆき「キャプテン十条」に爆笑したからだった。  駅前の喫茶店がまたいい感じだった。ジャズを流すデンオンの小型スピーカー。あの音の良さに感心した。「うちにもこういうの欲しいな」と思った。お相撲さんが着流し姿で珈琲を飲んでいるところにも出くわした。  いまでも「今度は十条にでも住もうかなあ」と時々思う。晩飯のおかずに困らない町だと思う。 「田や」の鯖の燻製。ごはんと味噌汁。甘い卵焼き。みんな、おいしそうだ。 「商談の最中にゴローさんは勝手に中座したりしないぞ!」とかちょっと思った。ゴローさんの知り合いでもないのに。 脚本、田口佳宏。 提灯屋さん、嶋田久作。 演出補、井川尊史。 監督、溝口憲司。

第4話 東京都北区 赤羽の鰻丼

「すき焼きまだでしょ?」 「まだー」 「お客さんまだなんですよそれ」 「あ……そうですか。じゃちょっと待ってください」 まいったな……ピーンときたのになあ。 目論見が外れることもままある。これがお話のリアリティーをグッと高める。 お…… ごはんがあるのか うん! そうかそうか。そうなれば話が違う。 ここに並んだ大量のおつまみがすべておかずとして立ち上がってくる。 酒は飲めないけど酒の肴はなんでも好きだ。 うな丼とうな重じゃやっぱりうなぎ本体の大きさが違うのかごはんが余ってしまった。  よし…このいくらをのせていくら丼にしてみよう。 うん。そう考えればうなぎが小さい分タレも少なく、メシにもタレがしみてない部分が多いからちょうどいいぞ。 うん…こりゃあうまい。大正解だ。 このちまちまとした計算がゴロさん流。久住節の真骨頂。 豪放磊落、小事にこだわらぬ男らしい男には永遠に到達できない境地。 男らしい男、人生でたくさん損をしている。
 国技堂の団子セットを食す。500円。 「このためのスプーンかあ」。ゴローさんの口調で、ゴローさんに倣ってつぶやく。  毒婦角田美代子が留置所で自殺してミサイルが飛んだ日。

第3話 東京都台東区 浅草の豆かん

 高級甘味、松むらの豆かん。400円。 「なんていうか…違うな。ここには自分のような商売とはまったく違う時間が流れている……  おそらく自分はこんなふうには生きられないだろう」  早くもゴローさんの寂寥、特殊な境涯の片鱗が覗き始める。

第2話 東京都武蔵野市 吉祥寺の廻転寿司

 マクドナルドはマクドナルドなのに吉野家は吉田屋、天下寿司は天国寿司。なにか理由が?  わりとよく食べた吉祥寺天下寿司がいきなりおいしい穴場としてフィーチャーされ驚く。まあ確かに、安くてネタが新鮮でおいしいんだけどさ。  夕刻こんなふうにおばちゃんだらけだったかしら。  昼下がり、夫や子どもに隠れて大トロを摂食する。これが情事、密会とまったく同じ背徳の喜びであることを私立探偵の嗅覚は嗅ぎつける。 「家族はこんなオカアサンを全然知らないのかもしれない」 「ふう……なんだってこんな思いをしなけりゃいけないんだろう」  板さんに注文の声が届かないことでへこんじゃうゴローさん。意外なところで繊細。タフガイじゃない。 「ラストの2枚……あれが効いたな」  泉晴紀さん(レッドマン)に描かせたら絶対ギャグになる部分が、谷口画伯の手にかかるとほんとにまんまハードボイルドに、かっこ良くなってしまう。回転寿司の皿2枚を指してですよ? 「あれが効いたな」って。悪漢のボディーブローのように。そしてシュボッとジッポーに火を灯す。  紫煙をくゆらしほくそ笑むゴローさん。かっこいいなあ。 輸入雑貨の貿易商を個人でやっている俺だが自分の店はもっていない。 結婚同様、店なんかヘタにもつと、守るものが増えそうで人生が重たくなる。 男は基本的に体ひとつでいたい。

第1話 東京都台東区 山谷のぶた肉いためライス

 ほんとに、どうしてみんな野球帽を。どういう理由で。  あれだけ食って800円。いろいろ頼むのがゴローさん流。 「いっしょにメシ食うべえよォ」がいい。いい感じ。  行こうと思えばいつでも行ける場所だけれど、さんや。やっぱり敷居高いな。

スカイフォール

Fiat justitia ruat caelum --- 正義あらしめよ。たとえ世界滅ぶとも! 町山さんがツイッターで褒めていたので観ることにした。 のっけからつかみはオッケーでしたねえ。バイクチェイスに目が釘付け。 アノニマスが明確に素材として取り入れられている。 Mがユニオンジャックの中央に描かれたいたずらは Sex Pistols へのオマージュであるとともに物語にダブルミーニングを持たせてもいるのだと思う。つまり、表向きのストーリーと、そこに込められた寓意。Mが誰に似てるかっていえば、もちろん外貌といい年齢といいエリザベス女王に決まってる。「テメエのしたこと思いだせ」は女王陛下の大英帝国が世界史において為してきたことへの告発に決まっている。 俺は車にも007シリーズにもまったく詳しくないけれど、あのクルマを見た瞬間思った。これ、きっとアストンマーチンっていうんだ。 風吹いて桶屋儲かりすぎ。犯人、ほぼ99%目的達しちゃうんだよねえ。町山さんが既に指摘してる通りだ。セブンというあの胸糞悪い話がかくもいまだに強い影響力を放ち続けているのはなぜなのだろう? 「絶対に倒せない敵」というのは、なにか、人の心のアーキタイプを揺すぶるものでもあるのだろうか。父や社会や現実や大衆や運命や死、そういうものの象徴なのだろうか。 でもよかった。結末までセブンにならなくて。 かつて世界の覇者、最大の植民地経営者であった大英帝国。その象徴たる女はイギリス国教会の祭壇の前で息を引き取った。007はその死を看取り、静かにそのまぶたを閉じる。彼は国の子であったのだから。 彼女がしきりに現場がどうの内勤がどうのって登場するの、伏線だったんだねえ。つまりミスマニペニ、前身は腕利きのスナイパーだったわけだ。ここに時間の円環が閉じる。事象の地平線、光円錐が閉じて歴史が終焉し、007がいま始まる。よみがえる。あのなじみの部屋で。叩き上げの軍人を新たなボスに迎えて。

