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11月, 2019の投稿を表示しています
3月のライオン第2シリーズ第7話。 零君の視界が真っ赤になったのと同時に俺の血も逆流し怒髪が天を衝いた。 なんだよ協調性って! クソ教師! いまこの言葉こそがこれほどふさわしい場面もない。日本死ね! 蜂に毒づく零君も楽しかった。 「ひとりキャンプで食って寝る」第7話、「西伊豆でコンビーフユッケ」。 んー。 なんかもうちょっと、なんとかならんのか。 何も起こらないことはそれでいいの。そのコンセプトはいいの。キャンプして飯食って寝るのはそれでいいの。でも、その、何も起こらないなりの面白さってもんがあんじゃん。 「孤独のグルメ」にはそれがあって、これにはそれがない。 今回もただひたすらクソ女のくそっぷりが鼻についただけで(そういう女、ちゅう設定はあるにしても)。ひとに指図してインスタ映えばっか気にして寝かしてもらったのに礼も言わず。 ケンタ君が髪いじったとこも妙にキモいだけで。何もしないならしないで通せよ。 何も起こらない。に耐えきれず、どうしても月並みなドラマつくっちゃうとこが駄目なんかもしらん。 設営、調理、食事、ため息。所作と映像が雄弁に語る、その力を信じ切ることができない。そこが敗因なのかもしらん。
WS&SKOS。 追悼、ジェリーマギー。 「宇宙行きたいですか」「いえ、行かないです」 タクシー、ラジオ、声変える。 バッハ。パン屋、ハム職人。 楽聖食堂。ベートー弁。ハイ丼。しょパン。ドビュシ蒸し。天津バッハ。ストラヴィンすき。 「ラインマン……電線マン!」 衝撃! 美人実習生現る、の巻。 教頭ギター漫談。
SKOS。 古漬け。 食虫植物。 「へい」 70年代フォーク、あさのよしひこ、ロマンス。 卵サンド。カレー味の刻みキャベツ。レンコン挟み揚げ復活激希望。
3月のライオン第2シリーズ第4話。 なんかいろいろ既視感があるなあと思ったら、いじめってネトウヨ現象と相同するところがあまりに多い。ギルバートゴッセン理論からすれば九割方の相同は同一を意味するからそういうことなんだろう。 「そんなことするとあなたも標的になるよ」なんか、まんま「アカと思われるよ」「就職に不利になるよ」そのもので。 日本は戦前から、いや、江戸時代からいじめ社会なんだろう。 「三年生になって受験の重圧が」云々のセリフがあったけど、つまりそれに相当するものがネトウヨ現象においても現今モブの生活、弱い心を覆っているのだろう。それは深く考えるまでもなく端的に生活苦、経済状況だと思うが。 だが思う。たかがそんな理由を理由にしていいのか? そんなものが免責になるのか? 「暴力をアプリオリに悪とみなす立場は中立を装って不正義に加担している」「タイムマシンはある。精神は一瞬で時空を超える」。どちらも素晴らしい場面だった。 それにしても俺の脳はよくもまあ固有名詞ギルバートゴッセンとかスッと思い出しよるな。三十年以上前の記憶から。
「ひとりキャンプで食って寝る」の第5話。「友人」というのがひどい。「うるせ」しか言えない馬鹿。こんな友人いらない。こんなの友人じゃない。 健人が突如腰痛になった理由もよくわからなかった。 このドラマ、コンセプトはいいのに微妙な脚本回が多い。

