きのうから配信が始まったのでシンエヴァを初めて観た。プライム月額500円で見放題はいいね。
映画館はコロナが怖くてよお行かんかった。二時間半座りっぱはキツイしね。中座したくなる。家で観れるのは楽でいい。
んー。面白かった。
なんかちゃんとしてたね。ちゃんと普通の映画になってた。
ゴダールとか実験映画とかそういうのに逃げてなくて良かった(エヴァシリーズには前科がある)。
感心したのはあれね。裏宇宙設定。「人間は裏宇宙をそのままには認識できないので自分の有り合わせの知識、経験で勝手に置き換えて覚知する」みたいなことをゲンドウが言ったけど。これすごい便利。
よく映画評論であるじゃん。このシーンはなんたらを象徴している、みたいな言い方。
その評論の手法を反転して映画製作にそのまま応用した感があった。これはコペルニクス的に画期的なんじゃないか(そうでもない?)。庵野監督がやりたい、見せたいシーケンスを脚本上の整合性なる縛りから解放して自在に盛り込むことができる。制約のない器としてのマイナス宇宙。なおかつ破綻なく物語に回帰できる便利な装置。
だからそこでシンジとゲンドウはエヴァ二体で新東京市やちゃぶ台や新東京村を舞台に脈絡なく戦うことができる。ゲンドウは宇部のローカル線で自分の精神的来歴を吐露することができる。
あれが東宝撮影所のセットなのも面白い。押されてすべる模型の建物、世界の限界たる青い布幕。この世界をつくったもの、のメタファーにいろんな意味でうまいことはまっている。
ゲンドウの目ン玉つながり眼鏡の理由が明かされるのも楽しかった。実際目ン玉つながりだったからっていう。
冬月の謎は明かされないままだったなあ。友達だから? それだけ? 付き合いのいいひとだなあ。
宇部駅のプラットフォーム。あそこでなんたらチョーカーを外したってことはつまり転生直後なわけよねあれが。一瞬であそこに跳んだ。綾波も渚司令もマリちゃんも、そしてシンジ自身も。エヴァのループから、コーダから解放され、ネオンジェネシスに跳んで新しい人生を歩み始めた。
すべてのエヴァンゲリオンにさよならできたから。エヴァシリーズは呪いだったのだ。
そっくりさんはせづねえ話だったねえ。
しかしその犠牲と、新東京村の最後の人類がシンジに覚悟を決めさせた。俺がすべてを終わらせてやると。
アディショナルインパクト。「三条友美か! やっす!」とかちょっと思った。不気味の谷。CG。
出たね。六角柱上で対話する主要キャスト。好きだねえ。
レーション無理やり食わせる神作画。
宇部愛すごかったね。人類の命運を賭けた最終決戦がパリと南極と宇部を舞台に、特に宇部(とその電車、電鉄施設)が突出してトリビアルに描かれる、そのアンバランスが素晴らしい(追記: 村は宇部ではないらしい。そうだよね。トウジたちが箱根からそんな遠くまで避難したはずもない)。
少女と電車、なのだ。これも。
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