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 クリスマスカレー。
 モランボンのジャンはやっぱうまいわ。至福の味。
 
 

「この世界の片隅に」

NHK総合で二度放送してて二度とも録っていま頃よおやっと観た。 録ってありながら観るのを億劫がってたのはあんま芳しからぬ風聞に接していたからだ。どうもあまり筋の良くないひとたちから絶賛されているらしい。曰く「従来の反戦映画の如き、戦争を声高に非難するものではない。だから良作だ」、と。 観た。うん、作品はすごい。 こうの史代の原作がまず飛び抜けていいのだろうと想像する。 そして片渕須直の演出。これは左右問わず軍ヲタを唸らせたことは間違いない。 空襲がここまでリアルに映像化されたのは実写含めて映画史上初めてなのではないか。勿論俺は空襲経験者ではないけれども、「これは本物だ」と説得する力が画面にみなぎっている。 一瞬だけ地をなめる機影。爆発四散する機体。地面を、家屋を、樹木を、人体を高速で貫通する破片(追記: 機体の四散ではない。よくよく見るなら、高射砲はひとつも敵機をとらえていない。鉄片は目標をことごとく打ち損ねただ虚しく四散する高射砲弾のそれなのだ)。 空爆の爆圧、衝撃。 ピカとその衝撃波。 義父の被弾が笑い話で終わる、あれが残忍な伏線になっている。 時局にひたすら順応して生きてきた底辺庶民が、命を、手を奪われる。そして敗戦を迎える。 犠牲と等価交換に報われるある種の交換法則を世界に期待していた庶民は当然に激昂、慟哭する。なぜ彼らが裏切られるかといえば、そもそも世界はそのような恒存則でできていないから。 あんかごと女を貸す非人間的描写も衝撃だった。この衝撃は特殊事例に触れたそれではおそらくない。安閑とした庶民生活、に見えるものが、実はこの手の非人間性を日常に繰り込んでいたのではないか、そういう疑惑がもたらす衝撃である。 つづめて言う。たぶん珍しいことではないのだ。このような女の貸し借りが(これはラストの、「こどもを拾って持ち帰る」描写にもつながる)。 ロマンチックラブイデオロギーに裏切られ俺たちは傷つくのだが、それは俺たちが愛とか性の現実、真実を見ていなかったからでもある。そしてたぶんこうの史代にはそれが見えている。彼女が透徹した目で見据えた庶民自身にも(「復讐するは我にあり」のあれがこの衝撃に近いか)。 この優れた作品に触れて気づいた。「デカダンス」という作品に感じていた不潔さの正体である。ナツメは明らかにすずさんオマージュなんだろう。作者(脚本か監督かは知らな
ビーフシチューめし。 オージービーフ、臭いな(オージービーフさんごめんなさい)。 味もうん、食べてて「これはうまい」っちゅう感動はない。 一時間煮込む手間かけた程のあれじゃなかった。 牛肉に関しては価格が需要を概ね妥当に反映してるね。 おんなじ手間かけるならカレーの方がずっとおかずになるしな。ビーフシチューはもう作らんかもしらん。
幽遊白書いうののアニメやっとったんで初めて観たけど、んー。 異世界格闘技選手権とかいうのやっとったんだけど、んー。 異世界なんだよねえ。魔界なんだよねえ。 その着てる80年代のダッサい服、誰が縫ったの。どこで買ったの。 ホテル、誰が維持管理してるの。誰が掃除してるの。誰が料理作ってんの。 袋菓子、飲み物、酒、どこで誰が作ったのどう流通してるの。 闘技場、誰が管理運営してるの。 もうなんかそういうことばっか気になって気になって。 ジャンプ連載マンガなんて勿論このレベルでいいわけよね、この幽遊も、鬼滅も。 まあ好きなひとは読んで、観てください。
 
 
 きょうのおかずは卵焼き。
 ビーフシチューめし。

もうついていけません(鬼滅の刃)

