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情景作家展

「ひるまえほっと」でやってた紹介に惹かれ、旧新橋停車場鉄道歴史展示室の「情景作家」展を見に行った。

http://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/

 諸星昭弘の個展だと思って行ったら合同展であった。

 戸塚恵子さんのミニチュアには愛があるね。商家(一階が商店で二階が住居)への愛はもう、フェティシズムの域に入っている。電球色にこだわった小さな照明に本気を感じました。

 坂本衛氏の展示は……うーん。自身原稿を書いたと思われる自己紹介文には「地位もなく学歴もなく」云々、「しかし鉄道模型にそんなものは必要ない! それは万人に、貧者にも開かれた趣味だ!」とかき口説くように記されている。「そんなものなくてもひとは幸せになれる」と筆者が強調するほどに、苦労人の、地位と学歴に対する泣かんばかりの憧れは隠すべくもない。坂本氏のジオラマがなにより雄弁に語っている。これはひとつの神秘主義だ。鉄道模型にどす黒い階級憎悪、ルサンチマンが表現されているのである。作者の怨念は見たものに非言語的に、瞬時に伝わる。気の弱い人は卒倒する可能性がある。
 なんだ、この暗さは。
 希望の光ひとつ射さない晦暗の農村。それを一切見まいと、ただ前をのみ向いて寡黙に驀進する日本国有鉄道の蒸気機関車。それはのどかな昭和の情景を切り取ったジオラマであるはずなのに、印象としては紛れもなくいまの北朝鮮だ。
 鉄道模型は作者の憤怒、憎悪、絶望を容れる器となる。そういう表現のメディアたりうる。期せずして今日俺はそういう衝撃の事実を知ることになった。

 山田卓司描く昭和レトロの風景からも俺は時代の陰惨を感じずにはいられなかった。
 あの頃は貧しくともみんな穏やかでひとの心は暖かかった。そんなオルウェイズな記憶変造をぶちこわしあの時代のリアルにひとのこころを召喚する力が山田の作品にはある。老若男女、全員がヤクザ顔だからだ。
 生き馬の目を抜き、人の失敗を喜び、ギラギラと自家の所得増、家電の購入ばかりに腐心していた餓鬼の群れ。昭和の獰猛な庶民像がそのリアルな、狡猾さをたたえた目に鮮明に凝縮されているような気がしました。

 諸星さんの作品群はやはり期待通りに素晴らしかった。坂本、山田両氏の、すぐれてはいるが人を圧する凶々しさは諸星さんの作品から発散していない。
 模型。型を模する、という言葉が先行して、言葉に逆にがんじがらめに絡め取られて、正確な採寸やら加工技術やらの無間地獄にモデラーという人種はたぶんはまり込んでしまうことが往々にしてあるのではないか。そしてたぶん諸星さんは、ある日、その地獄から生還することができた。
 自分でつくるのだから、自分の好きなようにつくればいいのではないか?
 このコロンブスの卵的、コペルニクス的転回を遂げた諸星さんの造形物を規定する言葉はまだ生まれていないのだと思う。模型、ではない。ゆかしいなにものかの再現ではあるのだが、それはただの似姿ではないのだ。


 喉を湿そうと併設のライオンに入ろうとしたら五時まで準備中とのことで、隣接する汐留シティーセンターに向かうとそこも飲食テナントに随分空き、未入居が目立った。できたばかりなのかなと思ったら完成は2004年。ウィキには「オフィステナントには完成前に90%が埋まるほどの人気を博した」とあるのだが。
 久しぶりの新橋。新橋に限らずどうも都心、最新巨大ビル建ち過ぎな気がする。オフィス需要、そんなないでしょうに。
 一方西口の変わらなさっぷり、というか「さびれるにまかせ」っぷりは、これはこれで問題な気がした。新橋駅舎も山手線の他の駅の変貌ぶりを見れば不自然とも思える放置ぶりだ。
 新橋、なにか特殊事情を抱えているのだろうか。新小岩駅が古ぼけたまま放置されているその事情と同じような。

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