まず最初に、監督の名前をはっきりさせておこう。ギャレスエドワーズ。ギャレスエドワーズね。
俺はもう絶対忘れないぞ。忘れないようにするぞ。
ぽかんと時間空いたからさ。観に行くつもりなかったけどつい魔が差してさ。
席についたら案の定近くのアベック、男が女に薀蓄傾け。なんなんだろうね、「俺こんなにもの知ってんだぞ」って連れに自慢したがる心性。気が重かったよ。「うるせえバカ!」って上映中に怒鳴らなきゃいけなくなるの。
でもそれ杞憂だったわ。いいよ、しゃべってて。なんならセックスしてもいいよ。そっち観てたほうがいい。この異常につまらないフィルム眺めてるよりは。
あのね。金払って映画館入ってね。途中で帰りたくなったの俺ァ生まれて初めてだよ!
なによ冒頭のジャパン、ジャジンジャ、とかいうの。なんだっけ。ああ、ジャンジラだった。なんだジャンジラって。バルハラか。シャングリラか。「そんな地名ねえよ」っつー地名。変なニホン。
アメリカ人というファンクションにシズオカ、ハママツってインプットすると、ジャンジラって出力すんのかな。どういう耳よ。脳よ。
これに続く扉シーケンスでもう「帰ったほうがいいかな」思ったよね。んでその予感当たったわけだけど嬉しくもなんともないよね。
この「玄関厳重に鋼鉄製にして勝手口の木戸開けっ放し」みたいな演出が終わりまで繰り返し繰り返し続くよね。ギャグ? それとも監督の知能が異常に低いの? 俺は後者だと思う。
やっぱあれですか。怪獣の、ゴジラの映画撮りたいって手合い、少なくともアメリカの場合勉強できなかった子に限られるわけ?
軍隊ってさ、米軍ってさ、原隊離れた私服姿でも顔パスでいろんなとこ出入りできるわけ?
どういうわけかこいつ(主人公。以下、「バカ」と表記)どこでも厚遇される。「君が来てくれたらもう安心だ」とか言われる。でも変だよね。そんな上級士官でもプロフェッショナルな設定でもなさそうだし。実際結局何もできなかったわけだし。この「俺様重要人物」な世界観、なんらかの精神疾患が疑われるよね。根拠の無い万能感。いろいろとこの馬鹿、認知が歪んでる。世界を歪んで認識している。
列車上の弾頭通りすがりに一瞥しただけで「その起爆装置じゃダメだ。こっちに付け替えなきゃ」とかって。もう優秀な兵士通り越して霊能者の域に踏み込んでる。大体一兵卒が重要作戦のそんな重大な変更、現場で勝手にやっちゃってさあ。
これね、絶対現実の出来事じゃないの。「あの巨大怪獣が現れたとき、父さん……」っつって下っ端兵士が家族の前で自慢話してるだけなの。
「明日の朝までに必ず帰るからそこ動くなよ」っつってそのまま軍事行動に出陣するバカ。行動、意志のインテグレーションが完全に失調してる。
「もう一度調べてください」。フィーマのひとの邪魔すんじゃねえよ。帰るなら帰る、仕事するなら仕事する、やることひとつに集中しろよ。お前は多動性なんとかなのか。
感動の再会じゃないよね。奥さん、スタジアムでまっすぐ駆け寄ってそのまま拳骨で歯アへし折っていいよね。「死ねよ馬鹿!」っつって。
バス。車内いくらガキんちょうるさくったってさあ、交通誘導の手信号見る障害にはならんでしょう。「なに、なんだって?」じゃねえよ。耳に手え当てんなよ。
「ないわー。ありえんわー。信じらんないわー」。あきれましたわー、ちゅて天を仰ぐ敷島? 笹沢? 忘れたわ。ああ思い出した。芹沢博士の助手ねえちゃん。態度悪いよねえ。すっげームカついた。「対案があるのならもちろん是非聞かせて欲しい。我々は核の使用を好んで選択しているわけではないのだ」。軍人さんの方が百パー正論、理性的、紳士的。ねえちゃんそれには答えねえでただ「あー軍人バカ、ほんとバカ、話なんねー」の態度キープするのみ。これは無能かつ人格に障害がある。
撤収完了しました! 言ってるそばからひと、武藤のそばにようけおるし。撤収してねえし。
「無人機を飛ばせ! 映像が欲しい」って映像観ながら言ってるし。そこヘリも兵員ももういるし。
「ロストしました!」。言ってるそばからターゲットをしっかり追尾している映像。ロストしてねえじゃん。こいつらのセリフ聴いてるともう気が狂いそうになる。
……って、もうケチつけだしたらキリがないよ、この映画。全篇これだもの。アルマゲとおんなじくらいうんざり。
