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アイザックアシモフ「はだかの太陽〔新訳版〕」

 

先行する著作の続編であるらしいことは読み出してから気づいた。世界設定の基本情報はまずそれを踏まえておいた方がよかったらしい。

アシモフのロボットシリーズはこういう順番らしい。

鋼鉄都市

はだかの太陽

夜明けのロボット

ロボットと帝国

この四冊を読み終えれば俺は帝国の続きを読んでいいことになるのだよね? もしかしてその理解も間違ってる? ともかくそういう目的で本書を読み始めたのだが、事前に仕入れた情報通りだったね。帝国三部作の鮮やかさ、天才の閃きに引き換え……やはり精彩を欠くことは否めない。

ロボット三原則が話の核でありキーであり世界設定の根幹なのだが……そもそもその土台自体が堅固でないからどうしてもお話全体がツッコミどころ満載にふわふわしてしまう。

ローカルルールというか社是というかゲームというかプログラムというか。「ロボットをそういう規則で運用することにしました」と誰かが決めた、それを社会体で共有した、というだけのことであって、「ロボットであるからにはそう動くはずだ!」と自然法則であるかのように考えるのはおかしいのだが。プログラムでそう仕込んだり故障なり事故なりでロボがひとをあやめる傷つけるということは常識的に考えればいくらでもフツーにあり得るのだが。

アシモフくらいの頭のいいひとがそういうことに気づかないはずはないので、作者本人「なんか弱いよなー、説得力ねーなー」と思いながら筆を進めた、そういう感触こそがむしろよく伝わってきてなかなか苦しい読書だった。それが証拠にこの小説、いきなり作者本人の言い訳めいた序文から始まる。「ロボットシリーズはもうこんくらいでいーかって切り上げたかったんだけど、編集さんに懇願されてねー」。

主人公のデカなんたらベイリがいきなりもう吐き気のするような差別主義者で読むのがやんなったのだが、ニューヨーカーのアシュケナジであるアシモフが深南部のレッドネック、ホワイトトラッシュ気質であるはずもなく、これは作者のシャドウというか願望というか正反対というか、こういうマッチョな主人公にせめて想像の世界ではなってみたかったんだろう(帝国で常に社会の指導者となっていたのだからまあ怪しむに足りない)。人間が下等なロボごときに負けるはずがないとイキる粗野な行動派のデカであればあるほど、なるほど、温厚篤実なのに妻子とうまくいかなくて別居離婚の羽目になる細心なSF作家の実像がむしろヴィヴィッドに透けて見える。人間嫌いの神経質なロボ技術者を主人公ベイリが倒すのはあまりにもあけすけに作者本人の自己超克願望、補償行為であろう。

帝国でもそうだったのだが(だが帝国においては話の太い幹があまりにもしっかりしているためあえて目をつぶることができていたのだが)なんというかSFガジェットがことごとく「イケてない」んだよね、アシモフ先生。

「現代の地点から往時のSFを嘲笑うのは卑怯ではないか!」。んー。違うんだよねー多分。未来予測が不正確だから、というより、やっぱりセンスなんだよね。ダサい。おそらく発表当時の読者だって似た感想を持ったのではないか。超文明なのに電送されてくる紙テープ。いちいちロボが毎回複数のツマミを微調整するテレビ電話。つか、電子回路を組み込んだ機械、を、人間と同型のロボが人間と同じ手付きで操作したり運転したり、がSF的想像力としてなんだか滑稽なんだよね。まあ、あえてそういうしつらえにしたから最後の大ネタ、陽電子回路を搭載した無人宇宙戦艦、が活きてはくるんだけど。

その陽電子回路っちゅうのもよおわからんかったなあ。前作鋼鉄都市を読めばわかるのかな。なんで電子回路がポジトロンなのか。なんでポジトロンである必要があるのか。ポジトロンだとなんかいいことあるんスか。

んでロボが誤って三原則に触れたりするとポジトロン回路に過大な負荷がかかって気が狂うんだと。どんだけアナログなんだよ、ロボ。繊細に過ぎる。なんかアシモフ先生、論理回路についてはまったくあれだったんだなーと失礼ながら憫笑を禁じ得ない。まあフィフティーズに書かれたもんにそれ言うのはやはり酷か。パソコンなんてその片鱗さえまだ出現していない。

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