宮本の調査は綿密なものだったが、編集する段階になって、広島県教育委員会が家船と被差別の問題を短絡的に結びつけ、過剰な自主規制の配慮から宮本の文章を大幅に削ってしまった。これに激怒した宮本が憤然と文化財保護委員をやめるという一幕があった。それ以来宮本は、被差別問題を活字にすることに絶望感を感じるようになっていた。
「僕のところへ、部落問題のことで直接たずねてきたのは君がはじめてだな。しかし、部落問題では、これまでにずいぶんいやな目にあっているから、正直、あまり期待されても困るぞ。わたしたちのように日本人全体の生活や歴史のことを研究する者にとって、部落のことは実際大事なことなんじゃが、昨今のように、真実ものがいえんように政治的に動かされたんじゃ、何もできん。ちょっと発言するとすぐ差別じゃちゅうて、ドウカツする。歴史の真実をあきらかにせんで、なんで部落問題の解決がはかられる」
『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』 佐野眞一、1996。
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