http://www.nekotaku.info/tv/ 首を傾げる件りがないわけではない。コントラバスの少年は「僕ちょっと変なんです」とか言ってる場合じゃなくて精神科を受診したほうがいいし、教師の寵を得ることが受験を、将来を決定するという学校観は歪んでいる。老人介護職に無限の奉仕、最高の倫理を求めるのもそれこそ非倫理的な要求に見える。 しかし、御子神さんと山下リオ。この発狂しそうなかわいらしさ、美しさをフィルムの上に永遠に焼き付けたその営為だけで、多少の瑕疵などすべてが吹き飛ぶ。このドラマ製作は人類史に残る偉業である。 「初めて乗ったタクシーが、父さんの乗ったタクシーなんて、おもしろいね」 「そうだな」 このシーンの静謐な美しさはリドリースコット「ハンニバル」の「音のないパトカー、ヘリコプター」に匹敵する。 威張らない。子どもに向かって聞いたふうな口を叩かない。自信なく今日もおどおどと日を送っている。俺にはカンニング竹山演ずる間瀬垣さんこそがむしろ理想の父親に見える。人間の常態に見える。彼のようでないおとなたちこそ、むしろ内心の不安を圧し隠して日々虚勢を張り、ある日その馬脚が顕れる幼稚なこどもに見える。 最終回の展開には唖然とした。それこそ気が触れそうになった。いや、気が触れた。 あまりにつらい。残酷に過ぎる。 エンディングテーマがフル尺でかかる。せめてもの救いである。 御子神さんはちゃんと生きていた。またもや崩壊を前にした場所で。それだけは救いである。 崩壊しかけていた間瀬垣家はその紐帯を取り戻した。ここはもう大丈夫、と、御子神さんは次の崩落現場に移動した。そして触媒よろしく彼自身は何事をなすこともなく、ただ御子神さんに触れた者の方が勝手になにものかを回復していくのである。