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 両国の北斎美術館に行った。
 線路沿いに建つアルミ外観の特徴的な建物。
 内部は外観の威容に反して三階建ての小美術館。
 三階の常設展示室であの富士山の波のあれの実物が見れる。
 現物は思ってたのより小さいのね。

 ここの目玉はしかしあれですよ、予想もしていなかった、メカ北斎!
 動くんですよ、北斎も、その娘さんも。
 これはみなさん、是非現物を観に来てください。室内にゴミが散乱してるところまで当時を忠実に再現した、ロボ北斎親子の部屋。
 常設展は400円と安いし。





 物販も充実。

 版画という複製芸術は庶民に安価で上質な室内慰謝の所有を可能ならしめた。この点で日本は世界に先駆けて先進的であったと思う。
 ヴィヴィッドな色づかいは衝撃とともにゴッホや印象派に強く影響したはずだが、さてでは、欧州ではこの版画の形式それ自体を模倣、製作しようという芸術運動はなかったのであろうか。影響は一点ものの肉筆画にとどまるものであったのだろうか。

追記: アンリリヴィエールというひとがまさに独学で浮世絵版画を追慕、模倣、製作に至ったひとらしい。

2017年9月18日追記: NHKで立て続けに北斎関連の特集、ドラマが続いている。北斎は西洋絵画に衝撃を受けその影響を強く受けたらしい。
 日本人が西洋の評価を経て浮世絵を「発見」したように、西洋人も自分たちの気づかなかった西洋絵画の美質を北斎から再発見したのかもしれない。

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