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ジョーカー Joker

タイムラインの評判が良さげなので久しぶりに映画館に行って観た。
うん、なかなか良かった。
ホン(脚本)がよく出来てる。
全部夢想だとも言えるし、部分的に真実かとも言えなくもないし、その両義的な作り方が巧み。
俺は最後の白い病棟のみがリアル、の説を採るけど。つまり、漫画や大衆映画のみが教養であるサイコパスの紡いだ二時間の妄想。あそこのカウンセラーが市立のカウンセラーと同一人物(だよね?)であるのがその証拠と見たが。
ここだけがゴッサムではなくニューヨークの病院。現実。
彼はまさしくJoker、ジョークを語るひとなのだ。
劇中「ウォール街の三人」の語が不用意に出てくるのも、妄想ゆえに世界観の統一がない、その傍証だと思う。
ほんとにそこまで考えて作り込んであるホンなんだとしたら、やはりたいしたもんだと思う。たとえ夢オチでも。

妄想、夢オチの語を「思考実験」に置き換えてみるといい。極端化、先鋭化したシミュレーションの果てに生まれる惨事をありありと眼前に想起すること、そこから何事か汲み取ること。考えること。この思考実験には十分な意味がある。

ブルース少年の遊具に降りる用ポールのあるのがうまい。
ホアキンの目まわりはトラヴィスのそれにそっくり。そう見えるメイクをわざわざしているのだろう。背中の不具の場所も。そしてデニーロ御大本人のキャスティングとなれば演出意図は明らかだ。ハゲの同僚から銃を入手、の件りもほぼ似てたし。

「立て、立つんだジョーカー!」励まし立ち上がった象徴に快哉を上げる暴徒。ウェイン夫妻を撃つ男。事の理非は措いて、この気分がアメリカを、全世界を覆っていることに製作者は確信がある。こういう気分の蔓延に持てる者は恐怖すればいいと俺は思う。こういう威圧がなければ世の中けっして良くならない。金持ちの施しを哀訴嘆願、おとなしく待つのはあの狂った母と同じ態度だ。

酔っ払って調子乗ったウェイン社社員(ウォール街の三人)に蹴飛ばされるシーン。「どうしたアーサー! やられっぱなしか? 玉ついてんのか? それでも男か? 持ってるもんあんだろ? それ、やれ、やっちまえ!」と観る者ほぼほぼすべてが無言で煽ったはず。
その観客の期待通りにアーサーは一歩を踏み出す。一線を越える。
彼に最後のひと押しをしたのは同僚が裏ルートらしきものから調達した銃だけど、現実のアメリカでは意思した者本人が合法的に調達できる。
だからこの映画、見かけによらず銃規制反対とは真逆の立ち位置にある。現実のアメリカは架空のゴッサムよりジョーカーを生みやすいのだ。いくつもの事件を具体的に指摘するまでもなく。

格差、福祉削減、母親と同居、8050、幼児虐待。アメリカ映画が時差なく日本の現実をも照射する。凄い時代だなあと思う。

「黒人のくせに俺より頭のいい女が俺にああしろこうしろと指図しやがる。だから俺はぶっ殺してやったぜ。どうだみんなスカッとしたろう」としか見えないラストがやや気になる。これではホワイトシュプレマティストに迎合もしくは共感する金儲け&憎悪煽動映画のそしりを免れない。
俺は何か誤読、誤観しているのだろうか?

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