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動画が白っぽく見える問題とPowerDVD(白っぽいシリーズ、その2 暗闘地獄篇)

※以下の記事には依然勘違い、誤り、錯誤が含まれています。陥りやすい迷妄のひとつとして残しますので、同病罹患の方のご参考にご笑覧ください。ではどうぞ。(迷妄を脱した最終解決篇はこちら

   *  *  *

 今日PC上の動画再生について飛躍的な発見があった。いや、俺の中でね。
 動画が白っぽく見えて見えて違和感があってしょうがないの、よーやっともうひとつの巨大な原因が判明したよ。
 判明してたひとつはHDMI&グラフィック設定の問題だけど、たぶん今回の発見こそが動画白くなる原因の殆どを占めていた感触。ごめんね、HDMI。いままで過剰に憎んでいて。

 PowerDVD様がさ、リアルタイムに明度とかなんとか自動補正してくださってたの! 道理で締まった黒であるはずの場面が白っちゃけちゃうはずだよ!
 なにげに今日初めて、VLCメディアプレイヤーで動画再生してみたの。そしたらもう全然違う。霧が晴れたよう。すべての原因がわかったのと併せて本当の意味で霧が晴れた。
 暗い場面はちゃんと暗く。
 それをさ、PowerDVD様はさ、ご丁寧に「どうだ明るくなっただろう」ってお札に火ィ点けたんかなんか知らんけどいちいちいちいち画面調整してくれてたってわけさ。おかげでずーっと動画には一枚紗がかかってるというさ。

 ならVLC常用すればいいじゃん、って話なんだけど、先般クラッシュしたままでもう使用できない。安定度に欠けるしやはり使い勝手が悪い。
 まだ何がどうなってんのか正確に把握している自信もないからなんもかんもパワーDVDさんにおっ被せるのもフェアでないし。

 PowerDVDの設定画面、映像処理、味付けの選択肢がなまじ多いんで俺にはお手上げだよ。
 明らかにプログレッシブであるソースにデインターレースを掛けるのって意味あんのか。むしろオフった方がいいのか。オフるべきなのか。
 ハードウェア動画再生支援ってどういう支援をしているのか。画質、明度の修正までおせっかいに踏み込んでいるものなのか(どうもそんな感じっぽい)。
 すべての補正、修正をオフってソースそのまま、生(き)のまま観るにはどう設定すればいいのか。
 そういう諸々がまるで判断がつかないし、ググればむしろ真偽不明の怪しげな超理論にぶつかったりして解決から遠のくばかりだし。
 そういう意味では「ブルーレイディスクの再生時には味付けの自由度が極端に制限される」仕様、俺には大歓迎なんだよね。映像インスージアスト様たちには気に入らなくてもさ。
 出荷者、製作者が意図した通りの暗色表現、色味、アスペクト比等々がエンドユーザーにおいて正確に再生されるの、俺にはむしろ望ましいのよ。何が正解かわかんない中で「あなたの好きなように再生条件、パラメーターいじっていいのよ」言われたってシロウトは混乱するばかりだよ。
 ハリウッド様なり権利者様なりにおかれては、もっと強力な拘束力ある仕様の徹底をこそ俺はむしろ期待したいね。この機器、このソフト、この接続コード、このディスプレイ。このシール貼ってある製品を上流から下流まで使用すれば色味等すべて出荷者の意図通りのもんが正確に再現されます、あなたはもうなにも考えなくていいんですいう規格。
 まあHDMI規格がまさにそういうこと意図したもんなんだろうけど、PCっていう自由度の高い機器とどうしてもそこらへん思想がバッティングして現状こういう混乱、使い勝手の悪さが生じちゃってんだろうね。とか思うけど、この認識も間違ってる? 俺。

 仄聞するにマッキントッシュにおいてはそういう色管理の思想が徹底しているらしい。ウィンドウズにおかれましては極めてルーズで場当たり的でみんなが「大体こんな感じなんじゃねえ?」ってひとつの赤を各人各機器てんでんばらばらな色味で見てる、そんな状況らしい。知らんけど。よお知らんけど。



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