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5月, 2012の投稿を表示しています

120526朝まで

ひとの発言を途中で遮る。遮っといて何を話すかと言えば相手の話をまるで聴いていない見当違いの反論だったり教科書の棒読みかと思うくらいのタテマエ、現実無視の理想論ばかり。 こういう福島みずほの存在がどれだけアナクロニスティックな復古主義に力を与えているかを思えば、むしろ政治家を引退してくれたほうがどれだけ日本の進歩に資するかと痛感する。現今の政治家で保革問わず福島みずほほどの保守主義者(昔は良かった。みんな幸せだった。昭和ばんざい)がいるだろうか。

新清士って……

新清士 [「機動戦士ガンダム」から見える日本人の甘えの価値観]なる論考を読んだ。 http://agora-web.jp/archives/1460694.html 「現在の日本で製作されるアニメーションでは、確実に最高のクオリティだ。」どこが? どの部分が? どういう根拠で? どういうテクニカルな理由で? しょっぱなから事情通を装った門外漢丸出しのひとこと。信用出来ないオーラ満載である。 一読してみれば予感は的中で、論者新清士はたまたま観た最新作ユニコーンの1シーンを自身の抱懐する人種スキームに適合する形で恣意的に取り出しガンダムという作品世界全体を評する、の愚を犯している。ククルスドアンの島やガンダムエイジの1場面を取り出して「ガンダムとは」と言い出す粗雑さに近い。 NHKドラマ「坂の上の雲」の内容を論ずる際に「司馬の原作では」の一言が発せられることがないとしたらそれは奇異である。筆者新清士は、この作品の特殊性を全く知らないままユニコーンを、ガンダムを論じている気配が濃厚である。 機動戦士ガンダムユニコーンは「あの福井晴敏が新たなガンダムを!」というところに力点が置かれた作品である。アニメーション「ユニコーン」は言わば二次創作と言ってもいい立ち位置にある。 新清士は原作の存在も、ビッグネイム福井晴敏の存在も知らないのではないか。原作が既に完結していることも当然に知らないのではないか。 なんか知らないけどガンダムガンダムうるさいよねえ。俺もちょっと観てみたよ。以下感想。そんなスタンスを明かした上で記される論考ならどれほど無知と誤解に満ちていても問題なく受容できるが、俺はガンダムにも最近のアニメ事情にも詳しいんだよ、ユニコーンは近年稀に見るハイクオリティーだね、などとしたり顔で語られ始めたらこれは看過できない。公然たるデマゴギーへの反駁は一年戦争で被災しユニコーン全十巻を読んだ者の責務である。 「宇宙人がいない=他者の不在」「話せばわかる=日本人の甘さ」。これがガンダムの特色なのだという。スターウォーズのように世界ヒットしない理由なのだという。 ガンダムがスターウォーズと同じ規模で配給された史実を寡聞にして知らない。いったいどういう比較なのか。日本で放送された作品をどうして世界市場向け商品といきなり同列に比較してしまえるのか。 息

NHK「未解決事件 オウム真理教」

6リットルどころか、70トンほんとは使うつもりだったという。いままで知らなかった。 むかーし、月刊プレイボーイがまだ健在でずっとずっと元気だった頃、なんか気持ちーの悪い翻訳小説が載っていたことを思い出す。 世界の救済を説く新興宗教が空から世界中に福音のカードを撒く。そのカード、実はすんごい効き目のウイルスだか毒だかが塗ってあって、防疫処理をしてあった5人の幹部信者以外は人類絶滅、とかいう救いの全くないSF小説だった。挿絵もインドカルト風、ニューエイジ風で大変に気持ちが悪かった。センターフォールドでオナニーする中学生坊主にとって邪魔なページであったことこのうえない。 麻原もこれ、読んだのじゃないだろうか。もしかして。 小説の最後の1行を不思議と覚えている。生き残った5人の選民はたちまち嫉妬と憎悪から殺し合いを始め、勝ち残ったひとりがつぶやくのである。 わたしは、シヴァだ。 今回発見された幹部向け極秘説法カセットテープから、「選挙に負けたからやけになって武装先鋭化に走った」という定説が覆った。麻原は最初から世界を壊滅させるために、あえて頭の弱そうな、心の弱そうな、与し易いボンクラどもを真理をエサに糾合して教団を結成したのであるらしい。 松本智津夫の殺戮欲求、難解なようでいて実はそれほど難解でない月並みな感情ではないだろうか。今般、女性誌、スポーツ新聞、片山さつきが生活保護糾弾キャンペーンを繰り広げている。そこで煽られてる人たちの殺害欲求が難解で特異な感情であるとは到底思えない。浮浪者だったヒトラーは「自分以下」の存在を求めて貧乏ユダヤ人を標的にした。ヒトラーを松本はこよなく愛し尊敬した。 そこには出生が強いた鬱屈した復讐感情、ほど文学的な陰影もない。松本の同窓生の話から伺えるのは体育会系ボスの傲慢な支配欲だ。「俺王様。お前ら奴隷」という幼稚な世界征服欲。 「わたし、もう半年も洋服買ってもらってないのよ! それなのに、あいつら、あいつら……結婚したわたしが、わたしのほうが、人生勝ち組だったはずなのにー!」 麻原にたぶん「深い闇」なんて、ない。文学的主題になりえない、する必要がない、貧乏主婦と同レベルの底浅い嫉妬、怨恨しかそこにはなかったのではないか。

