スキップしてメイン コンテンツに移動

「シン・仮面ライダー」2023.

 今日からアマプラで公開。観た。

んー。

ネルフ本部。人類補完計画。家族。鉄道。貨物。操車場。宇部。式日。風呂。弾ける綾波。シンゴジ。シンウル。

豊富な参照。まあそういうのは俺は観てて楽しいです。楽しいけど、んー。

もっとやれたでしょ!? 感が。割とみなそうだったんじゃないかな。俺はそう思った。え、庵野さん、こんなもん?

予算ですかねえ、結局。予算内ではまあこんなもんかと。

観ながら忖度というか補完しまくりだったねなんか。俺はグラボか。リアルタイムレイトレーシングか。

例えばこんな会話が欲しかった。「必要な資材、武器、食料、人員、生活費行動費は可能な限り調達する。なんでも遠慮なく言ってくれ。我々日本政府は君らを全面的にサポートする」

「なんでそんなによくしてくれるんです」

「ショッカーと戦える軍事力、暴力装置が現状他にないからだ。我々には選択肢がない。君らが負ければ人類は滅びる。だから君らに賭けるしかない。政府として持てるリソースすべてを君らに注ぎ込むのはつまり我々人類のエゴイズムだ。君らは命を賭けている。感謝は不要、当然の対価として受け取って欲しい」

で、シャワー付きのキャンピングカーどころかアジトとして不自由のない居宅を用意する。それが当然でしょ? なのになんで野宿(ターフすらない!)とか田舎の集会所とか?

風呂も入らず着替えだけで済ますふたり。悪臭が伝わってくるようで話に集中できねえよ(これも庵野氏の作家性だよね。シンゴジでもシンウルでもやってた。なんだ、風呂入らないフェチ?)。

綾波だったらあんなすっぽりお着替えせず堂々平然と脱ぎだすよね。綾波が急にアスカになる。式日(しきじつ)のセルフオマージュなのでヒロインの二重人格はしょうがない。

女を描くのが下手なのかなあ? とも思う。いや、単に「俺の好みじゃねえ」ってことなのかもしれないけれども。

不世出のキャラクター綾波レイはつまりそういうことなのだ。ボロが出るから、喋らせないようにした。黙ってりゃ男の方で誤解して勝手に謎美女にしてくれるから。今回実写版綾波レイ然として出てきた浜辺美波が見事にそこらへんの構造を暴いてしまった感じだ。口を開いたらアスカ。ぎゃあぎゃあぴーぴー、結構つまんねえ女だ。

シンエヴァも本作もそうなんだけど、やたら家族家族、家族愛、親、ちちははの愛みたいのにこだわりまくるのは生育において欠落のある者である。それは能く描けている(庵野秀明の私小説だから)。憧れの対象なんだよねつまり。理想化している。凡庸に育っていればそこまで強く抱かぬ感情。

これはあの英語問題や早口の難解用語ともかすっている。英単語というだけで突然くぐもったそれっぽい発音。俺は知人を思い出した。「英語は縦に書いちゃ駄目なんだよ!」。理由を問いただすと「だって横文字って言うでしょう!」。頭良く見せようとして必ず逆の地点に着地してしまう庵野秀明の宿痾。おそらく不治の病だろう。

ラストバトルのぐだぐだ感もひどかった。なぜ息を切らしながら互いに長広舌をふるわなければならないのか? 本気の殺し合いをとディレクションしていたのではなかったっけ? 演出に定見がない。

つながってるんだろうか。おんなじ世界なんだろうか。工(たくみ)君の方は実は巨大外星人に変身できるひと(あるいはあのラストを承けて変身能力は失ってしまったあのひと)なんだろうか。その後、なんだろうか。そういうのを想像するのは楽しいのでそういう設(しつら)え、余地は好きです。よいと思う。

手を上げればそれが合図になる、必ず気づく、というあたりに工君の超常能力が暗示されている。

藤岡弘の暑苦しさをまとわぬ線の細いふたりはよかった。庵野も村上もファシズムを志向しながら結局男らしい男は描けない。少なくとも庵野氏においてその弱さは美点である。

ロボット刑事K登場も面白かった。でも出オチ! 格別の活躍はない。ただ見ているだけのひと!

コメント

このブログの人気の投稿

インテルグラフィックスの設定で動画の白っぽさを解消する(白っぽさシリーズ、その3 たぶん完結篇)

 タイトル通りです。  なにげにね、ほんとなにげに、さしたる予感、確信もないままインテルグラフィックスなにげにいじってみたの。そしたら、この間(かん)の懸案が一瞬で解消してしまった。   HDMIさん 、 サイバーリンクPowerDVDさん 、いわれなき嫌疑をかけていままで悪し様に罵ってすいませんでした。  悪いのはわたしの無知でした。  動画の白っぽさを、なくす。  グラフィックスビデオ設定のコントラスト自動調整を、オフればいい。  後出しジャンケンだけど、答えが出てしまえば「なーんだ」、だよね。  確かにそうだ。明暗の自動調整にノイローゼなってんなら、それ切ればいい。  いやもう、白っぽくて白っぽくて(露出不足でラボから上がってきた昔の印画紙みたい)、また瞬間瞬間に不自然に画面の明るさがディジタリーに、階段状に変わる、明らかにおかしい感じの動画、一瞬で正常化してしまったよ。 「あらこの場面ちょっと暗いわね、こんなんじゃなにがなんだかよくわかんないでしょヨッちゃん。おばちゃんがいまここちょっと明るくしたげるからね」って、パソコンの中のおばちゃんがいままで世話焼いてくれてたんだよね。  僕はおばちゃんに暇を出すことにしました。  俺ヨッちゃんじゃないし。  ノートパソコンの設定としてはデフォルトがそれっての、たぶん正解なのかもしれないね。映像ソースの再現忠実度よりも視認性。  外付けモニターの購入で小さい画面では全然わかんなかった、気にもならなかったことが見えてきた。一挙にアラが見えるようになってしまった。デカい画面という、そういう「量」が「質」のこと炙りだすのってなんかこうあれだよね、示唆するものがある。  この間の死闘、暗闘は消耗したがしかしまたその分得ることも実に多かった。いままでそこらへんの知識まるでなしにパソコンで動画見てたんだよね。実に十年間くらいはおかしな設定の変な色、明るさのままで。「きったねえなあ」ってぶつぶつ文句言いながら。  グラフィックスのビデオ、調整できるパラメーターは他にもあるので、まだまだ勉強すべきこと、更なる発見、正解があるはずである。しかし、懸案の巨大な山はひとまず乗り越えたんだと思う。  しばらくは精神の安定を取り戻せそうで一安心である。 * * * ...

