スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

7月, 2013の投稿を表示しています

キャプテンアメリカ

ジョージョンストン作品であることにエンドロールでようやっと気がついた。 名作 October Sky の監督。年上の女性(この場合「ひと」と読む)への憧れにこだわるねえ。いや、いいですよ。わかります。ローラダーン、よかったよねえ。今回のおねえさんもエロかった。よく見ると顔は微妙に微妙なんだけど、身体は紛れもなくこう、ね。それを包む包み紙がまた。タイトスカートに白いシャツ。あの頃の服飾センスって素晴らしい。 オリジナルは広報用のイカれたタイツマンとして一旦否定され、その上でリアル重武装バージョンが登場、というのはいいアイディアですね。そのまんまじゃいかにもうそ臭く幼稚なスーパーヒーローの映画化、現代解釈として脚本が上手に組んである。 トミーリージョーンズ、元気だなあ。友情出演止まりかと思ったら大活躍じゃん。特にステーキの場面。「なんだ、食わねえのか」。氏ならではの怪演、快演。 ラストがいちばんよかったなあ。っつったら監督に失礼か。でもよかった。ハリボテの思い込ませ装置。「世界中が俺をグルになって騙している」という妄想のチープな映像化。チープトリック。 なんと今度はあの御大が登場。贅沢なキャスティングじゃないですか。 エンディングのアニメーション(3Dイラストレーション)もグー。昔のアメリカの戦意昂揚画って、北朝鮮だよね。まあ、北朝鮮に進歩がないんだけど。 ちょっと冒頭の宇宙からの宇宙船? ちょっとつながりがよくわからなかったんだけど。星印の物体は結局どうなったの? 盾になったってこと? でも見つかった時もう星印がさあ……。 あ! そうか! いま気がついた。時間軸が、なるほど。そうか、そうなってるわけね。なるほどなるほど。

Season 3 第三話 静岡県賀茂郡河津町の生ワサビ付きわさび丼

http://www.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume3/story/index.html おばちゃんて、脳と口が直結してるよなあ。 うおおお。これ、いい。うまい。  ごはんと、かつお節と、わさびだけなのに。 うんうん。白いめし好きにはたまらんぞお。 ん! うおおおおおっ、来た! いかん、入れすぎた。 いやあ。でもこうでなくっちゃあ。わさびだもの。 俺は最終的には、こういうシンプル極まりないごはんが好きな気がする。 脚本、田口佳宏。 演出補、井川尊史。 監督、溝口憲司。 「楽しいねえ、パパ」はいくらなんでもいただけなかった。昨今の映画、ドラマを覆い尽くす悪しき副音声主義。

クラウドアトラス

うん、よかった。 作品は冒頭で自らハードルを設定している。当然クリアする自信があるからこその行為で、さすがウォシャウスキー姉弟、「時間軸混在の物語は絶対失敗する」の定石を見事打ち破ることに成功した。 ペドゥナが白人に、ハルベリーがユダヤ人に見事に化けることは特殊メイク技術の誇示にとどまらず当然作品の根幹主張に関わる演出だ。つまりそんなものは人間の外被、スキンの問題でしかないと。 多世界の階級闘争は時に勝利しまた時に敗れる。しかしネオソウルで敗れた革命軍の姿に未来世紀ブラジル、ブレードランナーの無力感、シニシズムはない。個々の勝敗は問題ではない。問題は勝敗という結果ではない。我らの闘いは彼らが引き継ぎ、彼らの闘いは君らが受け継ぐ。原作者も監督チームも絶対読んでいないに違いないが、これは紛れもなく21世紀の忍者武芸帳だ。 同じ問題に悩み考えを突きつめた者は、期せずして同じ地点に到達するのであろう。 我らは遠くから来た。 そして、遠くまで行くのだ。 

Season 3 第二話 神奈川県横浜市日ノ出町のチートの生姜炒めとパタン

http://www.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume3/story/index.html 焼きビーフン。いい匂いだったなー。 いや。惑わされちゃいかん。誘い球に手を出すと軸がブレる。  いきなり、たのみすぎたか。 脚本、田口佳宏。 演出補、井川尊史。 監督、溝口憲司。

