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「キルケーの魔女」

 けさ観てきた。

ショッピングセンターがいちばんこたえた。

死、戦争、暴力は映画、ドラマ、アニメで日常に描かれるものだけれど、村瀬氏の筆致は本作で一次元上のリアリティーに到達していると感じた。より残虐? そうではない。むしろ「死んだ彼女」はドアの隙間からその手しか覗かない。抑制的な映像が言葉をより重くしている。村瀬演出は引き算なのだ。

省略の美学は潜望鏡にも如実で、作品はその瞬間を描かない。描いたらその衝迫はむしろ減じただろう。

船長、クルー、生きていてくれと本気で願う。俺はマフティーのみんなが好きだ。

ビームライフルの直撃、ビームサーベルの斬撃でひとが怯えながら死ぬ光景も幾度となく見てきたはずだが、レーンエイムの怯えは異次元である。「うわー死ぬわ、俺死ぬわまじ死ぬわ五秒後に死ぬわ、勘弁してくださいよもー」。

そのリアリティーを感じまた彼が助かったとき本気で安堵したのはもちろん俺がレーンエイムを好きだからに他ならない。マフティーの気持ちのよいクルーたちと同じくらい彼はまっすぐで感じが良い。「はあ? マフティーが観光地にィ? バッカじゃね? バッカじゃね? あるわけねえじゃん」「なんでいんだよ! わー! もうあったまきた!」。こんな青年好きにならないはずがない。

CGのクオリティーが上がり過ぎてしまった問題、がある。かなり実写寄りで、アニメーション部分と違和が生じている。しかしおそらく、人間は、慣れる。

前作は希望の物語(叛乱軍が帝国を退け凱歌を挙げる)であったが今作は毛色が違う。最後の勝利の前に主人公が一旦は挫折する、その章に当たるものだろう。が、原作(未読)が原作である。この光景には既視感がある。

わたしたちはどんどんみっともなくなっていく赤い彗星を既に知っている。生き恥晒しなお生きるギジェザラルを知っている。先の邂逅においては圧倒的な格の違いを見せつけたハサウェイが今度は逆に「猫騙しにやられる側」となっている。正常な判断力を喪失し幻影と戦っていた(机竜之助さながら)のだからむしろ彼がやられておかしくなかった場面だ。

トラウマから錯乱する様子は前作のエメラルダそのもの、いや、それ以上の醜態だった。あの「頭ぽんぽん」仕草にハサ自身が復讐されているのだ。計算してこの構成なのであれば富やんさすがと言わざるを得ない。

このかつてもっともおとなで冷めていたリーダー、エースパイロットが落魄し駄目になっていくというモチーフはいったいなんなのであろうか。どのようなオブセッションが富やんを支配しているのか(実はわからなくもない。かつての天才が天才をやれなくなった時の焦り)。

物語は前作とほぼ同じプロットをたどる。この確立した型が大事で、大詰めで同じ下座音楽が流れればそりゃ「おお」となる。上がる。さあレーンとハサ、ガンダム同士、宿命の対決だ、と。三部作にしたことの大なるメリットだろう。

(この稿途中)

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