こういうクソ映画はあってもいいよ。でもなにより失望は、割と自分の信頼してた人々が「結構良かった」の声を発していたこと。それでつい気を許して観に来てしまったこと。
もう、何を信じていいんだか。
エメリッヒショック、そういうのがあるのかもね。だから、「ちゃんとゴジラじゃん! ゴジラの形してんじゃん」「鳴き声ゴジラじゃん!」「火ィ吹くじゃん」って、当たり前のことが凄いことのようにカウントされる。作品評価がそれで大甘になってしまう。
要するに子供が砂場で怪獣ごっこしてるのを二時間強制的に観させられてるんだよな、これ。んで「用語がおかしい」「失探って意味わかってる?」「科学的にありえねえだろ」って子供の遊びにいちいち文句つけてるのが俺の立ち位置。おっきいお兄ちゃん。お母さん警察に通報。
間違ってるよ。俺が間違ってるよ。でもさあ、子供が億単位の予算使って映画撮るの、そっちのほうがおかしいだろ、そもそも。
主人公のバカ、監督の似姿なんじゃないかなあ。あのねえ、絶対奥さん子供から嫌われてる。「お父さんわたしの歯ブラシ使わないでってもう五百回以上言ってんじゃない!」「なんでスープを灰皿にするんです!」ある日奥さん子供家出てっちゃうよ。でもまだ気づかないの。「なんでかなあ。なにも悪いことしてないのになあ。こんなに家族を愛してるのになあ」。異常に鈍感な父親。
完全に言いがかりだけどさあ。でもそういうものを、異常な無神経の集積みたいなものを、この映画から感じて仕方がないのです。
ヒトが核の炎を手にした、そのことが太古の巨大生物を地底から蘇らせた。米ソ核競争の目的はこの好放射能生物の殲滅にあった。そして復活した、ナチュラルイコリブリアムを回復する存在としてのゴジラ。……この基本設定はいい。整合性のある、うまい大ネタを考えついたな、と思う。ところが。
話の骨格がしっかりしていれば細部が多少粗雑でも映画は面白くなる。俺はそう思っていた。でもどうやらそうではないらしい。この映画、骨格はそのように太いのに、マチエールがあまりに杜撰でいいかげんで、印象はひたすらみすぼらしいものとなっている。映画の本質とは骨格よりも枝葉を丁寧に仕上げるところにこそどうやらあるらしい。
この映画に限らずビッグバジェットの不思議って、なんでこの脚本で製作にゴーがでるかなあ? ってこと。金かかるほどあらゆるものに厳しいチェックが入り、っていうのが俺なんか素人の想像だけど、現実は逆に超大作ほど学芸会レベルの稚拙が許される傾向にある。ここらへんのメカニズムはとっくに秘宝が解明しているものと思うが。
欧米メディアの健全な反応にひと安心。
俺はもう絶対忘れないぞ。忘れないようにするぞ。
ぽかんと時間空いたからさ。観に行くつもりなかったけどつい魔が差してさ。
席についたら案の定近くのアベック、男が女に薀蓄傾け。なんなんだろうね、「俺こんなにもの知ってんだぞ」って連れに自慢したがる心性。気が重かったよ。「うるせえバカ!」って上映中に怒鳴らなきゃいけなくなるの。
でもそれ杞憂だったわ。いいよ、しゃべってて。なんならセックスしてもいいよ。そっち観てたほうがいい。この異常につまらないフィルム眺めてるよりは。
あのね。金払って映画館入ってね。途中で帰りたくなったの俺ァ生まれて初めてだよ!
なによ冒頭のジャパン、ジャジンジャ、とかいうの。なんだっけ。ああ、ジャンジラだった。なんだジャンジラって。バルハラか。シャングリラか。「そんな地名ねえよ」っつー地名。変なニホン。
アメリカ人というファンクションにシズオカ、ハママツってインプットすると、ジャンジラって出力すんのかな。どういう耳よ。脳よ。
これに続く扉シーケンスでもう「帰ったほうがいいかな」思ったよね。んでその予感当たったわけだけど嬉しくもなんともないよね。
この「玄関厳重に鋼鉄製にして勝手口の木戸開けっ放し」みたいな演出が終わりまで繰り返し繰り返し続くよね。ギャグ? それとも監督の知能が異常に低いの? 俺は後者だと思う。
やっぱあれですか。怪獣の、ゴジラの映画撮りたいって手合い、少なくともアメリカの場合勉強できなかった子に限られるわけ?
軍隊ってさ、米軍ってさ、原隊離れた私服姿でも顔パスでいろんなとこ出入りできるわけ?
