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「さようなら全てのエヴァンゲリオン~庵野秀明の1214日~」

プロフェッショナル「庵野秀明スペシャル」(75分)、BS1スペシャル「さようなら全てのエヴァンゲリオン~庵野秀明の1214日~」(50分×2)を続けて観た。 同じ撮影素材をプロフェッショナル仕事の流儀の方はそのフォーマット(ナレーション。問題発生&克服のドラマ。そしていつものテーマ曲)に加工してあり、BS1スペシャルの方は素材のまま生(き)のままに提出、な感じ。ほぼ同内容。 製作の実際を見れて面白かった。 絵コンテなし。東宝撮影所のミニチュアセット、役者を使ったプレヴィズ。いままでと同じことやってたんじゃ同じものが出来上がるだけだ、新しいやり方でやらなくちゃ、とチャレンジングな方法論で臨む監督。 庵野秀明がカメラ(兼おそらくディレクター)に向かってやたら「僕撮ってもしょうがないよ」を繰り返すのはやや印象悪かった。取材許可を出した以上ひとのディレクションに容喙するのはあまりいい振る舞いではない。「宣伝のため」とあけすけに許可の理由を述べていたが、であればなおのこと自ら印象悪くしてどうすんのか。 製作の実際と多少かけ離れても「庵野監督を主人公にしたドキュメンタリー」が作られるのはそのカリスマ性&需要から考えて仕方のないことなので、NHKのディレクションに大きな誤りがあったとは俺には全然思えない。 話ができない、神が降りてこないイライラを取材カメラにぶつけていたのであればNHKグッジョブ、まさに監督の人間性(やや小さい)を捉えることに成功していたと言える。 勿論往年の大監督や宮崎駿に比べれば庵野監督など紳士も紳士大紳士なんだろうとは思うが。 「別に俺はプロでもなんでもねえよ。偶像崇拝的な扱いはやめてくれ」ということであれば庵野氏は安心していい。氏が子供であることは作品とドキュメンタリーから十分に伝わってくるから(サッポロポテトバーベキュー味一気食いその他)。 鶴巻監督がまた出色でしたね。初参加ではないのだからすべてわかってたとはいえこの進行。精神病んでおかしくないのはむしろこのひと含め周囲だろう。 これじゃなにやりたいのか、なに言ってんのかさっぱりわかんねえよ、ってことで流れたDパート案、ちょっと見たいすね。 ゲンドウの独白がやたらわかりやす過ぎに流れた感はあるので、庵野監督が最初にこうしたかった案はやっぱ気になるじゃないですか。

シンエヴァ 三周目

訓練時代のアスカの表情が良い。アジア的、或いはヨーロッパ的な作画なのか、リアルな顔貌が殺伐としてあの場面に合っている。作画担当の癖、個性を意図的に活かした演出ではないか。 ヴォイジャー。「あなたを愛したというその経験をわたしは死ぬまでわたしの誇りとする」。本作のために書き下ろした? と思えるくらいズッぱまり。 んで曲の末尾が入線チャイムにきれいにつながるとこがニクイ演出。宇部新川、ほんとにあれなんだね。奇跡的。 ゴルゴダオブジェクト。「人ではない何かが神の世界をここに残した」らしい。人類ではない何者か、と、神、の二つが人類に先行していたらしい。それ、何? マリちゃん。乳のでっかいいい女なんだけど、ウザいとこもたくさんある。懐メロ好きはいいけど、それを作戦実行中に作戦伝達回線上で歌うのはアウトでしょ。もし男だったら「余裕ぶっこいてるテイの虚勢」として軽蔑されても仕方のない所だよ。 あと何ヶ国語も無意味に披瀝すっとこ。加えて猫語。なんでわざわざ嫌な要素キャラに重ねるのかね。 ルージュを引いたマリは凄まじく魅力的だったので勿論俺は好きなんだけど。だから困るんだけど(好きにはなるけど結婚は無理)。 非常脱出ポッド、なんであんな船殻を無理無理押し破る形で出る? 惑星大戦争のテーマ、合わんかったなー。またあれ、宇宙大戦争でよかったのに。 L化とかL結界とかって結局なんなの? Lはなんの略? なんで電車とか浮いてんの? 月とかに退避するとL化もアディショナルインパクトも避けられるんじゃないの? そういう甘いもんでもないの? あの月っぽいデカい浮いてんのは結局なに? 「お前もおとなになったなあ」なんてゲンドウが言う? 抱きしめる? ちょっと無理無理まとめた感はあった。 最後に落ちてくひとたち(エンドゲームの逆指パッチンみたいなこってしょ? 要するに)。普通に考えたらあの、大変なことになるんだけど。そこらへんは大丈夫なの? ふわりと着地してくれるの? 新旧聖書の意匠、タームをやたら使い勝手な意味を付与しまくるエヴァシリーズは「大丈夫かなあ。クレーム来ない?」と観てるこっちがハラハラしたりするのだが、大丈夫。聖書に勝手に尾ひれをつけ美化したりOVAつくったりしてきたのは他ならぬ西洋文明の歴史だから(そもそも聖書自体が盛ってる盛ってる。ヨハネの黙示録なんて誰かがある日見た夢の話。イエス全