第7話キブツジムザンまで頑張って観たんだけど、もうだめ。もうついていけません。 セリフ演出すべてが平板で書き割りで。つまらな過ぎてもう耐えられない。 映画でもなんでもそうだけどさ、いいもんってやっぱ作り込むじゃん。詰めるじゃん、設定なりセリフなり、いろいろ。鬼滅は逆なんだよね。あらすじのままネーム、作画に突入しちゃってる感じ。悲しい時には人物が悲しいと言い悲しげな顔をする。副音声映画だよね。すべてがただの説明。 進行も超スローモー。いらんセリフも多いし。退屈。 「駄目だ! 言えない」って、言わなきゃいいじゃん。格別言わなければ云々いう窮状に追い込まれてるわけじゃないし。 寝るといいんでしょ。なんで一緒に旅に出る? 箱に入れる? 爺さんとこに寝せといてやれよ。さっぱり意味わかりません。 「軽く作った。漆を塗って強化もした」いやだから寝せろって。 「うわあほんとに軽いや」いやだから。持ち運ぶなよ。しょって戦うなよ。 「暗示をかけたのじゃ」。いいの? こんなんで。まともな脳みそ持ってたらこんな御都合主義の時点で見放すでしょ。 竹のギャグボールいらねえじゃんなら。 鬼、っつっても要するにこれ殺人、人体破壊ショーじゃん。活動寫眞、ちゃんばら隆盛の時代となにも変わらない。人気の正体はそれよね。どれだけ民心が(子供に至るまで)抑圧されてるか。殺害欲求に溢れてるか。確かにこれは正真正銘大正、戦前レトロには違いない。日本軍国主義に突き進んだ精神の荒廃が現代に完全蘇生してる。 録ってあっけど残りは消す。もうどうでもいいや。好きなひとは勝手に見てください、だよね。
 
 
 Shot on iPhone SE 2020.

鬼滅の刃がつまんなくて

 フジでやった総集編の第一部を我慢して観たのだけれど。 「きっとこれから、もうちょっと辛抱したら、たぶん面白くなんだよね」って我慢して我慢して観たのだけれど。 最後までひとっつも面白くなかった。 殺人事件だよね。一家惨殺だよね。 なんで官憲呼ばないの。つか来ないの。 「政府は認めていない」じゃねえよ。認めなきゃ駄目でしょ。武装私兵集団なんだから。いろいろバッティングすんだろ。捜査権だなんだ(鬼殺隊のことね)。 「所有を決するのはゲヴァルトのみ! 哀訴嘆願は乞食の振る舞いだ!」みたいな、リヴァタリアン丸出しの事言ってたけど、それなんか意味あんすか。 炭治郎があの状況で助命嘆願すんの、どう考えても合理的な唯一解だと思うんすけど。知らんひとにいきなり「この世は殺し合いだ!」みたいなこと言われても。あんた弱いもん相手に強さ自慢してるだけじゃん。 かないそうもない相手におんなじこと言えます? なんとかかんとかいうひと。言えないでしょ? 言わないでしょ? 俺はこの最初のたぶん山場らしきシーンで相当嫌な気持ちになったよ。 次に登場する爺ちゃんもね。この、出てくる奴がみんなサディストのスパルタ野郎なのは一体なんなの? こんなん読んで喜んで、みんなドMなの? 爺ちゃんに関してはその無意味に厳しい修行以上に急に甘々になるとこがほんと気持ち悪かった。飴と鞭。これ、カルトの洗脳じゃん。 宮崎駿がアンパン配るあの醜悪な場面を思い出したよ。 どうしてずっとお面被ってんすか。それなんか意味あんすか。顔洗えねえじゃねえすか。 ねずこは風呂小便どうしてんすか。 みんな飯とかどうしてんすか。路銀は? 炭焼きの仕事は? その帳面高価なんじゃないの? なんで炭治郎が出立するとその日に都合よく全国選抜模試やってんの? 模試会場に全国の少年少女が集まってんの? それとも毎日あんななの? 人類対異生物の全面戦争なんだろ? なんでこども? おとながやれよそんなの。 「俺見逃したかな? 聞き逃したかな?」と思ってリプレイしたんだけど、やっぱ炭治郎別に「俺が鬼を殺す! 皆殺しにしてやる!」みたいに誓い立てた場面ないんだよね。それがなんかいつのまにか戦士たるべく修行する流れになってるんで「なんで?」って思う。 「鬼が元通りにする方法知ってるかもよ」て。あんたその鬼殺隊関係者なんでしょ? そういう基本知識とかwikiとか
 
 
  Shot on iPhone SE 2020.
 