どういうわけかこいつ(主人公。以下、「バカ」と表記)どこでも厚遇される。「君が来てくれたらもう安心だ」とか言われる。でも変だよね。そんな上級士官でもプロフェッショナルな設定でもなさそうだし。実際結局何もできなかったわけだし。この「俺様重要人物」な世界観、なんらかの精神疾患が疑われるよね。根拠の無い万能感。いろいろとこの馬鹿、認知が歪んでる。世界を歪んで認識している。
列車上の弾頭通りすがりに一瞥しただけで「その起爆装置じゃダメだ。こっちに付け替えなきゃ」とかって。もう優秀な兵士通り越して霊能者の域に踏み込んでる。大体一兵卒が重要作戦のそんな重大な変更、現場で勝手にやっちゃってさあ。
これね、絶対現実の出来事じゃないの。「あの巨大怪獣が現れたとき、父さん……」っつって下っ端兵士が家族の前で自慢話してるだけなの。
「明日の朝までに必ず帰るからそこ動くなよ」っつってそのまま軍事行動に出陣するバカ。行動、意志のインテグレーションが完全に失調してる。
「もう一度調べてください」。フィーマのひとの邪魔すんじゃねえよ。帰るなら帰る、仕事するなら仕事する、やることひとつに集中しろよ。お前は多動性なんとかなのか。
感動の再会じゃないよね。奥さん、スタジアムでまっすぐ駆け寄ってそのまま拳骨で歯アへし折っていいよね。「死ねよ馬鹿!」っつって。
バス。車内いくらガキんちょうるさくったってさあ、交通誘導の手信号見る障害にはならんでしょう。「なに、なんだって?」じゃねえよ。耳に手え当てんなよ。
「ないわー。ありえんわー。信じらんないわー」。あきれましたわー、ちゅて天を仰ぐ敷島? 笹沢? 忘れたわ。ああ思い出した。芹沢博士の助手ねえちゃん。態度悪いよねえ。すっげームカついた。「対案があるのならもちろん是非聞かせて欲しい。我々は核の使用を好んで選択しているわけではないのだ」。軍人さんの方が百パー正論、理性的、紳士的。ねえちゃんそれには答えねえでただ「あー軍人バカ、ほんとバカ、話なんねー」の態度キープするのみ。これは無能かつ人格に障害がある。
撤収完了しました! 言ってるそばからひと、武藤のそばにようけおるし。撤収してねえし。
「無人機を飛ばせ! 映像が欲しい」って映像観ながら言ってるし。そこヘリも兵員ももういるし。
「ロストしました!」。言ってるそばからターゲットをしっかり追尾している映像。ロストしてねえじゃん。こいつらのセリフ聴いてるともう気が狂いそうになる。
……って、もうケチつけだしたらキリがないよ、この映画。全篇これだもの。アルマゲとおんなじくらいうんざり。
こういうクソ映画はあってもいいよ。でもなにより失望は、割と自分の信頼してた人々が「結構良かった」の声を発していたこと。それでつい気を許して観に来てしまったこと。
もう、何を信じていいんだか。
エメリッヒショック、そういうのがあるのかもね。だから、「ちゃんとゴジラじゃん! ゴジラの形してんじゃん」「鳴き声ゴジラじゃん!」「火ィ吹くじゃん」って、当たり前のことが凄いことのようにカウントされる。作品評価がそれで大甘になってしまう。
要するに子供が砂場で怪獣ごっこしてるのを二時間強制的に観させられてるんだよな、これ。んで「用語がおかしい」「失探って意味わかってる?」「科学的にありえねえだろ」って子供の遊びにいちいち文句つけてるのが俺の立ち位置。おっきいお兄ちゃん。お母さん警察に通報。
間違ってるよ。俺が間違ってるよ。でもさあ、子供が億単位の予算使って映画撮るの、そっちのほうがおかしいだろ、そもそも。
主人公のバカ、監督の似姿なんじゃないかなあ。あのねえ、絶対奥さん子供から嫌われてる。「お父さんわたしの歯ブラシ使わないでってもう五百回以上言ってんじゃない!」「なんでスープを灰皿にするんです!」ある日奥さん子供家出てっちゃうよ。でもまだ気づかないの。「なんでかなあ。なにも悪いことしてないのになあ。こんなに家族を愛してるのになあ」。異常に鈍感な父親。
完全に言いがかりだけどさあ。でもそういうものを、異常な無神経の集積みたいなものを、この映画から感じて仕方がないのです。
ヒトが核の炎を手にした、そのことが太古の巨大生物を地底から蘇らせた。米ソ核競争の目的はこの好放射能生物の殲滅にあった。そして復活した、ナチュラルイコリブリアムを回復する存在としてのゴジラ。……この基本設定はいい。整合性のある、うまい大ネタを考えついたな、と思う。ところが。
話の骨格がしっかりしていれば細部が多少粗雑でも映画は面白くなる。俺はそう思っていた。でもどうやらそうではないらしい。この映画、骨格はそのように太いのに、マチエールがあまりに杜撰でいいかげんで、印象はひたすらみすぼらしいものとなっている。映画の本質とは骨格よりも枝葉を丁寧に仕上げるところにこそどうやらあるらしい。
この映画に限らずビッグバジェットの不思議って、なんでこの脚本で製作にゴーがでるかなあ? ってこと。金かかるほどあらゆるものに厳しいチェックが入り、っていうのが俺なんか素人の想像だけど、現実は逆に超大作ほど学芸会レベルの稚拙が許される傾向にある。ここらへんのメカニズムはとっくに秘宝が解明しているものと思うが。
欧米メディアの健全な反応にひと安心。
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