先週金曜ロードショーでやったのの録画を観た。
なんか演出がなーと思うところが多かった(「また着替えずにそのまま!」っていう服が漁撈でちっとも汚れてない、臭そうに見えない、そういう作り込みの甘さとか)がやはり合唱会で音が消失するところは良かった。
震え上がったのはあの場面だね。赤いドレス。子供が言うことを聞いてくれた、屈従してくれた、家のために我を折ってくれた、奴隷になってくれた、そのご褒美として与えられるあのお仕着せの服。結構な毒親表現を見せてくれた。
ヤングケアラーの話だ。
あれと反対の結末の映画を想像してみよう。そう。それは自民党、日本会議、神道なんたら連盟、統一教会、世界平和統一家庭連合の夢だ。家族万歳、個人の意志は夢は希望は人生は連綿と家庭の前に犠牲にならなければならない。それは美しい孝行、孝養の姿だと褒め称えるイデオロギー。彼らは人類の敵だと言わざるを得ない。
考えさせる映画である。紛れもなく毒親であるあの父母もまた生来の犠牲者なのだ。この問題を家族の内部でのみ考える、考えさせるのがまさに宗教右派の家族イデオロギーだ。どうしたって外部の、社会の、理解と助けが必要だ。それをこの家族は社会に要求していいし社会はその叫びに耳を傾けなければならない。
ぬるい恋愛描写は不要かなと思った。省くと尺が短くなるが映画のテーマと完成度は高まると思った。
「まああれですよ、あんまり、聾唖者だからっていいひとじゃない、っていうところがね」
ブラックホールで柳下さんが放ったひとこと。この映画の良さを凝縮した至言である。
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