星を追うなんたらで「新海誠はもうだめだ」と見限っていたのだが、「君の名は。」まさかのビッグヒット。ほんとにおもろいの? と疑って先延ばしにしてきたが、テレ朝の録画いま頃見たら意外にも良かった。なるほど、これは売れるわ。
「大林の二番煎じかー。何をいまさら」と思ったらこれ、うまいことミスリーディングだったんだよね。やられた。まさかね。単純な入れ替わりじゃなく、三年ずれてたのがキモ。
そしてこのズレによりうまいこと「やりなおし」ができる。うまいこと考えよった。
「秒速5センチメートル」のセルフリメイク、ブラッシュアップ、メジャーアップデート版という感じかな。共通するいくつかの要素がある。
ミュージックビデオというフォーマットへの着目。
婚約指輪。
代々木界隈への執心。
そして勿論違うところも。何より、ハッピーエンドになった。ふたりはもう外れものじゃないし。
自分が作りたいもの、から売れるもの、へ。劇場映画としてのクオリティーを確保したものへ。その作戦なり狙いなりがドンピシャにハマったのだろう。
確かに。5cmはいい作品だけれどメジャー受けはしない。男は傷つきボロボロになってもなお蒼穹に夢を追い女は現実と賢く握手、なんて、俺は大喜び、大爆笑だけどラブストーリーとして大衆が受容するはずがない。
中央線快速と総武線各駅停車の並走邂逅。感動的なクライマックスであると同時に野暮な疑問もある。瀧は御苑越しに東京タワーを望める結構いいマンション住まい(俺の推測。四ツ谷の公務員官舎住まいという情報もあり、それは彼が新宿駅下車の高校に通う事と符合はする。しかし最初の邂逅時夕刻、四ツ谷で中学生の瀧は下車しないし乗ってるのは代々木にも止まる各停)。その彼が新宿駅から(これも俺の推測)中央線に乗り代々木を通過(ただし快速からはスレート壁で隔てられて代々木駅構内は見えないはず)後並走する総武線のみつはに遭遇し新宿駅で下車(これは画面から確か)し四谷須賀神社方向に駆け出すのがちょっと解せない二重に解せない。俺はなんか勘違いしてんのか?(瀧の乗ってたのが快速でなく山手線の可能性もあるが、それはそれでまた別の矛盾が生じる。)彼の下車駅が四ツ谷なら千駄ヶ谷からくる彼女との中間地点が須賀神社でちょうど符合するのだが。まあどうでもいいけど。「そういうトリビアルな指摘はこのドラマを論評する上であまり意味がない」という立場に俺は与する。
実のところ、このショートフィルム部分だけで一本のフィルムとして立派に完結してるんだよね。ここに至るまでの二時間何分はだから説得力を補うためのつけたり。なんで昔隕石落ちたとこにまた? とか設定が甘かったり矛盾してたりおざなりだったりするのはたぶんそういう理由。
神木君とかいうのはあんまうまいとは思わなかったけど(でも仕方ない。キャスティングもチケット売るための必要悪)宮水三葉を演ずる上白石萌音は素晴らしかったね(特に中身が立花瀧の時)。声優を名乗る資格が十分にある。
先輩と級友、入れ替わりの次第を話されスッと納得したのか。
クラスメイトふたり、彗星墜落の予言を聞かされスッと納得したのか。
これも疑問の残る点だが、ここらへん納得させるためのありきたりなすったもんだを見せられるよりはパッと全カットしてくれたのはむしろいい演出であるとも思う。それは最後父親の決断部分についても言える。
天頂を通過し地平線に消えようとする彗星、たとえ分割したにしてもあの位置からこっちに落ちてくることはない(慣性の法則©大泉洋)と思うんだけど、まあこれもそういうトリビアルな指摘は(以下略)。
星を追うなんたらがあんまり破綻(トリビアルな設定矛盾ではなく、肝心のストーリー上のそれ)に満ちていたのに比べたら、こっちはほぼ破綻のない良作だったと言えると思う。ていうか星追いがひど過ぎたんだよね。なんだったんだろう。新海誠、あの時期ノイローゼかなんかだったんかね。出来栄えがあまりに違い過ぎる。
先輩と級友があのあと喧嘩して別々に帰ったとか、意味深なようでたぶん何の意味もなかったんだろうし、そもそもあのふたりついてこなくてよかったよねと思う。でもまあそういうトリビアルな(以下略)。要らん描写だったかなあとは思う。
ともかくまあ、意外に良かったんでちょっと意外だったです。おわり。
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