眠狂四郎無頼控 魔性の肌

「何よ真昼間から」 「夜でなければならんという法はないだろう?」 「どうやら私を斬る理由を隠さねばならん。そこに理由があるらしい」 「聞いているのお前たちの焼き餅だ」 「己れより美しいものを責める女心はいささかの哀れを誘うが、ここまでいくと己れの醜さを己れでさらけ出す以外の何物でもないと知れ」 「そうはいかん。総じて男は美人の肩を持つ。臼が餅を搗いてみせるのはお前たちということになる」 「俺は肉親のしがらみに背を向けている人間だ。いやむしろ憎んでいる! それが返事だ」 「この世に釈迦もキリストも、いわんやジアゴなどという神のあるはずがない」 「馬鹿な。神が人をつくったのではない。神こそ人によってつくられたのだ」 「お前は神を信じることによってお前自身を誤魔化しているに過ぎない」 「もっと悶えろ。悶れば悶えるほど抱きがいがあるのだ」 「見ろ。神を信じ、神の加護をひたすら念じてきた者がことごとくかばねと化した。これでもまだ神があると言い張るのか!」 「ある! あるとも!」 「ない!  喜ばれずしてこの世に生を受け、白々しい身と冷たい風に吹きまくられて生きてきたお前は、ひたすら神にすがりついた。そこまではいい。だが人間の持つ心の弱さと迷いにつけ込み、神の名を振りかざし、神の美名に隠れて己の私利私欲を満たす! このサエグサ右近は生かしてはおけぬ」 「ほざくな! 妖剣に狂った貴様はどうだ! どちらが正しいかの答えは、どちらが死ぬかによって定まるのだ」 「俺の手で息の根を断つ。それが同じ星の下に生まれた、せめてもの情けと知れ」 「やかましい!」 「円月殺法。ジアゴへのみやげによく見ておけ」 脚本、高岩肇。 音楽、渡辺岳夫。 監督、池広一夫。 渡辺岳夫(ガンダム)の音楽は素晴らしいのだが、こと眠狂四郎シリーズに限ってはこの洒脱な旋律、失敗している……と言っては言い過ぎか。ちょっと違う、の感がある。これまでのあの大時代(おおじだい)な、古色蒼然とした劇伴(斎藤一郎)のほうが作品世界にそぐわしい気がする。 ガハハおやじの哄笑そのものでいいんですよ、旧版の旋律は。

第3話 敵の補給艦を叩け!

http://www.gundam.info/content/15 ガデムが百戦錬磨の戦士を自称する時点でクロニクルがおかしくなっている。初のモビルスーツ大量投入戦かつ史上初の宇宙総力戦である一年戦争に、古参のモビルスーツ乗りやら旧式の補給艦、歴戦の旧式ザクが登場するのはおかしい。 「いやブライトすまんなオレ無線切ってたんだってな」 声優飯塚昭三のそれを言う言い方が超絶的に自然で凄い。不自然なまでに自然。生硬で不自然なのがガンダム会話のデフォルトなので飯塚昭三の名演、名人芸は異彩を放っている。 敵が補給を受ける前に断固叩くべし! と女性キャラの常道を破って主張するミライ。現状維持を至上とする前線駐留軍。シャアを討ち取った名将! の予感に実行前から上気してしまう新任士官。稜線射撃。オリジンの展開は素晴らしく、アニメ機動戦士ガンダムとはオリジンのための叩き台であったか? などと不謹慎にも思ってしまう。

Season 3 北区赤羽のほろほろ鳥とうな丼

うれしいよなあ。堂々の再開。 オープニングもリニューアル。ロシア風に。ハラショーな感じに。 http://www.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume3/story/index.html おー。このうまさ。未知との遭遇。いー。いーてぃー。  これでいいんだよ。俺は。  でもこれは、いい奈良漬だ。 まるます屋。「原作で紹介したところには行かない」原則を遂に破るのか? と思ったら、むう。そう来たかあ。 広田レオナ、清水ミチコ、石倉三郎。  脚本、田口佳宏。 演出補、井川尊史。 監督、溝口憲司。

