スキップしてメイン コンテンツに移動

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム SPIDER-MAN: NO WAY HOME

  https://amzn.to/3wLc1ia

ブルーレイでいま頃観た。
いやー、めちゃめちゃ面白かった!
どんくらい面白いかっつったら、デューンやレザレクションはもっぺん観る気には全然なんないけどこれは違うぜ! っていうそういうおもしろ度。
ツイッター経由でマルチバースマルチバースいう単語は流れてきたけどそれは俺には全然ネタバレにはならなかった(40という俺のフォロイー数とその質に感謝)。なるほどこういうことか。いや感激した。
「またかよ! また誕生譚かよ!」と冷ややかに見られるのが常、というか宿命であったリブートというやつがまったくその意味を変じる仕掛け。旧作の世界線と幸福な関係を結べるのだ。ていうか結んでた。確かに結んでた。三人のピーターパーカーが互いを尊敬し協力するマリアージュ。
「チームワークで行こう。僕はアヴェンジャーズにいたからチームで動くことを覚えたんだ」
「うん、そうだな。なにアヴェンジャーズって」
「バンド?」
「アヴェンジャーズ知らないの? てかいないの? アヴェンジャーズ」
マーヴェルユニバースに参加したこともスパイダーユニバース、もといマルチバースを確実に豊かにしている。
そう、マルチバース。スパイダーバース。既にあの作品でこのアイディアは十全に開陳されていたのだ。だからたぶん勘のいいひとはFar from homeのラストでとっくに気づいていたのだろう。次作は実写版スパイダーバースだと。トビーマグワイア登場だと。
スパイダーマンの正体を扇動的煽情的にがなり立てるネットニュース「デイリービューグル.net」。キャスターのハゲ親父、なんだか見覚えがあるぞ? そう、サムライミ版の新聞社デイリービューグル編集長。メディアは違えどどちらも黄色ジャーナリズム。片やPV至上主義、片や部数至上主義。彼の本質は変わりない。
たぶん同様の仕掛けがアメスパについても探せばあるはずだ。

面白さと引き換えに代償も用意されていた。なかなかにつらい結末、厳しく切ない落とし所。しかしこれこそまさにスパイダーマン、その本質たる叙情なのだろう。ピーターパーカー(という存在)は(どこの次元の彼であろうと必ず)この厳しさ切なさつらさをひとりで耐えねばならないのだ。なぜか? 大いなる力を手にしている、その代償に。
ひとりではなくチームで、そして「椅子に座ってるひと」の援護のもと戦う新しいスパイダーマン三部作は文句なく頭抜けて面白かった。そしてその時代はひとまず終わってしまった。この先どうなるのだろう? MJとはこのままなのか? ネッドとげんこつを交わせる日はもう二度と来ないのか? 恋と友情の復活を俺は真摯に願うのだが。


https://amzn.to/3PEllNk


https://amzn.to/3wCXpma


コメント

このブログの人気の投稿

「星を追う子ども」の感想

 いまから「星を追う子ども」という作品の悪口を言います。星を追う子どもという作品で涙を流した方、新海誠ファンの方は読まないほうがいいと思います。以上、配慮でした。  いやあ、ひどいね。ひどすぎるね。なんだろうこれ。  何を考えているんだろう。  もうね、10分が限界だよ。観るの。通して観るの。だからちびちびちびちび観たよ。何ヶ月もかかって。そんないやなら観なきゃいいじゃんだけど観たよ。  おそろしく長い悪口になると思うので最初にサマリーだけ、見出しだけ列挙しておく。  宮崎駿オマージュ、キャラクターデザイン、頭でっかち、5秒ごとに「はっ!」。マイケルベイ方式。音楽盛り上げ。長い。無駄に長い。新興宗教? 金どっから出てるのよ。新任の先生は特務機関員、と思ったら実はアガルタ研究者で元軍人で奥さんを蘇らせようとしているのだった! 厨二女子の妄想。  オマージュという言葉を最初に知り、かつそういう言葉で修飾することに何の意味があるのか? と初手から疑問を抱くきっかけになったのはデパルマのアンタッチャブルだった。既にポチョムキンを複数回見ていた俺にとって、デパルマが乳母車を階段に転がすことが引用行為であることは理解したが、なぜそれがこの映画のあの場面において引用されなければならないか、また、なぜそれが「オマージュ」と特別に横文字で呼称され、「な、これ、エイゼンシュテインへのオマージュなんだぜ。すごいだろう」と、それこそ敬意を強要されなければならないのかがさっぱりわからなかったのだった。それはいまでもわからない。  その愚行を更に低レベルでこれでもかこれでもかとリプレイしてくれたのが本作「星を追う子ども」である。  しかしどうなんだろう。宮崎駿、試写会招待あったんだろうか。これはさすがに本人も、惣流アスカラングレー同様「ぎぼぢわるい」とうめくしかなかったのではないだろうか。  もう最初から、5分と見続けることが苦痛になってしまったのだが、その原因は複数あって、まずはキャラクター造形、キャラクターデザインにある。  主人公の女の子、全然萌えない。頭でっかち、間抜けの小足で、なんだか体型のバランスが変なのだ。サザエさんみたい。それでいて顔だけはナウシカ、さつき、キキ。  パンチラを期待させるサービスカットが豊富だが、「こいつの見えても別に……」な気...

