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新清士って……

新清士 [「機動戦士ガンダム」から見える日本人の甘えの価値観]なる論考を読んだ。
http://agora-web.jp/archives/1460694.html
「現在の日本で製作されるアニメーションでは、確実に最高のクオリティだ。」どこが? どの部分が? どういう根拠で? どういうテクニカルな理由で? しょっぱなから事情通を装った門外漢丸出しのひとこと。信用出来ないオーラ満載である。
一読してみれば予感は的中で、論者新清士はたまたま観た最新作ユニコーンの1シーンを自身の抱懐する人種スキームに適合する形で恣意的に取り出しガンダムという作品世界全体を評する、の愚を犯している。ククルスドアンの島やガンダムエイジの1場面を取り出して「ガンダムとは」と言い出す粗雑さに近い。

NHKドラマ「坂の上の雲」の内容を論ずる際に「司馬の原作では」の一言が発せられることがないとしたらそれは奇異である。筆者新清士は、この作品の特殊性を全く知らないままユニコーンを、ガンダムを論じている気配が濃厚である。
機動戦士ガンダムユニコーンは「あの福井晴敏が新たなガンダムを!」というところに力点が置かれた作品である。アニメーション「ユニコーン」は言わば二次創作と言ってもいい立ち位置にある。
新清士は原作の存在も、ビッグネイム福井晴敏の存在も知らないのではないか。原作が既に完結していることも当然に知らないのではないか。
なんか知らないけどガンダムガンダムうるさいよねえ。俺もちょっと観てみたよ。以下感想。そんなスタンスを明かした上で記される論考ならどれほど無知と誤解に満ちていても問題なく受容できるが、俺はガンダムにも最近のアニメ事情にも詳しいんだよ、ユニコーンは近年稀に見るハイクオリティーだね、などとしたり顔で語られ始めたらこれは看過できない。公然たるデマゴギーへの反駁は一年戦争で被災しユニコーン全十巻を読んだ者の責務である。

「宇宙人がいない=他者の不在」「話せばわかる=日本人の甘さ」。これがガンダムの特色なのだという。スターウォーズのように世界ヒットしない理由なのだという。
ガンダムがスターウォーズと同じ規模で配給された史実を寡聞にして知らない。いったいどういう比較なのか。日本で放送された作品をどうして世界市場向け商品といきなり同列に比較してしまえるのか。
息子が剣を下ろし父を言葉で説得する「ジェダイの復讐」なんて、新清士の基準からすれば平和ボケの極み、甘ったるい日本人感覚全開ということになるかと思うが、論旨に都合の悪い事実は全てネグレクトだろうか。
世の中厳しいんだ。甘ったれるな。食うか食われるかだ。新清士が好む「話の通じない異生物を武力で容赦無く叩き潰す、世界の常識に通用する大人向け作品」はたぶんマジンガーZ(イケイケドンドン好戦バカアニメ)やバトルフィーバーJになるかと思うが、この結論は明らかにおかしい。俺はバトルフィーバーJが大好きだが、それはこの作品が平和ボケ日本に警鐘を鳴らす、弱肉強食の国際社会の現実を踏まえた残虐に怯まない大人の作品、だからじゃない。徹底的に馬鹿馬鹿しい吉本新喜劇並のマンネリズム、おこちゃまの独善的な破壊衝動を十分自覚した上での作劇だから東映戦隊モノは楽しいのだ。
いまどき「敵を屠れば自軍の勝利」などと呼号する、そしてそう呼号する自分を「世界レベルのオトナ」と自認できる新清士って、いったい。アニメ史で言えば明らかに「ガンダム」以前。国で言えばシリア以前。学童で言えば中2どころか小学生以前。劇場で庵野秀明から大爆笑、失笑を買った「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」のレベルで成長が止まっている。
このひと地球で大暴れするバンシイの回まで観たようだけど、この先少年の甘い希望に流されないミネバラオザビや職業軍人スベロアジンネマン、「風の会」ギリガンユースタス(新清士氏がおそらく国際標準と志向する理想的人物像。日本的な甘さ、湿気と対極の人物)の姿をどういう気持ちで観ることになるのだろうか? それとも、たまたま今回口を出す気になっただけで、もともとユニコーンなんてわざわざ追いかけるつもりなど最初からないであろうか?
観る観ないに関わらず、今後ビデオリリースされる回で楯の会、もとい「風の会」の青年将校として新清士くんは「日本人の甘さと訣別した堂々たる国際標準の兵卒」を演ずることが既に決定している。
「平和国家の虚妄が許せないというのなら、虚に実を入れる方法を考えなさい。戦争の痛みを引き受けたジオン共和国には、それができる。国の名を失おうとも残る、平和への思いこそがジオンの遺産です。あなた達は、その遺産を守る困難な闘いから逃げている。ジオンの武人として、恥を知るべきです」
「あんなミネバは偽物だ。そうでなければ、連邦に脅されてあんなことを言わされてるんだ。ここまで来て引き下がれるか。俺達は、『風の会』は、祖国を救うために……!」
平和国家の虚に実を入れる? 困難な戦いから逃げている? 一体何の話だ。亡国主義者の戯言と切り捨てようとして捨てられず、何が間違っていたのだ? と無意識に思考を巡らせた瞬間、目前の照明がふっと陰った。…
(『機動戦士ガンダムUC (8) 宇宙と惑星と』表紙。

「風の会」制服に身を包み市ヶ谷官舎屋上から国民に決起を呼びかける新清士くん(画:安彦良和)。
「この悲しみを怒りに変えて、立てよ国民! ガンダムを卒業せよ!
ジーク、ジオン!」)

[ダメ押し]
バナージがコックピットを開けて呼びかけたのは命乞いではない。バンシイとユニコーンの共鳴が明らかに他のみならず自をも破壊する勢いで制御不能の暴走を始めていたからである。戦闘状態の域を越えた事態への対応であるから、「戦闘行為の最中に甘ったるいことを」という認識は誤り。その描写がわかりにくかったのであればそれはアニメ化の際の誤りだし、観る者の見落としであれば知的怠惰のそしりは免れない。
さらに言えば、ガンダムは、とりわけユニコーンは、新兵教育用の戦陣訓ではない。江戸川乱歩賞の受賞で作家生活をスタートさせた著者らしいボーイズディテクティブストーリーであり、新宝島であり、少年と少女の恋物語であり、ビルドゥングスロマンである。福井晴敏は少年の日に胸を焦がして読んだ文学作品の感動を、ガンダムというプラットフォームの上に再創造し若い読者に先行する古典への敬意を込めつつ提示しているのである。

[追記]
新清士くんはゲーム関係のライターで、「欧米に比べて日本はまだまだ…」式の論は彼常習のテンプレートみたいなものらしい。今回もその鋳型にたまたま観たユニコーンという具材を流し込み定形の商品をこさえただけの話で、論評するに値しない対象であることは多少彼を知るものであれば常識の範疇である、ということをネット上に散見する情報から感得した。
2012年6月現在、その専門分野において彼の尻には火が付いている。ゲーム課金の旗振り役を努めておきながら風向きが変わると君子に豹変の醜態。その現実から逃亡しようと慰みに観たアニメにいつものスキームで容喙しさらにヘタを打った、不始末を重ねた、墓穴の深度を深めた、といった状態であろうか。

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