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7月, 2022の投稿を表示しています
 

Fluid Motion. Ryzen. Radeon. APU. PowerDVD.

よくわかんねえんだよな。 Ryzen7 5750G搭載のデスクトップを買って、買ってから気づいた。ああ、AMDのグラボ内蔵だからフルイドモーションとかいうの使えんのか、と。それ目当てで買ったのではなかったが、使えんなら使ってみよう。 持ってたのがうまいことにPowerDVD14。内蔵グラボとこれのセットでブルーレイがヌルヌルいくわけでしょ? んー。いかない。 だいたい、AMDのドライバソフト(アドレナリンなんちゃら)にそういう設定項目が出てこない。 フルイド関連をググりだすとこれはもう、ネットの情報は当てになるのかならないのか。つまりなんというか、いう所の「おま環」というやつである。うまくいっているひとは2022年現在でもPowerDVD & Radeonでフツーにヌルヌル観てるし、うまくいかんひとはなにやっても駄目状態だし。 俺の場合は結局ブルースカイなんちゃらとMPCなんちゃらの組み合わせでやっとこさヌルヌル動いた。動いただけラッキーなんだけどあんまり釈然とはしない。やっぱり使い慣れたPowerDVDで動いて欲しかった。 Fluid Motionに関してAMDとしてもCyberlinkとしても動作保証をしている状態というのはとうに終了している、というのがググりまくって疲弊した俺の感想である。保証もしてなければ「終わりました」の公式アナウンスもない、なんとも宙ぶらりんな気持ち悪い状態のようである。 PowerDVD14でもこうやって使えないながらグレーアウトで機能の存在は示唆している、ってのがまさにいまこの機能の置かれた状態そのものをあらわしている。 使ってみた感想は、楽しい。ヌルヌルで面白い。 しかし、演算スピードが遅れて不自然にズレが生じているようにも見える。リップシンクが明白にずれることが多い。 またアニメーションに顕著だが背景の等速移動が完全に滑らかになるせいで逆に「これは背景の上に平面のセル画が乗ったアニメーションという技法の一種のだまし絵ですよ」感が強まる感じがある。 でもまあそれも含めて面白い。 実写の映画だと映像そのものが生っぽくなる。かつてのテレビで言うところのスタジオVTR撮り(フィルム撮りより秒間フレームが多い)的になる。安っぽくなる、という感想も当然わかる。俺は面白くていいな、と思う。オリジナルにも良さがあるわけだから、両方を楽しめ

外付けモニター使用時に動画の白っぽさをなくす AMD, APU篇

Ryzen7 5750G APU搭載パソコンを買った。 初めてのAMD CPU。どうも慣れない。 デスクトップ画面を右クリックしてもインテルグラフィックスコントロールに相当するものが出て来ない。だから画面の調整そのものができない。 調べるとAMDのページに行って自分でグラフィックソフトを落としに行かなければならないようだ。 AMDのドライバー&サポート ツールをダウンロード、自動検出した結果入ったのがアドレナリンなんちゃらというソフト。 これが面食らった。ゲームがどうたらゲームがどうのこうの。ゲームゲームゲーム。いや、ゲーム用のソフトなんかいらねえよ、俺はAPU用のグラフィックドライバーを入れたいだけなんだよと思ったのだがどうやらこれがそうらしい。 歯車アイコンでやっとグラフィック設定らしきページに入れたけどこれがまたゲームに全振りで インテルのそれ と全く勝手が違う(最近のインテルグラフィックスもゲーム寄りではあるようだが)。これがそうかな? これなのかな? と手探りで馴染みの必要な機能をオンにしていく。 まず① 画面の階調を制限範囲から全範囲に これがインテルのそれと用語が違う。「ディスプレイ」の「ピクセル形式」で「RGB 4:4:4 Pixel Format Studio (Limited RGB)」から「RGB 4:4:4 Pixel Format PC Standard (Full RGB)」にする。これでまずデスクトップ画像の白っぽさが消える。白い文字の灰色っぽさが消えちゃんと白くなる(そういう変化がわかりやすいデスクトップ画面に設定しておくとよい) そして② 動画のコントラスト自動調整をオフる この②についてはやる必要がなかった。コントラスト自動調整という機能、項目自体が存在しないからだ(ずいぶん探した。2022年7月14日現在)。いまカッコに日付けを入れたけどそれには理由があって、どうもググるとAMDのグラフィックドライバーは仕様変更がずいぶん頻繁で、そういう機能が存在した時期もあったようなのだ(名前もしょっちゅう変わる。カタリストだなんだ)。 つか、動画のカスタム機能枠で設定できるパラメータ、なんと今日現在「明るさ」のみ。 しかもこれ、名前つけて複数記憶、とかできない。数値変えたきゃその都度手変更。用途別の適正な明るさを自分でメモなりなんなりしとか

