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インテルグラフィックスの設定で動画の白っぽさを解消する(白っぽさシリーズ、その3 たぶん完結篇)

 タイトル通りです。
 なにげにね、ほんとなにげに、さしたる予感、確信もないままインテルグラフィックスなにげにいじってみたの。そしたら、この間(かん)の懸案が一瞬で解消してしまった。
 HDMIさんサイバーリンクPowerDVDさん、いわれなき嫌疑をかけていままで悪し様に罵ってすいませんでした。
 悪いのはわたしの無知でした。

 動画の白っぽさを、なくす。
 グラフィックスビデオ設定のコントラスト自動調整を、オフればいい。





 後出しジャンケンだけど、答えが出てしまえば「なーんだ」、だよね。
 確かにそうだ。明暗の自動調整にノイローゼなってんなら、それ切ればいい。
 いやもう、白っぽくて白っぽくて(露出不足でラボから上がってきた昔の印画紙みたい)、また瞬間瞬間に不自然に画面の明るさがディジタリーに、階段状に変わる、明らかにおかしい感じの動画、一瞬で正常化してしまったよ。
「あらこの場面ちょっと暗いわね、こんなんじゃなにがなんだかよくわかんないでしょヨッちゃん。おばちゃんがいまここちょっと明るくしたげるからね」って、パソコンの中のおばちゃんがいままで世話焼いてくれてたんだよね。
 僕はおばちゃんに暇を出すことにしました。
 俺ヨッちゃんじゃないし。

 ノートパソコンの設定としてはデフォルトがそれっての、たぶん正解なのかもしれないね。映像ソースの再現忠実度よりも視認性。
 外付けモニターの購入で小さい画面では全然わかんなかった、気にもならなかったことが見えてきた。一挙にアラが見えるようになってしまった。デカい画面という、そういう「量」が「質」のこと炙りだすのってなんかこうあれだよね、示唆するものがある。
 この間の死闘、暗闘は消耗したがしかしまたその分得ることも実に多かった。いままでそこらへんの知識まるでなしにパソコンで動画見てたんだよね。実に十年間くらいはおかしな設定の変な色、明るさのままで。「きったねえなあ」ってぶつぶつ文句言いながら。
 グラフィックスのビデオ、調整できるパラメーターは他にもあるので、まだまだ勉強すべきこと、更なる発見、正解があるはずである。しかし、懸案の巨大な山はひとまず乗り越えたんだと思う。
 しばらくは精神の安定を取り戻せそうで一安心である。

* * *

2018年9月7日、追記: まとめです。

1.デスクトップで画面を右クリック→グラフィックスプロパティー→一般設定→詳細→量子化で「制限範囲(かデフォルト範囲)」となっているのを「全範囲」に変更。右下「適用」ボタンを押した途端にデスクトップ画面から「膜が一枚剥がれる」のが確認できるはず。これでまず静止画から白っぽさが消える。

2.グラフィックスビデオ設定のコントラスト自動調整を、オフる。オフった途端、動画(一時停止なんかにしておくとよく分かる)の白っぽさが消える。

 この二工程を両方施すことで、「外付けモニターにつないだ時顕著に気になり始める動画の白っぽさ問題」は解消します。この設定で一年半順調に運用できています。いまのところ修正の要を認めません。
 明暗のメリハリが付いてとてもきれいです。

 なお付言すると2の設定によりソフトによっては不具合の出る場合があります(そのメカニズムはよくわからない)。自分は設定を記憶させてデフォに戻したりまた2にしたりと行ったり来たりしています。それがちょっと手間だね。慣れたけど。


2022年7月29日追記: AMD, APU, Radeon篇はこちら

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