シンエヴァ 二周目

一度目には気付かなかったことに当然色々気付く。 宇部以外にもああいう村がいくつかあり、クレーディトが交易の媒介をしているらしい。勿論食料配給も。 そっくりさんを「初期ロット」と完全に人間性を否定する形で呼ぶ式波だが、彼女にはそれをしていい(よくないが)事情はある。自分もまた人造人間だから。これはびっくり。 綾波モデルは碇シンジに好意を持つよう最初からプログラムされているという。 式波モデルはどうなの? そうでないとアスカは言えるの? ユイが中にいるエヴァという最重要機体、それをパイロットごと守る近衛兵の役目を、二人に負わせていたんではないの? 最初からプログラムされた都合のいい女。なんか既視感あるなと思ったらあれだ、「旅マン」だ。 再生水文句言い唇厚子さんがシンジに銃を向けるシーケンスがなかなか良かった。あれが厚子さんだけのあれなら月並みで退屈なドラマとなるところ。ところが実際撃ったのはその後ろにいた鈴原妹。そしてその銃弾から身を挺してシンジをかばい被弾するミサト。あっけにとられる厚子さん。この一連の流れで全員の、絶対にほぐれるはずのなかったわだかまりが一挙に解きほぐれる。 被弾したばかりかミサトは全員を下船させ自ら特攻する。特攻せざるをえない。なぜなら、ミサトがしてきたことは間違っているから。 息子は14歳。その息子の生存のためにミサトはかつてと同じオプション、「他人とはいえ息子と同じ14歳の少年を人型決戦兵器に無理やり乗せて使徒と戦わせる」ことはもはやできない。自分の息子にそんなことやれと言える? 親になってそれが初めてわかる。他人の息子なら構わない? かつては人類の生存のためと称して冷徹な司令官に無理やりなりきりそれを命令していた。ミサトは自らを罰しなければならないし、単身出陣しなければならない。勿論、マリにシンジのサルベージを命ずることも忘れない。もうシンジを犠牲のにえにしてはいけないのだ。 役目を終えたヴンダーの最期。葛城ミサトの壮絶な殉死。 で、マリさんって結局何者なんだ? なぜ大学生から中学生になっちゃったんだ? イスカリオテのマリア、という通り名をかつて持っていたらしい。それはいつ頃の話? 千年とかそういうオーダー? イスカリオテはおそらく裏切り者を含意する接頭詞だろう。神に対する? ネルフに対する? ゲンドウに対する? 人類補完計画に対する?

シンエヴァを観た 一周目

きのうから配信が始まったのでシンエヴァを初めて観た。プライム月額500円で見放題はいいね。 映画館はコロナが怖くてよお行かんかった。二時間半座りっぱはキツイしね。中座したくなる。家で観れるのは楽でいい。 んー。面白かった。 なんかちゃんとしてたね。ちゃんと普通の映画になってた。 ゴダールとか実験映画とかそういうのに逃げてなくて良かった(エヴァシリーズには前科がある)。 感心したのはあれね。裏宇宙設定。「人間は裏宇宙をそのままには認識できないので自分の有り合わせの知識、経験で勝手に置き換えて覚知する」みたいなことをゲンドウが言ったけど。これすごい便利。 よく映画評論であるじゃん。このシーンはなんたらを象徴している、みたいな言い方。 その評論の手法を反転して映画製作にそのまま応用した感があった。これはコペルニクス的に画期的なんじゃないか(そうでもない?)。庵野監督がやりたい、見せたいシーケンスを脚本上の整合性なる縛りから解放して自在に盛り込むことができる。制約のない器としてのマイナス宇宙。なおかつ破綻なく物語に回帰できる便利な装置。 だからそこでシンジとゲンドウはエヴァ二体で新東京市やちゃぶ台や新東京村を舞台に脈絡なく戦うことができる。ゲンドウは宇部のローカル線で自分の精神的来歴を吐露することができる。 あれが東宝撮影所のセットなのも面白い。押されてすべる模型の建物、世界の限界たる青い布幕。この世界をつくったもの、のメタファーにいろんな意味でうまいことはまっている。 ゲンドウの目ン玉つながり眼鏡の理由が明かされるのも楽しかった。実際目ン玉つながりだったからっていう。 冬月の謎は明かされないままだったなあ。友達だから? それだけ? 付き合いのいいひとだなあ。 宇部駅のプラットフォーム。あそこでなんたらチョーカーを外したってことはつまり転生直後なわけよねあれが。一瞬であそこに跳んだ。綾波も渚司令もマリちゃんも、そしてシンジ自身も。エヴァのループから、コーダから解放され、ネオンジェネシスに跳んで新しい人生を歩み始めた。 すべてのエヴァンゲリオンにさよならできたから。エヴァシリーズは呪いだったのだ。 そっくりさんはせづねえ話だったねえ。 しかしその犠牲と、新東京村の最後の人類がシンジに覚悟を決めさせた。俺がすべてを終わらせてやると。 アディショナルインパクト。「三条友美か!