今日からアマプラで公開。観た。
んー。
ネルフ本部。人類補完計画。家族。鉄道。貨物。操車場。宇部。式日。風呂。弾ける綾波。シンゴジ。シンウル。
豊富な参照。まあそういうのは俺は観てて楽しいです。楽しいけど、んー。
もっとやれたでしょ!? 感が。割とみなそうだったんじゃないかな。俺はそう思った。え、庵野さん、こんなもん?
予算ですかねえ、結局。予算内ではまあこんなもんかと。
観ながら忖度というか補完しまくりだったねなんか。俺はグラボか。リアルタイムレイトレーシングか。
例えばこんな会話が欲しかった。「必要な資材、武器、食料、人員、生活費行動費は可能な限り調達する。なんでも遠慮なく言ってくれ。我々日本政府は君らを全面的にサポートする」
「なんでそんなによくしてくれるんです」
「ショッカーと戦える軍事力、暴力装置が現状他にないからだ。我々には選択肢がない。君らが負ければ人類は滅びる。だから君らに賭けるしかない。政府として持てるリソースすべてを君らに注ぎ込むのはつまり我々人類のエゴイズムだ。君らは命を賭けている。感謝は不要、当然の対価として受け取って欲しい」
で、シャワー付きのキャンピングカーどころかアジトとして不自由のない居宅を用意する。それが当然でしょ? なのになんで野宿(ターフすらない!)とか田舎の集会所とか?
風呂も入らず着替えだけで済ますふたり。悪臭が伝わってくるようで話に集中できねえよ(これも庵野氏の作家性だよね。シンゴジでもシンウルでもやってた。なんだ、風呂入らないフェチ?)。
綾波だったらあんなすっぽりお着替えせず堂々平然と脱ぎだすよね。綾波が急にアスカになる。式日(しきじつ)のセルフオマージュなのでヒロインの二重人格はしょうがない。
女を描くのが下手なのかなあ? とも思う。いや、単に「俺の好みじゃねえ」ってことなのかもしれないけれども。
不世出のキャラクター綾波レイはつまりそういうことなのだ。ボロが出るから、喋らせないようにした。黙ってりゃ男の方で誤解して勝手に謎美女にしてくれるから。今回実写版綾波レイ然として出てきた浜辺美波が見事にそこらへんの構造を暴いてしまった感じだ。口を開いたらアスカ。ぎゃあぎゃあぴーぴー、結構つまんねえ女だ。
シンエヴァも本作もそうなんだけど、やたら家族家族、家族愛、親、ちちははの愛みたいのにこだわりまくるのは生育において欠落のある者である。それは能く描けている(庵野秀明の私小説だから)。憧れの対象なんだよねつまり。理想化している。凡庸に育っていればそこまで強く抱かぬ感情。
これはあの英語問題や早口の難解用語ともかすっている。英単語というだけで突然くぐもったそれっぽい発音。俺は知人を思い出した。「英語は縦に書いちゃ駄目なんだよ!」。理由を問いただすと「だって横文字って言うでしょう!」。頭良く見せようとして必ず逆の地点に着地してしまう庵野秀明の宿痾。おそらく不治の病だろう。
ラストバトルのぐだぐだ感もひどかった。なぜ息を切らしながら互いに長広舌をふるわなければならないのか? 本気の殺し合いをとディレクションしていたのではなかったっけ? 演出に定見がない。
つながってるんだろうか。おんなじ世界なんだろうか。工(たくみ)君の方は実は巨大外星人に変身できるひと(あるいはあのラストを承けて変身能力は失ってしまったあのひと)なんだろうか。その後、なんだろうか。そういうのを想像するのは楽しいのでそういう設(しつら)え、余地は好きです。よいと思う。
手を上げればそれが合図になる、必ず気づく、というあたりに工君の超常能力が暗示されている。
藤岡弘の暑苦しさをまとわぬ線の細いふたりはよかった。庵野も村上もファシズムを志向しながら結局男らしい男は描けない。少なくとも庵野氏においてその弱さは美点である。
ロボット刑事K登場も面白かった。でも出オチ! 格別の活躍はない。ただ見ているだけのひと!
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