インテルグラフィックスの設定で動画の白っぽさを解消する(白っぽさシリーズ、その3 たぶん完結篇)

 タイトル通りです。  なにげにね、ほんとなにげに、さしたる予感、確信もないままインテルグラフィックスなにげにいじってみたの。そしたら、この間(かん)の懸案が一瞬で解消してしまった。   HDMIさん 、 サイバーリンクPowerDVDさん 、いわれなき嫌疑をかけていままで悪し様に罵ってすいませんでした。  悪いのはわたしの無知でした。  動画の白っぽさを、なくす。  グラフィックスビデオ設定のコントラスト自動調整を、オフればいい。  後出しジャンケンだけど、答えが出てしまえば「なーんだ」、だよね。  確かにそうだ。明暗の自動調整にノイローゼなってんなら、それ切ればいい。  いやもう、白っぽくて白っぽくて(露出不足でラボから上がってきた昔の印画紙みたい)、また瞬間瞬間に不自然に画面の明るさがディジタリーに、階段状に変わる、明らかにおかしい感じの動画、一瞬で正常化してしまったよ。 「あらこの場面ちょっと暗いわね、こんなんじゃなにがなんだかよくわかんないでしょヨッちゃん。おばちゃんがいまここちょっと明るくしたげるからね」って、パソコンの中のおばちゃんがいままで世話焼いてくれてたんだよね。  僕はおばちゃんに暇を出すことにしました。  俺ヨッちゃんじゃないし。  ノートパソコンの設定としてはデフォルトがそれっての、たぶん正解なのかもしれないね。映像ソースの再現忠実度よりも視認性。  外付けモニターの購入で小さい画面では全然わかんなかった、気にもならなかったことが見えてきた。一挙にアラが見えるようになってしまった。デカい画面という、そういう「量」が「質」のこと炙りだすのってなんかこうあれだよね、示唆するものがある。  この間の死闘、暗闘は消耗したがしかしまたその分得ることも実に多かった。いままでそこらへんの知識まるでなしにパソコンで動画見てたんだよね。実に十年間くらいはおかしな設定の変な色、明るさのままで。「きったねえなあ」ってぶつぶつ文句言いながら。  グラフィックスのビデオ、調整できるパラメーターは他にもあるので、まだまだ勉強すべきこと、更なる発見、正解があるはずである。しかし、懸案の巨大な山はひとまず乗り越えたんだと思う。  しばらくは精神の安定を取り戻せそうで一安心である。 * * * ...

チコちゃんに叱られる

 いまのチコちゃんはこうだけど、  初回パイロット版(17年3月24日放送)のチコちゃん(初号機)はこんなでした。  明らかに造形的には奈良美智リスペクト。  茂木さんに正解を言い当てられて驚愕!  出たw 「出ってもうたー♪ 大阪弁がー出ってもうたー♫」  当然パイロット版放送後「なんか不気味じゃないか」「もうちょっと可愛くできない?」等々の局内検討を経て決定稿、弐号機チコちゃんになったと想像するのだが、俺はこの初回チコちゃん大好きなんだよねえ。たぶん製作スタッフも掣肘さえなければ初回のままで通したかったんじゃないかなあ。そんな気がする。  しかしこの初号デザインのままであったら、いまの国民的人気にはやはりつながらなかっただろうなあ、とも思う。  ともあれ、チコちゃん、岡村さん、紅白進出おめでとう! https://www.nhk.or.jp/kouhaku/topics/topics_181218.html