「第三の男」の残り半分を観る。
「風立ちぬ」で印象的だった「壁に映る走る男の踊るような影」が見れたんで観てよかった。ここからの引用だったんだね。
「神を捨てるのか」云々の観覧車シーケンスで当時の反共映画のひとつとわかる。無神論=唯物主義=悪=共産主義。資本主義=自由主義=信心=善。馬鹿馬鹿しい幼稚な二項対立。
拝金主義が共産主義固有の宿痾と算入されるに至っては資本主義が「自身の引け目を全部相手に転嫁する」精神病理の現れとしか言いようがない。
退屈な映画だったが下水道だけはどう考えても気合い入ってるよね。下水道という場所がどういう場所かわかっている者なら、あれが相当の覚悟なしには撮れない映像、演れないロケであることは理解できるだろう。その気迫がこの作品を古典にした。
でも主人公は最後までクズ。全く魅力がない。民間人のくせに警告を無視して追跡劇に参加、そのせいで小説のファンである捜査官は絶命。
だから最後女に「バカ、死ね」と言わんばかりにガン無視決められるのも当然でそういう意味では正しい作劇になっている。
とてつもなく無能なブレードランナーの話なのかもしれない。実際主人公然としてネクサス6の如く俄然輝いたのはオーソンウェルズ、ハリーライムであったし。
クソガキ偽証の謎が回収されないままに終わる。「ほんとに頭のおかしい子供」だった可能性大。
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