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スカイウォーカーの夜明け The Rise of Skywalker

https://starwars.disney.co.jp/movie/skywalker.html

んー。
率直な観終わったあと感は、んー。
三角っぽいかなー。△。
やはり最後らしい盛り上がりにいまひとつ欠けたか。あと一歩及ばなかったか。
でも悪くはない。
いいとこ、楽しかったとこはね、たくさんあったんですよ。

懐中電灯としてのライトセーバーとかさ。俺は好きだな、あの場面。
けして軽いおふざけだからとかそういう意味じゃなくてね。むしろ本質的な意味で。大真面目にジェダイサーガをまたぞろやることのこんにち的意味って何? ってこと。いまの感覚で素で見れる演出としての正解。
主要メンバー(しかも善側)が全員脛に傷持つ凶状持ちと判明、それを互いにあげつらうのも楽しかった。こういう脱構築は好きだ。

ぱるぱっちんかー。俺あいつのことすっかり忘れてたよ。なるほどねー。
特徴ある中世的音楽。いかにも儀式なあれ、よかったね。まさにカルト、秘教集団。「進撃」の継承と仕組み的に似てる。

あの錠前屋さんが出ないで男爵は出る、ってのがなんか「えー」だったなあ。いや、男爵出てうれしいけど。でも錠前屋さんは今回まさに男爵の後継的役割で登場したはずで、それがもとの御大が出てってのはなんか、ねえ。
「よく考えた方がいい。お前さんが思ってるほど世界は単純じゃないんだ」なんて、SW世界の「作られた対立構造」に言及している気配があり、当然それがクライマックスに向かって解明されていくものと期待していたのだが。これはちょっと肩透かしだったねえ。

出ないと言えばなによりあのひとだよ。今シリーズ最大の発明、キャプテンファズマ!
ストームトゥルーパーの塗装剥いでマント着せて女声で喋らせる。たったそれだけの操作で超エロエロな新キャラクターが誕生するんだもの。斬新なデザインとは既存要素の組み合わせ。キャラクタークリエイションの優れた見本のような。
当然出ると思ってたのになあ。

ラブストーリー的にはちょっとこそばゆいと言うか座りが悪いと言うか、「え、いいの?」っていう。
でもこれも時代で、むしろ永遠の愛だの好きなのはあなただけだの、カビ臭いロマンチックラブイデオロギーを積極的に脱ぎ捨てる感じでこれもいいような気もする。
実際俺が「帝国の逆襲」大嫌いなのはあの恋の駆け引き、饒舌なラブコメ部分が俺には見るに耐えないからで。「スターウォーズってこんな矮小な、テレビドラマみたいな話だっけ?」って。

そして「あの場所」、すべてが始まったあの場所で円環が閉じる。いいじゃないですか。いい終わり方。
こういうことですよ。これはファンフィルムなの。んで、ファンの見たいものはだいたい見れたでしょ?
そのぐらいの満足度でまあ、容赦してあげていいんじゃないでしょうか。
だってあなた。「最初の三部作がやっぱ一番よかった」言ってるあなた。じゃあ見直してごらん? 実際に。
もう古色蒼然として見てらんないから。嘘だと思ったら見てみ? 画質とかそういうことではなしに。演出とかセリフとかね。もうさすがに古臭くて(そして勿論プリクエルやらレストア版やらは論外)。
これに比べたらJJSWは遥かに面白い。俺はそう思う。
いまという時代にしっかり蘇生できたスターウォーズだと思う。

だから、旧三部作と比べての不満、じゃないんだよね。
もうちょっとできたでしょ? JJ、できる子でしょ? っていう期待ですよ。

フィンと騎馬姉さんの会話。ここで再定義されたフォース概念を俺は支持したい。善にも悪にも転ぶ価値相対的概念ではなく「善なるものへの意思」としての。
フィンも彼女も、そしてタクシードライバーのトラヴィスも、この力に導かれたのだ。「なんで生きてんのかわがんね。おら、おら、なにかいいことさしてえんだ!」という内から湧き上がる情熱。それがフォースの最終定義なのだ。

始まっていきなりのカイロレン血だるま剣法。ミレニアムファルコン連続ジャンプ。よかったじゃないですか。
どファシストだと思ってたあのひとがあれで。「うん! 俺最初からそうだと思ってたよ!」w
SW世界に導入されたマッドマックスチェイス(withフライングトゥルーパー)。ブレードランナー(アキバアメ横ガード下的いかがわしさ満点の記憶屋)。
PTSDを患う虐待サヴァイヴァーのドロイドもいじらしくて。
「親友の顔をこの目に焼き付けておきたくて」。泣かせるじゃないですか。C3PO、なんていいヤツなんだろう!

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