[プロジェクトヘイルメアリーをこれから読む方へ]
早川書房の訳書上下巻(少なくとも電子版は。紙の方もたぶん)、冒頭に二葉「挿し絵」があります。それ、見ないように、読まないように。ネタバレだから。なるべく見ないようページをめくり、文章から、本文から読み始めることをお勧めします。
さて。以下の感想もヘイルメアリー及び三体三部作のネタバレです。
12月初めにツイッター経由で本書の存在を知り直ちに購入。アンディーウィアーの前作に惚れ込んだ身からすればこれが面白くないはずがない。そしてやっぱり面白かった。期待以上に面白かった。年末年始のお楽しみにしようと思っていたら面白さのあまり今日大晦日に、年内に読了してしまった。
来年、これを超える作品に出会えるのか? はなはだ疑問だ。
もちろん今年度最高傑作。死神永生を超えた。死神永生に圧倒されながらもなにかしら物足りなさを、胸のつかえを感じていたその胸のつかえを一気に洗い流してくれる快作。そう、快作。こころよいのだ。心地よいのだ。爽やかな感動。
終章に至るまでの科学的ギミックをなにひとつ理解できなかった者でも、ただ読み通す膂力さえあればこの感動にたどり着けるはずだ。だってこれは友情の、人情の物語。12光年を股にかけた男の熱い浪花節だから。
黒暗森林で俺達はこの宇宙の現実を叩き込まれた。渡る宇宙は鬼ばかりだと。ともかく誰かが、何かがいたら、考えるな、すぐに引き金を引けと。その殺伐とした宇宙の公理を超克する大団円の展開があるかと期待した我々が死神永生で見たものは……これ以上は語るまい。
そう、プロジェクトヘイルメアリーは「三体」へのアンサーソングなのだ。俺たちには絶望しかないのか? 俺たちはただ生きんがために屠り合うしかないのか? 相手の技術爆発を恐れ猜疑連鎖の地獄を彷徨うしかないのか? アンディーウィアーはひとつの回答を示した。黒暗森林理論を無効にする超理論、新理論。それは友情だと。人の情けだと。
甘ったるい砂糖菓子のような結論か? しかし作者の筆致はそれを十全に説得力ある形で俺たちに叩き込んでくれた。溢れる感動と共に。
この師走に丸々一ヶ月かけて俺は12光年を亜光速で旅し、ウィアーの結論を身を持って体感したのだ。
ウィアーは決して現実から目を逸らして夢ばかり見ているわけではない。ストラット(彼女は面壁者の地位を獲得できたトマスウェイドであり警報と同時に引き金を躊躇なく引ける程心でもある)はその歴史講義で黒暗森林理論の全面的正しさを追認している。殺らなければ殺られる。食うか食われるか。人類史、それは食料の奪い合い。ミッションの成否を見る前に人間は早々に殺し合いを始めかねない。そうなればたとえビートルズが戻ってもそれを回収し対策を実施する国際宇宙機関は崩壊している。
そう、ビートルズ。
劉慈欣(りゅうじきん、リウツーシン)とアンディーウィアーの間に、三体とヘイルメアリーの間に一線を引くもの。
冒頭の献辞に掲げられた四人の名が、そのスピリッツが、ロックンロールとカウンターカルチャーが、劉慈欣の冷厳な知性、絶望に対する反訴をウィアーから辛くも絞り出すのではないか。
現実は厳しい。この世は地獄だ。でも、それでも! と。「駄目元やけくそプロジェクト」なるタイトルをこの特攻作戦に付けるセンス。絶望を踏まえた楽天性。これこそが読む者を力強く励ましてくれるアンディーウィアーの美質、魅力なのである(劉慈欣のためにあえて弁ずるなら彼もまたメインカルチャーのみならずカウンターカルチャーへの造詣深く、実のところ精神の姿勢はウィアーと同じ方向を向いている。雲天明の国連本会議場ライブアクトはジョンライドンのそれに匹敵する。ある意味劉慈欣はウィアーの先を行っている。「人類のためにィ? くたばれ、人類!」)
あそこで終幕なのがまたいい。映画オデッセイのエンディング(小説には存在しなかった)と完全一致のオマージュ(つまりリドリースコットの映画版に原作者が敬意を捧げている)。ここから逆算してすべてのプロットを組み上げたのかと思うくらい。
彼が帰るかどうか、そんなことは二の次になるくらいの素晴らしい着地点だ。
予定されている映画も、誰がメガホンを執るにせよラストはここをカット割りからアングルまで忠実に模倣するはずだ。否、しなければならない。そうすることで初めて意味をなすシーンなのだから。
異星で闘うグレースと打ち上げに至る地球のドラマがカットバックする構成もマーシャン(火星人)とそっくり同じ。自家薬籠中のなんとやら、慣れた職人の老練な手付きで危なげがない。
大傑作だが大いなる不満はおそらく訳書を読んだ人すべてが感ずるところのものだと思う。冒頭二頁。なんだよあの図解! 俺、あれ目にして途中まで図を読んで「やばい!」って心のアラームが鳴ってすぐ中途で中断、頁をめくって本文から読みだしたよ。予感は的中。全部ネタバレ。
せめて巻末なり下巻のみの収載だったら歓迎もされたろうに。あの図のせいでストーリー展開のほとんどがわかってしまう。上巻三分の一を占める自分は誰? ここはいったい何? という謎解きと自分探しの興奮が台無しである。
こんなん英語原典には絶対ないだろ! 勝手なことすんじゃないよハヤカワ! と思ったら……あったわ。Ballantine Books (2021/5/4発売)版電子書籍。冒頭にあるのはハヤカワのそれとまったくおんなじ図。つかもちろんこっちが先ね。
いやー、これはどうなの? アンディーウィアーオッケー出したのかなあ。もったいないなあ。
さて、記憶喪失。記憶の開示具合がずいぶん順繰りにご都合主義だなと思っていたらまさかの。
ちゃんと理由があった。
前作火星の人を貫く「隕石の衝突とかそういうのはなし。アクシデントが起こるとすればそれはその種が予め胚胎していた、避けようのない形で起こる」ドラマツルギーが今回も忠実に守られている。
グレースを後半これでもかと襲う絶望状況。「もうやめてくれよ! かわいそうだろ」と悲鳴を上げる俺。しかし、「臆病者」の烙印を押された男がだからこそここで侠気(おとこぎ)を見せるのだ。すべての艱難はこの瞬間のためにあった。
長い読書の途中で「これ、この先こういう展開になるんじゃないか?」と予想したことがある。
グレースはミッションに成功し帰還するのだが、地球は地球でプロジェクトの成否に関わりなく窮地を乗り越えている。そんな展開。
じゃあプロジェクトヘイルメアリーは無駄だったのか? そうであって、そうじゃない。この人類糾合巨大プロジェクトを実行したからこそ、プロジェクトの余波、成果、インフラ、レガシーが人類生存のブレークスルーを可能にする。そういう、ある種三体問題的な展開。
まあこの予想は全然はずれたけど、そういうのもSFとしてありじゃないかと思ったりする(ファウンデーションの第2巻がそれに近い話だったねそう言えば)。
エクセルの載ったPC。現有する人類の科学機器(それもコモディティー化した!)で異星人との意思疎通は比較的短期間に、十全にできる。その雄弁な描写に驚いた。
異星人、の部分を外国人、に置き換えてみれば確かにこれは不思議でもなんでもない。異星人とはつまり「姿カタチが大幅に違う外国人」でしかないからだ。
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