孤独のグルメ

 巻末の「初出」を見て驚いた。1994年10月! 全然知らなかった。俺完全浦島次郎だ。世間から18年隔絶してる。  94年暮れといえば漫画史においてナウシカ黄金の7巻、寄生獣第8巻という頂点ともいうべき大傑作が刊行され、しかもその両方が翌年の「カルト集団がらみの無差別大量殺戮」をイメージのレベルで予知していたという奇怪な現象を残した時期だ。  そしてこの時期、谷口ジローといえば漱石シリーズで注目されていたのではなかったか。同時にこういう仕事もしていたなんて、全然知らなかった。  トレンチコートにソフト帽。「夜行」のハードボイルド、ハンフリーボガードな主人公を谷口ジローに描かせるというのは発想として極めて順当で、ただその仕事、久住昌之原作の仕事を谷口ジローが請けたということでたぶん業界は騒然としたのではないかと想像する。  先週テレビドラマを初めて観たときは「外回りの営業マン」とか勝手に思っていたのだが、どうやらそうではなく個人輸入の無店舗販売業者。現代のハードボイルドは探偵ではなくこういう地点に成立するのか。  めし食ってるだけの漫画、と見えて、回を追う毎にゴローさんの過去が、人物が小出しに見えてくるのが楽しい。そして、たぶん設定として10つくりこんであっただろうそれが3も露見しないままひとまず連載完結。この見せ切らない、謎を多く残したままなのがまたいい。  各話も映画館でフィルム事故が起こるかのようにブツンと余韻も何も残さずにぶった切られる感じがまたいい。これ、意図した演出であると思う。変にまとめたりしない。シャッターで情景を切り取ってそのまんまな感じ。写真の感じ。 「オレ、植草タカシ! どこにでもいる平凡な高校2年生。ところがある日、不思議な少女と出合った瞬間から、俺の生活はすっかり変わってしまった……」という出だしの少年漫画は今後一切商業漫画誌での連載を業界申し合わせで禁止するカルテルを結ぶといいと思う。冒頭で何もかも語って「ああ、中身わかった。もう読まなくていいのね」と読者に教えてくれる親切な漫画はこの世から消滅するといいと思う。  なんとかいうハンバーグ定食屋でゴローさんついに堪忍袋の緒が切れ、の場面はクライマックス。日頃抱懐していた食事哲学をたぶん初めて人前で宣明する。パルプフィクション、サミュエルLジャクソンファミレス大演説に匹敵

孤独のグルメ Season2 第9話「江東区砂町銀座を経て事務所飯」

http://www.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume2/story/index.html 脚本、田口佳宏。 服部久美子、ともさかりえ。 演出補、井川尊史。 監督、溝口憲司。  ちょうど原作(キンドル版)第15話「事務所めし」を読んだ直後に観ることになった。なるほど。原作を適宜アレンジしてるわけだ。  あのセリフは重要なのでそのまま使われた。  漫画と同じに事務所の調度を作り込んでいるところに作り手の原作愛を感じた。  漫画原作だと「漫画と違う」という不満が出がちだけれど、このドラマの場合は「こっちはこっちで、これでいいなあ」と思える。同姓同名、同じ職業の「もうひとりの井之頭五郎」なのだと了解できる。どっちも素晴らしい、魅力的な人物だ。  これから原作を買う人、もしこの拙文を読むことあらば、キンドル版はお薦めしない。ぜひ実体書籍の方を。iPad (Retina. Late 2012) で読んでいるのだけれど、たぶん画稿がレティナ対応していない。いない、と断言するのもあれなのだが、微妙にフォーカスが甘い。このこと、後日詳述。 http://shoujinonaiie.blogspot.jp/2012/12/blog-post_7.html

Gangnam Style in Paris

「武士道とは死ぬことと見つけたり……そう。俺は、平成の龍馬……」と終日つぶやく自分に日頃ウットリしている向きも、これ見るとそのナルシシズムの核が揺らぐのではないだろうか。  ダサければダサいほど、カッコ悪ければカッコ悪いほど実はカッコいいという境地の存在に、彼の幼稚で狭隘な世界観の根幹は致命的な損傷を受けるのではないだろうか。 http://youtu.be/TQcFBCovBnk  そんなこともねえか。どうせカネのちからだ、国際ナントカの陰謀だ、俺がモテないのはやっぱりこいつらのせいだとゆがんだ認知と狂疾を余計に亢進させるだけか。

そっぷ

夏目漱石「行人」の次の記述に行き当たったとき、「ああ、そういうことか」と得心がいった。 自分が始めて彼の膳を見たときその上には、生豆腐と海苔と鰹節の肉汁が載っていた。 … 肉汁、の部分には「ソップ」とルビが振ってあった。 「鳥そっぷ」って、鳥スープのことだ。 墨田区両国の一人ちゃんこ鍋 Kindle、もうルビ対応してたんだ。