映画館で、みんな思っただろうね。あの「焼く」とこで、決定的になっただろうね。「これ、バカ映画だ」って。顔面蒼白になったんだろうね。
映画館までわざわざ観に行ったひとたちかわいそうだ。いまこうしてブルーレイ買って観た俺もかわいそうだ。
焼くの、いきなり焼くの、おかしいよね。なに考えてんだ、あのいちばん綺麗な姐ちゃん。
だってさあ、他にたぶん百以上オプションがあるだろう状態でですなあ、「これしかないのよ! 焼くしか、焼くしかないのよォォォオッ、エレクチオーンッ!!」って瞳孔全開でテンパッて火炎放射器の引き金引いちゃうの、おかしいでしょ。
でもこれたぶんリドリーの演技指導ついてんだろうね。監督の確信犯なわけだよね。役者もスタッフもみんな「これおかしくない? 変じゃない?」って思ってんだろうけど、天才リドリーの指示にみんな黙々と従ったんだよ、きっと。
変だけど、変だから、このあと映画急展開に狂っていくもの。多少面白くなるもの。
時間軸としては、つまりこの後日譚なわけね。エイリアンは。ノストロモ号は。ちんぽキャノンの謎がこうしてつながったわけだ。
あの、なんか、「つながらない、こことこことここがおかしい」って頑張って論証してる向きがあるけど、あのねえ、八割あってりゃもういいでしょ。残りの二割に重大な、決定的な齟齬が隠れていたとしても、もういいでしょ。
もういいの。これは前日譚なの! 決定! いろいろつながらないとこはあえて無視するの。それがおとなの見方なの。自分の脳で映画の至らぬところは補完してあげればいいの。
映画に限らないの。大体でいいの。そういうもんなの。
リドリー自身が絶対言うから。「あの。映画だから。そんな真面目に観なくていいから」って。
人類史に残るミッションだというのに搭乗員の殆どは目的も知らないまま寄せ場で手配師に集められた連中、着てるものは週末ヨーカドーの特売で買った普段着、というのはエイリアンフォーマットのお約束。もちろんいい伝統です。宇宙だから銀色全身タイツ、っていう固定観念をゴミ捨て場に廃棄したのがスターウォーズと並んで映画エイリアンの一大功績。
宇宙船内に結構でかい講堂が複数ある、というのも今回付け加わった、意表をつくいい意匠ですね。
秘宝で「なんでそっちに走る!」とみんな怒ってたその理由をよおやっと知った。確かに。走る方向考えろよ。
Ridley Scott's Film とは思えないバカさはなぜなんだろう。
好きな場面ではないけど、あのセルフ開腹手術は迫力の山場、見せ場だよね。間に合うか、間に合うか、の縫合。あんな状況に自分がなったらと思いねえ。
古い映画好きの高雅なアンドロイド、っていうキャラクターは出色。デヴィッドボウイ的な妖しさ。声と性格は明らかにハル九千だよね。デイヴィッドボウマンとハル九千の合体。
ああそうか、デイヴィド8には当然ネクサス6も入ってるわけね。詩を愛する教養豊かなサーヴァント。
並の人間よりも能力豊かであるのにサーヴァントの生をメイカーから強いられれば、そりゃたとえ被造物でもいろいろ思うところは出てくるわな。彼の奇行、不審な行動のモチーフは当然ネクサス6の憤怒と通底している。
んでその、高度な知的生命体と邂逅したら全然高度な知的生命体じゃなかった、単なる村いちばんの乱暴者だった、っていうのはなかなか意表をつく展開で良かったのではないでしょうか。うん。なんかリドリーらしい悪意、リアリズム、コモンセンスを感じる。
「俺ひとっことも言ってないからね! 高い叡智の紳士的な知的生命体って、お前らが勝手に思い込んでただけだからね!」。冷静に考えりゃ確かにそうなんだよな。造物主であることは彼が慈悲深い善存在であることを全然保証しない。
満身創痍の主人公が帰還ではなく「奴らの母星」を目指すとこもなんかアグレッシブな展開でいいですね。
リプリー並みの筋肉美女が主人公かなあと思いきや、終盤になって「このおばちゃんかよ!」と判明するのも映画的冒険でよろしかったですね。
共に被造物。おばちゃんとデイヴィドは同じ地平にいる。だからおばちゃんが「人間だからね」と優位なり差なりを誇ってもそれは優位や差以上の意味を本質的に持たない。
そしてあの新生物もクリーチャー。つまり、被造物であるということに決定的な本質や意味はおそらくないのだ。エンジニアも含めた四者のうちどれかが生き残りどれかが滅ぶとすれば、それを決するのは力なり時の運なりであって、彼の氏素性ではない。
結局のところ、前半がずっと退屈だったのでやっぱ総体として退屈な映画でした。金返せとは言わんけど損した、とは思いました。終わり。
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