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進撃の巨人 第22巻

 読後の感想です。ネタバレです。



 刊行済み全巻通じて最も重要で感動的でカッコイイ場面。それをその次の頁で容赦なく自己戯画化する思い切りの良さ。ギャグセンス。
 最近これ見たな、凄い既視感あるな、と思ったらあれだ、「真田丸」だ。ここで出るんだという。意味あったんだという。
 物語の謎が大盤振る舞いに開示される巻であるというのに、それで底が見えてしまった感じが全然しない。むしろ作品世界は謎の開示に比例してより深く広くなってしまった。
 海にたどり着いた時点でこの物語はハッピーエンドを迎えるはずだったのに。扉絵の三人は笑顔を浮かべているはずだったのに。

 道、という概念も提示された。ハンジさんの直感は正しかったわけだ。わたし達が目にしている世界は世界そのものではない。巨人は隠された秩序の顕現。座標の語も併せれば、複素平面で表現される虚数空間、そこにある存在の影、高次存在の三次元射影をわたし達は実体であるかのように錯誤しているらしいことが示唆される。

 フクロウの人物像は『死靈』のリンチ事件で語られた会話を想起させる。誰からもそうと知られないままにその生涯を閉じる革命家。
 王、階級、身分制度、民族、壁。差別一般にむしろ合理性を強制的にでも付与してみたら? 「王権神授説」が真正である世界を一度想像してみたら? 諫山の独創的な仮構は卓抜である。
「道」という概念も併せて諫山の関心、テーマは埴谷雄高と重なっているように見える。それでいて純文学なのではなく大衆性を十分に獲得したエンタテイメント、ベストセラーなのだから凄い。

 ここまで巻を重ねながらアルミンの家族についての言及がいまだ不自然なまでに避けられている。禁書を隠し持っていたおじいちゃん。気球で飛ぶことを試みた両親(違った?)。ここにも大きな、大どんでん返しの仕掛けがきっと潜んでいるはずだ。
 そして、ミカサの腕の何かについても。



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