Season 2 第12話 東京都三鷹市のお母さんのコロッケとぶり大根

http://www.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume2/story/index.html 煮玉子。うまそうだなあ。  熱いコロッケでご飯って。最高! 脚本、田口佳宏。 たいやき屋さん、川村ゆきえ。 そばを食う男、久住昌之。 演出補、井川尊史。 監督、溝口憲司。

勅使河原宏、利休。

「ただ、ちゃのゆは、とっても難しいです」 「そんなに難しく考えることはないんだ。  かなうば良し、かないたがるは悪しし。  茶の湯の心はただそれだけだ」 録画したのが2年前。ちびちび観てようやく観終わった。 まあ芸術映画だよね。エンタテイメントではない。なかなか気楽には咀嚼できなかった。 豊臣秀吉がほんとヤなやつなのでそれがまた観るのに難渋した原因でした。 どの映像作品でも似たような下品オヤジとして描かれているから、たぶんほんとにそういうひとだったんだろう。 権力者の寵を受けることの危うさであるけれども、ラスト、自刃に向かう場面では、ひとりの芸術家を葬るということは権力者にとっても怖いのだ、その総力を挙げざるを得ないほどに、という様子も描かれている。 政治と芸術についての勅使河原氏の見解、自負であろうか。 脚本に赤瀬川原平さんが参加している割には、それに見合う面白さを欠いていたような気がしてやや残念であった。トマソニアン的、老人力的、路上観察的面白さを味わえる場面は皆無だった。 金の茶室についての会話にやや赤瀬川さんらしさがあったか。金ピカイコール権力、体制、資本主義、成り上がり、反芸術という捉え方はつまらない芸術観、思考停止ではないかな、と。

情景作家展

「ひるまえほっと」でやってた紹介に惹かれ、旧新橋停車場鉄道歴史展示室の「情景作家」展を見に行った。 http://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/  諸星昭弘の個展だと思って行ったら合同展であった。  戸塚恵子さんのミニチュアには愛があるね。商家(一階が商店で二階が住居)への愛はもう、フェティシズムの域に入っている。電球色にこだわった小さな照明に本気を感じました。  坂本衛氏の展示は……うーん。自身原稿を書いたと思われる自己紹介文には「地位もなく学歴もなく」云々、「しかし鉄道模型にそんなものは必要ない! それは万人に、貧者にも開かれた趣味だ!」とかき口説くように記されている。「そんなものなくてもひとは幸せになれる」と筆者が強調するほどに、苦労人の、地位と学歴に対する泣かんばかりの憧れは隠すべくもない。坂本氏のジオラマがなにより雄弁に語っている。これはひとつの神秘主義だ。鉄道模型にどす黒い階級憎悪、ルサンチマンが表現されているのである。作者の怨念は見たものに非言語的に、瞬時に伝わる。気の弱い人は卒倒する可能性がある。  なんだ、この暗さは。  希望の光ひとつ射さない晦暗の農村。それを一切見まいと、ただ前をのみ向いて寡黙に驀進する日本国有鉄道の蒸気機関車。それはのどかな昭和の情景を切り取ったジオラマであるはずなのに、印象としては紛れもなくいまの北朝鮮だ。  鉄道模型は作者の憤怒、憎悪、絶望を容れる器となる。そういう表現のメディアたりうる。期せずして今日俺はそういう衝撃の事実を知ることになった。  山田卓司描く昭和レトロの風景からも俺は時代の陰惨を感じずにはいられなかった。  あの頃は貧しくともみんな穏やかでひとの心は暖かかった。そんなオルウェイズな記憶変造をぶちこわしあの時代のリアルにひとのこころを召喚する力が山田の作品にはある。老若男女、全員がヤクザ顔だからだ。  生き馬の目を抜き、人の失敗を喜び、ギラギラと自家の所得増、家電の購入ばかりに腐心していた餓鬼の群れ。昭和の獰猛な庶民像がそのリアルな、狡猾さをたたえた目に鮮明に凝縮されているような気がしました。  諸星さんの作品群はやはり期待通りに素晴らしかった。坂本、山田両氏の、すぐれてはいるが人を圧する凶々しさは諸星さんの作品から発散して