「ターミネーター ニューフェイト」

のっけから別嬪さんがスッポンポンで大暴れの大盤振る舞い。男の子の夢。つかみはオッケー。 よくできたホン(脚本)だね。なるほど、そう組み立てたかと。 サラばあちゃんもいい味出してる。女戦士、こんな感じで歳をとる、と。 主(スカイネット)を失ったT800のAIがAIなりにひとりいろいろ考えた結果ある種倫理めいたものにたどり着く、そういう設定も面白い。ご都合主義ではあるけど説得力がある。 スカイネットの支配する未来は阻止できても別のAIが結局同じ結論(人類という種をこの世から抹殺せよ)にたどり着いたのも面白い。 2019年の現実(壁)が作品に練り込まれているのも良い。 グラサンに手を伸ばすけどスッと肩透かし食らわすのもグー。 強化姐ちゃんも新型ターミネーターも役者さんの個性、チョイスがまたいいね。アクションも遜色なくこなす印象深いキャラクター。 「あんたじゃなくてあんたの子宮が大事ってわけ。女は所詮子産みロボット」 「あんたが女神様? 冗談」 伏線だったんだよね。必要なのは母としてでなく彼女自身。彼女が未来の司令官。サラにとってそれは、失った息子の復活でもある。 T3以降を偽史にしてるわけで、それを支持するひとは多いんだろうね。だからこういう作品ができた。 俺はモストウのT3大好きだけどね。T2よりも。

「ダークナイト」

いま頃ちゃんと観た。 んー。 作り物っぽいんだよなあ。 言いたい主張がまずあって、それを絵解きするような都合のいいお話を無理くりこさえてる感じがなんかね。 映画ってそういうものでしょ? と言うかもしれないけど、んー。なんかそうと悟られないためのさりげなさ、自然さが足りないというか。 んでその主張がさあ。「正義? そんなものはねえんだ! みんな自分がかわいいんだ!」 中学生ですか。 それを実証する方途が脅迫、恐喝、人質だからねえ。卑怯じゃん。試験ならおかしなハンデなしに公正にやんなきゃ。ルール違反でしょ。「ルールなんかねえんだ!」ってわめくか知んないけど、そんじょそこらの粗暴犯じゃない、知能犯だと言いたいジョーカーなんだからそこ違反しちゃうともう知性だ哲学だ気取れないでしょう。 って、ジョーカーに向けてというよりノーランに向けてやっぱひとくさり説教したくなるね。まあ大方の人間は騙されて「ダークナイトすげえ、ノーランすげえ、現代の思想家革命家」になっちゃってんだから興行師ノーランの勝ちだけど。 バットマンらしい新兵器、ハイパーソニックビューイングシステムをオンにしてるんで目の前のジョーカー見えなくてぶん殴られるとか「なにそれ」って思うんだけど、仔細に検討するとそういう間抜け描写がたぶん全篇にちりばめられてるはず。これつまりインターステラとおんなじ。ハイブロウな思想なりSF描写なりで「どうだ!」ってノーラン大向う受け狙ってんだけど、なんか基礎が、基本ができてないんで全部が砂上の楼閣かっこつけな感じで。 ラスト、タイトルの意味がほんとにわかるとこだけはちょっと感心した。なるほど、ダークナイト、そういう意味なのね。

「タクシードライバー」

いま頃観た。 途中まではもう最悪。映画が、というよりは主人公がね。常識がなく頭が悪くしかし妙な万能感だけはありたまたま見かけた美人に猛アタックし始め……そりゃ振られるわな、嫌われるわな。そしたら今度は腹いせに武装し始め……最悪。 これから暗殺しようって人間がめっちゃ目立つモヒカン頭で登場。もう頭悪過ぎ。さすが海兵隊上がり(馬鹿だから使い捨て最前線の海兵隊にぶっこまれたっつう円環構造でもある)。見事目ぇつけられて速攻で尻尾巻いて逃げるあのみっともなさ。 で何を思ったか急遽予定変更。この時のトラヴィスに「お前何考えてんの?」って聞いても勿論答えは決まっている。「俺にだってわかんねえよ!」 頭のイカれたヴェトナム帰還兵がヤクザと殺し合って共倒れ……で終わるかと思ったら。ここからなんだか童話を、日本昔ばなしを見ているような妙な展開になっていく。そしてまさに、ここがあるからこそ映画全体が輝いてくる。 トラヴィスを救ったのは「なんで生きてんのかわがんね! おら、おら、なんかええことさしてえんだ!」という一縷の意思。現実のアイリスが単なるクルクルパーの家出娘であることなど関係ない。トラヴィスにとってアイリスは触媒のような存在だったのだろう。 とはいえやっぱ死んだんだろうなと思わせてからの職場復帰。目から隈は取れ憑き物の落ちたようなトラヴィス。 「新聞は大袈裟なんだよ」。武勇伝を誇るでもなく、格別面白くもない業務を淡々とこなす。彼は男に、職業人になったのだ。 有名になった途端股を開く気満々の彼女も大爆笑だが、もはやトラヴィスに「お、これはワンチャン狙えるかも!」と餌にがっつく意地汚さはない。 カッコいいとはこういうことだ。 男は不器用ながらも何事かに賭け、燃え尽き、そして自信を取り戻した。だからもう虚勢を張る必要がないのだ。
WS & SKOS. チェイニー、ハリバートン、ブラウンアンドルート、イラク戦争。 ハーランハワード、3 chords and truth. Dark night of the soul. 修験者のディプレッション。 Grace, 恵み。 おおつかまさじの店。 チェコ、ビール。上面発酵、下面発酵ピルスナー。パプリカチキン。 インドラップ。 アントナンアルトーヘリオガバルス。 村上春樹、キャッチャインザライ。 アイドル。 「サンタいてないよ。日本にそんないてるわけがない」 映画研究部、映画券。 中二、しまだ君、ポスター、ええ顔してるなあ。ジャズをツールとした新しい音楽芸術。 「この歳になってわかることなんて、ないよ」 「ふってくれてありがとう」「自分に言うちゃうんか!」 ウェールズ語。

