伝説のケッセルランを描くことに焦点を絞ったのも良かったし、もうひとつのテーマもまた良かった。すなわち、the birth of rebel. Revel awaken. 叛逆の狼煙。
この作品でまたひとつSWサーガが再構築、脱構築された感じがあんだよね。つまり、反抗にフォースは要しないということ。最後のジェダイでも示唆されたテーマ。
プリクエル時代の意味も変わってくる。ジェダイなるものが、叛逆勢力に擦り寄っていいかげんなスピリチュアルを吹き込んだ淫祠邪教である可能性。「奴らァ悪のフォースで銀河を支配しようとしていやす。あっしら善のフォースでみなさんをお助けいたしやすぜ」と。
教団が武器商人と、いなそれどころかシスの暗黒卿とも結託し巨利を貪っていたとしてももはや怪しむに足りない。
であれば、反省悔悟したヨーダは教団の神聖な祠も聖書も焼き払って惜しむところがなかった。ルークだってその構造に気づいたからこそその挙に出ようとしていたのではなかったか。与太話に振り回された自身の生涯にピリオドを打つために。
ロン"話が長げえ"ハワード監督にひとつ取り柄があるとすれば、格別作家性を感じさせないとこかなあ。話が長げえ以外には。
いらんことせず発注主の仕様通りに納品する。それは長所ですよ。自己実現の手段として、自分を何より語りたい凡百の監督に比べたら。
主人公は誰? ハンソロでありチューバッカなんだよね。それをなぜかほっぽりだして自分語りし始める個性豊かな監督とかがいるわけよ世の中には。
例えば……押井守に監督させたと思いねえこれを。全然関係ねえ脇役が東京湾岸の打ち捨てられた風景の中ボソボソ独白しながら歩き回るんだわ。「正義……正義って、誰にとっての?」とかめっちゃ幼いこと大層な発見のように語りながら。
「ミレニアムファルコンvsタイファイターのテーマ」がラストジェダイに続き本作でもケッセルランで勇壮に流れる。わかってるねえ、と嬉しくなる。
スターウォーズとは何か? ミレニアムファルコンの映画なのだ。配管剥き出し空飛ぶ町工場の。プリクエルが、そして今季SWシリーズがはっきりさせたことがそれだ。ファルコンの不在、それはもはやスターウォーズとして成立しない。
なによりローグワンが退屈(もっかい観よういう気に全然なんない)だったからね。サイドストーリーだからあまり期待せず観た、ってことも併せればまあまあの出来だったんじゃないでしょうか。ソロ。
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