THE GREY 凍える太陽 2011

午後ローの録画をいま頃観た。 事故後の展開が「なんで?」の連続。飛行機一個落っこったら管制塔大騒ぎ、全力で探すに決まってるので「ここで待ってても誰も来ない。南へ向かうぞ」がまったくイミフ。 あーB級映画だバカ映画だあとはラストまで苦痛に耐えるだけだなと思ったら最後の30分は良かった。なるほど、ここに持ってきたいがための少々無理無理の導入部だったのね。 「生きて帰ったところでなにもないんだよ俺は。昼は穴掘って夜は酒呑んで喧嘩。もういい。疲れた」 これは胸を突かれた。これを見せたいがためのあのワル、クズっぷりだったのね。 「おい、見てんだろ? お前に言ってんだよ! いるんなら証明してみろ! 後でじゃない、いますぐ!」 だが答えない神。答えないのではない。いないのだ。もともと。 そしてエンディング。父親の四行詩。最後の30分はとても良かった。 なるほど、製作にリドリースコットが噛んでるのか。それで、と思いかけたが、トニースコットも噛んでるので「それで」と逆の方向に思い直した。
 
 

バットマン The Batman 2022

THE BATMAN-ザ・バットマン-(吹替版)( リンク ) 導入部のワクワク感は凄かったんだ。新しい。多勢に無勢で敵わない、衆をたのんでいるだけのクソみてえな不良どもをまとめてボッコボコにしてやるという少年の日の夢。殴り方がスーパーヒーローの完璧な殴打でなく微妙にしろうと臭いところが逆によかったのだ。ごり。ぼくっ。多少殴り返されたりして。リアルファイトのリアリティー。 飛ぶぞ! 飛ぶ! まじに? できるのか、俺? からのダイブ。そして完璧とは行かない、現実にはこうなることもあるよねだってスーパーヒーローじゃないから、俺ただのコスプレおじさんだからな満身創痍の着地。恐怖と闘いながら無理無理ヒーローやってるひと。これは新しいバットマン像の構築に成功したんじゃないか。 しかしラストは、んー。水門爆破、洪水、新市長暗殺。要素てんこ盛りにして「どうだ!」と差し出されても。クライマックスなんで、ってそれだけのあれ。積み上げたリアリズムがシューッとしぼんでいくのがなんとももったいなかった。 あんだけ狙撃者いんだからいらねえじゃん洪水。
 

続・荒野の七人

 一作目を観てないままいま頃観た。午後ローの録画で。 まああんま良作ではないよな。 エピソードが羅列的で、それを機械的に消化していく、そういう平板な脚本に見えた。ひとのやってるゲームをそばで見てる感じだ。 中身が薄いのでやることやってしまうとたぶん40分くらいで終わってしまう。だから無理無理おんなじこと(襲撃しちゃ戻り襲撃しちゃ戻り)繰り返すのでなおさら話の密度は薄くなる。しかしそれは映画が元気だった時代の証拠でもある。ひとは観るための映画を欲し、作ればそれにひとは入ったのだ。 黒澤作品の翻案なので劇伴なんかもちょっと影響されてたりする。しかし映画の出来はまったく雲泥の差。ルーカススピルバーグが黒澤に心酔したのも無理からぬことである。ハリウッド娯楽作の水準が粗製乱造で凋落していた時代。 しかしユルブリンナーの存在感はピカイチで、だからもちろん主役なのだし絵になるし。三船が三船という肉体で勝負しているのと同じに。たいした話でないのにともかく映画が締まる。午後ローのリマスター具合も相まってこれは絵面を見る映画だ(繰り返すが内容はしょぼい)。 彼のこの名演、存在感がウェストワールドでの起用につながっていく。役柄としてはまったく同じ役だ。イコンとしてのガンマン。 フェルナンドレイの登場におっと思った。あの名優がこういう映画で割とどうでもいい使われ方をしていたのだという軽い驚きがあった。