教育テレビでやってくれたのの録画230204をいま頃観た。
初っ端(しょっぱな)から嫌な予感はしたのだがそれは全面的に当たってしまった。
ニューシネマパラダイスでシネフィル?
死んだ目? 必要条件と十分条件の初歩的な無理解じゃない? このとき学歴に言及があるのはたぶん偶然じゃない。作者は頭が悪いのだ。京アニ犯の目、輝いてました? 月朝の満員電車、みなさんの目、輝いてますか?
資質を認められて、っていうのは一見実力主義のようで結局異世界転生物なんだよね。なんか知らんがすべてコミュ障でキモオタに優しい世界。ポンポは無限に彼を甘やかしかわいい彼女まで調達するママである。これは撮影所を仮装した出口のない家庭内狂気だ。
結構な苦痛(アニメ。アニメ。アニメ臭い。すべてが)を我慢しながら観たが最後25分ほど余すところで「いやもうふざけんなよ頭おかしいんじゃねえの?」とさすがに視聴を中断してしまった。「中継してたのです!」じゃねえよクビだよてめえキチガイ。
頭おかしいシーンはさすがにここが頂点であとはクライマックスに向けて多少はまともになるかと思ったら。更に追加でこっちの頭殴りつけてくるのでもう唖然とした。ここまで状況好転してもらっといて入院? いやそれはしょうがないとして根性で復帰? 土下座?(編集しろよそんな暇あったら)んでなんで「わたしも一緒に! ここに座っています!」??? んですることが「えーここ切っちゃうのー?」。なんで邪魔してんねん。んでディリートボタンに手を添えてって。
クライマックスというより「終盤25分間にどんだけ要らんシーケンス詰め込めるかチャレンジ」。そこで切れ切れ言ってるくせに。だいたいなんで新人監督に編集までさす?
どうしても必要だったんですいう撮り直しがベタもベタな「家庭か仕事か」。はあ?(んで結局切っちゃうんでしょ? 切れ!って)
ジン君と発音されること多かったことが示すようにこれ日本なんだよねどう見たって。彼は仁なんでしょGeneじゃなくて。差し入れの箱はコージーコーナーだし。マエストロ興行師に土下座してるし。
柳下さんが研究観察中のご当地映画そのものなんだよこれ。都会で夢破れ帰郷した若者がふるさとの暖かさに触れ人間性を回復していく、ってプロットそのまんま。ポンポは栃木の土建屋のボンボン、ぼんくら三人組は幼馴染。仁はアニオタ、夏子は声優志望の引きこもり、新井は栃木信金の外回り。
ポンポってあれいくつだよ? おかしいだろ。小学生? 中学生? ガッコ出たの?
悪役令嬢って言うんですか? ツンデレって言うんですか? なんかよお知らんけど、そういうクリシェでできたキャラ。ツイッタ美少女アイコンそのまんまの、能書きばっかり垂れやがる万能感に溢れた「中身はおっさん」。いちばん嫌いな人種だよ。
「ポンッポさんっが来ったよー!」。アニメ声で。うっざ!
クランクインでパーティー、クランクアップでパーティー。おんなじ景色のパーティー。アカデミー賞かよ! レッドカーペットかよ! 豪華絢爛であればあるほど貧乏くさい。バカの想像した金持ちだから。
アニオタ引きこもりの作った映画なんだよこれ。世の中のすべてはアニメで覚えた、って口。そう見えるのが原作に起因するものか監督のせいかいずれかは知らぬ。ともかくも出来上がったものはそうだ。
「このフィルムに君はいるのかね?」みたいなこと言うけどその作品理論がもう間違ってる。どのフィルムにも作者はいる。必ずいる。自分を出そうと努力しようとしまいと。
渡辺文樹がどんだけ自分を赤裸々に描こうとも見られたくないなにかは隠している、そういう渡辺文樹が観客には見えてしまうように。
そして本作ポンポさんにも見事に作者は出てしまっている。
これがバレエとかグルメとかだったら「むう、世界最高の味だ!」とか言い切ってしまうことでそれを観客に認めさせることができる。ところがこれは劇中劇、映画内映画。部分とはいえ映画そのものを見せてしまっている。「アカデミー賞獲るよ!」とバカ娘が言っても俺たちには到底それが信じられない。まったく説得力がない。
そしてここがアメリカでないことも賞など獲れる映画でないこともニャリウッド、ニャカデミー賞で正当化される。ここらへんも実にツイッター的だ。「発達障害者です。手帳持ち」「毒吐きます。フォロー非推奨」。あらかじめの予防線。俺はそれを卑怯、小心と呼びますが。
殴り合いの末に笑い合うふたりとか先輩営業マンの愛を隠した後輩しごきとか。もうね。テレビかと。青春ドラマかと。安いにも程がある。
んで挙げ句の果てに「中継してたのです」「てめふざけんなクビだクビ!」「まあまあ」「か、会長!」「若い者に教えられたよ。やってみたまえ」。なにこれ。
気が狂いそうになった。
映画学校の卒業制作とかでセオリーを守ってるかどうか一個一個チェック、うん、及第点、合格、卒業! そういうの見せられた感じですね。もう二度と観たくない。ほんと久しぶりに腹立ったしまあいろいろ気持ち悪いということに尽きますね。アニメ臭くて(アニメだから悪いのではない。スパイダーバースはアニメだがアニメ臭くはないしクリシェに頼っていない。そういう話をしている)。
別にこういう作品があってもいいじゃん、なに怒ってんの? そう。なぜ怒るか。あの残り25分ラインに怒りの原因は凝縮している。
身障者。被災者。戦災。死別。
とっておきの劇中歌が流れ「さあここ感動するとこですよ感動してください! んー、パンチ弱いか。ちょっと不幸要素足すか」。そういう使われ方するお誂えの不幸。
これがあの「配信していたのです!」と合わさるともう最強ですよ。どんだけひとを不快にさせたいのか。
庵野秀明細田守と同じでつまりはからっぽ。平尾隆之というひとに格別のテーマはない。メッセージも情熱も。だからよそから不幸を、人生経験を借りてくる。「だってしょうがないじゃん自分には映画しかないんだから」とイクスキューズをつけながら。
プロットが破綻して矛盾だらけといったらスピーシーズ2はまさしくそうなのである。ところがスピ2は面白い。彼我を分けるその差はいったいなんなのか。
神経を逆撫でされながらポンポを観ていて「これ前にもあったな」と感じたがそう、新海誠「星を追う子ども」である。三秒ごとに「ハッ!」「ハッ!」って気付くんですよ。登場人物が。なにかに。二時間くらいそのぶっ通しですよ。本作の間合いもそれに通じているが、さらにひとがなんか言ってるそばから「ハッ!」ってなんの。
聞き終わる前から、言われた意味を反芻することもなくいちいち驚くわけです。これ、相手の話を聞いてない? そうでもあり、またその逆でもある。つまり過剰反応。相手の顔色ばかり伺っている小心者。こういうとこに作り手の顔は出てしまうのだ。「君はいるかね?」などと問うまでもなく。
スピーシーズはぐんぐん走っていく。設定の矛盾? 破綻? そんなの全部置き去りにして人物はひたすら前へ前へ走っていく。自信を持って。ポンポはその逆。「ハッ!」「ハッ!」って立ち止まる。止まる止まる。だから矛盾破綻凡庸が後景に流れずただ眼前に積み重なって行く。そんな違いがあるのだと思う。
原作者の表記からしてもうおかしい。杉谷庄吾【人間プラモ】ってなんだよ。括弧書き、なんなんだよ。気持ち悪い。
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