ジョーカー Joker

タイムラインの評判が良さげなので久しぶりに映画館に行って観た。 うん、なかなか良かった。 ホン(脚本)がよく出来てる。 全部夢想だとも言えるし、部分的に真実かとも言えなくもないし、その両義的な作り方が巧み。 俺は最後の白い病棟のみがリアル、の説を採るけど。つまり、漫画や大衆映画のみが教養であるサイコパスの紡いだ二時間の妄想。あそこのカウンセラーが市立のカウンセラーと同一人物(だよね?)であるのがその証拠と見たが。 ここだけがゴッサムではなくニューヨークの病院。現実。 彼はまさしくJoker、ジョークを語るひとなのだ。 劇中「ウォール街の三人」の語が不用意に出てくるのも、妄想ゆえに世界観の統一がない、その傍証だと思う。 ほんとにそこまで考えて作り込んであるホンなんだとしたら、やはりたいしたもんだと思う。たとえ夢オチでも。 妄想、夢オチの語を「思考実験」に置き換えてみるといい。極端化、先鋭化したシミュレーションの果てに生まれる惨事をありありと眼前に想起すること、そこから何事か汲み取ること。考えること。この思考実験には十分な意味がある。 ブルース少年の遊具に降りる用ポールのあるのがうまい。 ホアキンの目まわりはトラヴィスのそれにそっくり。そう見えるメイクをわざわざしているのだろう。背中の不具の場所も。そしてデニーロ御大本人のキャスティングとなれば演出意図は明らかだ。ハゲの同僚から銃を入手、の件りもほぼ似てたし。 「立て、立つんだジョーカー!」励まし立ち上がった象徴に快哉を上げる暴徒。ウェイン夫妻を撃つ男。事の理非は措いて、この気分がアメリカを、全世界を覆っていることに製作者は確信がある。こういう気分の蔓延に持てる者は恐怖すればいいと俺は思う。こういう威圧がなければ世の中けっして良くならない。金持ちの施しを哀訴嘆願、おとなしく待つのはあの狂った母と同じ態度だ。 酔っ払って調子乗ったウェイン社社員(ウォール街の三人)に蹴飛ばされるシーン。「どうしたアーサー! やられっぱなしか? 玉ついてんのか? それでも男か? 持ってるもんあんだろ? それ、やれ、やっちまえ!」と観る者ほぼほぼすべてが無言で煽ったはず。 その観客の期待通りにアーサーは一歩を踏み出す。一線を越える。 彼に最後のひと押しをしたのは同僚が裏ルートらしきものか
3月のライオン第10話、安井さんの全作画が凄かった。 クソ女死ねばいいなあ。 ひとりキャンプの第三話。相撲のガキ、殺したい。ひたすら殺したい。 狩猟ギャル、声が甲高く耳障りで騒々しく、ミスキャストな気がした。 ケース入ってれば銃ひとに向けるのはありなの? そういうのも気になった。