 
 
鮭の西京焼き。ちょい失敗。

アルフォート

  高校生格別ディスる気は全然ねえけど、まあ燃えたのは仕方ねえわなっちゅう気はする。 俺に限って言えば個包装大歓迎だからね。クッキーは包み破くと3個とか5個とか出てくんのがフツーでしょ? 一個だけ食いたい場合それじゃぐつが悪いわけよ。 つまりブルボンのアルフォートは現状よくできてる。これを地球環境持ち出して現状変更迫られたらブルボニストの大半が怒るのもそりゃ無理はない。いろんな問題混ぜるなと。これを外装一枚のみにしたら地球温暖化止まるのかと。
 

ジブリ興収推移表

   押井守『誰も語らなかったジブリを語ろう』記載の作品データより作成。 グラフだと千ちひから猫恩への下がりっぷりに目が行くが、数字で冷静に見れば猫はナウシカラピュタの興収を遥かに凌駕している。ジブリのブランド力全体の底上げを如実に示している。 宮崎駿が稼いできたカネを芸術家高畑勲が蕩尽している様子も見て取れる。党中央のイデオローグと労働者農民、生産点の関係を数字は正確かつ象徴的にあらわしている。 尊大な放蕩息子。帰農、勤労の尊さをひとに説き自身は晴読雨読の知識人、その珍しからぬ一典型である。
 
 
最初っからだったけど、最終話もラストカットに至るまでキモさ満天だったデカダンス。 オッサンに恋する少女、の体(テイ)を取った、そういうシチュエイションに恋い焦がれるオッサンの純情物語というみっともなさ、気持ち悪さ。 これってさ、ネトゲで知り合った少女にリアル交際求める中高年の心象風景、欲望そのものなんじゃねえの? 危ねえし悲しいし。 ああ、レオンか。レオンやりたかったんか。俺のいっちゃん嫌いな映画だわ。そりゃ肌合わんはずだわ。 いちいち「ハッ!」「ハッ!」と気づくあの会話の間合いがほんとに錆びついたクリシェで頼むからもうそういうのやめて! ふつーに喋って! 高度なアニメーション、CG技術と内容の薄っぺらさ(いまどきマトリックスリローディッドを焼き直し!)の乖離。もったいねえなあと思う。
 
 

「アジャストメント」

  午後ローで観た。 マットデイモン版マトリックス。統合失調系、この世の真の姿系映画。 よく練られた傑作なんだけど、んー。 どこでもドアーなんだから、「こっからこうしてこれが最短距離でここ全速力で駆け抜けて」みたいな工夫が必要になる次第がよくわかんなかった。まあクライマックスだから走らせる演出は必要なんだけどさ。 しかしまあエミリーブラントがすっごい魅力的(役者も、役も)なんで良い映画です。 婚約二度反古にされるあのひとはかわいそうだけどなあ。
デカダンスの世界構造がますますよくわからない。 ガドル製造工場に忍び込んでガドルを破壊、はいいとして、なんでそれ以外の現役ガドルもまるで蜃気楼のように消えていくの? なんか設定変わってない? 人間世界もアンドロイド達も物理実体なんでしょ? それとも「全部ヴァーチュアル、仮想現実」に変更? タンカー、本物の人間(A群)とアンドロイドの操作する素体(B群)がいるわけよね。闘いなり生活の中で両者接触すんでしょ? 言葉交わすんでしょ? B群がA群に真相教えちゃうチャンスはいくらでもあるよねえ。 そういう疑問もさることながら、ナツメのみならず組長もなんかやることが少女少女してて(ラブレター……)気持ち悪い。もうちょっとシャンとできんのか。

無印のカレー ゲーンパー(森のカレー)

 
 

「わたしは、ダニエル・ブレイク」

日テレ映画天国の録画で観た。 缶詰食いの場面が白眉。 あと一歩及ばずのラスト。なんとしてもダニエルブレイクの無念を晴らしたい、そう観るものに思わしめる。 イギリスですらこれなのだから日本でまともな人権、福祉を求めるなんて夢のまた夢だよ。そう思わしめる嫌な効果も残念ながらある。 給付を受けるため役所の求めるあからさまに無駄な労役、手続き、文書の山(bullshit measureと呼ぶべきか)を俺も経験したからダニエルブレイクの憤りはよくわかる。納得行かぬまま役所の言う通りに動いた結果俺がひとから信用を失う顛末までそっくりである。想像で描いていない。現実をよく取材してある映画だと思う。

無印のカレー ブラウンマサラ

 

新小岩

 Shot on iPhone SE 2020.