120512ws 特集 Mose Allison

絶対に遅刻はしないモーズアリスン。 「I Don't Worry About A Thing. うまくいくわけないのだから、心配するには及ばない」 「Your Mind Is On Vacation. 君の理性は休暇中。だけど口は残業中」 「Everybody's Cryin' Mercy. 正義を口にするのもいい。ビジネスの邪魔にならない程度に」 「Ever Since The World Ended. 世界の終わりが来てから、あんまり外出しなくなった」 「The More You Get. 手に入れるほど失うものも多い」 「神は俺達に理屈の力を与えてくれたのだからなるたけそれを使おうよ。そう神に頼らず」 「Gettin' There. 絶望はしてないね。ほとんど絶望だけど」 「If You Live. 生きていれば必ずあなたの時が来る」

昔の喫茶店

に入った。 椅子はフカフカ。スタバのような硬い木の椅子じゃない。 しかし紫煙がひどい。煙草をくゆらせる先客の二人は関西弁で不動産取引の話をしている。俺よりも随分年下だろうに俺よりもずっとオトナ、というか正しく苦労とシワを重ねたおっさんに見える。毎日が修羅場、鉄火場の職業人。携帯に向かって「ドヤ!」を連発している。 そういう人達に好まれる、落ち着ける場所として機能しているのだろう。 女子、草食男子、ノマド労働者がスタバに群れるのも仕方がないではないか。自分も入店と同時に入店を後悔していた。しかし踵を返すのもためらわれ、おとなしくオムライスのランチを食った。 添えられた味噌汁はとてもぬるい。いまここに置かれたばかりなのに。 昔風の喫茶店がさびれていくのは時代の流れです。必然です。ひねくれて「昭和サイコー!」とか無理する必要はまったくないのです。

反感と嫉視

「スタバでノマド気取ってマックブックエア拡げてドヤ顔してるカッペども」という庶民の嫉視が一般化するようなら、逆に敢えてスタバでノマド気取ってエア拡げてドヤ顔して庶民の反感を買ってみたくなる。わざわざエア購入してまで。

PCの自作

安いマザボなど見ると自作したいなと思うのだが、自作用PCケースがおしなべて醜悪なのでたちまち自作熱が空冷されてしまう。PCケースってなんでああなんでしょうか。なぜこうも購買意欲をそそらないモノ揃いなんでしょうか。ぜったい部屋に置きたくねえよ商品ばかりなんでしょうか。

よつばのアテレコ

声優もやりたいのだろうか? しかし子供だから甲高い子供声というのは短絡に過ぎる(目玉おやじの物真似に近かった)し、だいいち誰もその場面で望んではいなかった。いきなり始まったアテレコに凍りついたお茶の間も多かったのではないだろうか。この言葉大嫌いなのに「空気読めよ!」と俺は口中に叫んでしまった。 結城さとみさんはこれ以外にもどうもアドリブに弱いというか、弱いのに思い切ったアドリブで思い切り外したり中継レポーターの報告を遮ったりすることが多いので「いっとろっけん」に向いていないと思う。

砂漠の虎

砂漠の虎は魅力的な人物なのに、演出と作画が酷い。あのいちいち「テメエ」と紋切り型に切れ紋切り型に拳を握るお嬢さんはなんなのだろう。虎と対照的に陰影なさすぎる人物造形。