「星を追う子ども」の感想

 いまから「星を追う子ども」という作品の悪口を言います。星を追う子どもという作品で涙を流した方、新海誠ファンの方は読まないほうがいいと思います。以上、配慮でした。  いやあ、ひどいね。ひどすぎるね。なんだろうこれ。  何を考えているんだろう。  もうね、10分が限界だよ。観るの。通して観るの。だからちびちびちびちび観たよ。何ヶ月もかかって。そんないやなら観なきゃいいじゃんだけど観たよ。  おそろしく長い悪口になると思うので最初にサマリーだけ、見出しだけ列挙しておく。  宮崎駿オマージュ、キャラクターデザイン、頭でっかち、5秒ごとに「はっ!」。マイケルベイ方式。音楽盛り上げ。長い。無駄に長い。新興宗教? 金どっから出てるのよ。新任の先生は特務機関員、と思ったら実はアガルタ研究者で元軍人で奥さんを蘇らせようとしているのだった! 厨二女子の妄想。  オマージュという言葉を最初に知り、かつそういう言葉で修飾することに何の意味があるのか? と初手から疑問を抱くきっかけになったのはデパルマのアンタッチャブルだった。既にポチョムキンを複数回見ていた俺にとって、デパルマが乳母車を階段に転がすことが引用行為であることは理解したが、なぜそれがこの映画のあの場面において引用されなければならないか、また、なぜそれが「オマージュ」と特別に横文字で呼称され、「な、これ、エイゼンシュテインへのオマージュなんだぜ。すごいだろう」と、それこそ敬意を強要されなければならないのかがさっぱりわからなかったのだった。それはいまでもわからない。  その愚行を更に低レベルでこれでもかこれでもかとリプレイしてくれたのが本作「星を追う子ども」である。  しかしどうなんだろう。宮崎駿、試写会招待あったんだろうか。これはさすがに本人も、惣流アスカラングレー同様「ぎぼぢわるい」とうめくしかなかったのではないだろうか。  もう最初から、5分と見続けることが苦痛になってしまったのだが、その原因は複数あって、まずはキャラクター造形、キャラクターデザインにある。  主人公の女の子、全然萌えない。頭でっかち、間抜けの小足で、なんだか体型のバランスが変なのだ。サザエさんみたい。それでいて顔だけはナウシカ、さつき、キキ。  パンチラを期待させるサービスカットが豊富だが、「こいつの見えても別に……」な気...

動画が白っぽく見える問題とPowerDVD(白っぽいシリーズ、その2 暗闘地獄篇)

※以下の記事には依然勘違い、誤り、錯誤が含まれています。陥りやすい迷妄のひとつとして残しますので、同病罹患の方のご参考にご笑覧ください。ではどうぞ。(迷妄を脱した最終解決篇は こちら )    *  *  *  今日PC上の動画再生について飛躍的な発見があった。いや、俺の中でね。  動画が白っぽく見えて見えて違和感があってしょうがないの、よーやっともうひとつの巨大な原因が判明したよ。  判明してたひとつは HDMI&グラフィック設定の問題 だけど、たぶん今回の発見こそが動画白くなる原因の殆どを占めていた感触。ごめんね、HDMI。いままで過剰に憎んでいて。  PowerDVD様がさ、リアルタイムに明度とかなんとか自動補正してくださってたの! 道理で締まった黒であるはずの場面が白っちゃけちゃうはずだよ!  なにげに今日初めて、VLCメディアプレイヤーで動画再生してみたの。そしたらもう全然違う。霧が晴れたよう。すべての原因がわかったのと併せて本当の意味で霧が晴れた。  暗い場面はちゃんと暗く。  それをさ、PowerDVD様はさ、ご丁寧に「どうだ明るくなっただろう」ってお札に火ィ点けたんかなんか知らんけどいちいちいちいち画面調整してくれてたってわけさ。おかげでずーっと動画には一枚紗がかかってるというさ。  ならVLC常用すればいいじゃん、って話なんだけど、先般クラッシュしたままでもう使用できない。安定度に欠けるしやはり使い勝手が悪い。  まだ何がどうなってんのか正確に把握している自信もないからなんもかんもパワーDVDさんにおっ被せるのもフェアでないし。  PowerDVDの設定画面、映像処理、味付けの選択肢がなまじ多いんで俺にはお手上げだよ。  明らかにプログレッシブであるソースにデインターレースを掛けるのって意味あんのか。むしろオフった方がいいのか。オフるべきなのか。  ハードウェア動画再生支援ってどういう支援をしているのか。画質、明度の修正までおせっかいに踏み込んでいるものなのか(どうもそんな感じっぽい)。  すべての補正、修正をオフってソースそのまま、生(き)のまま観るにはどう設定すればいいのか。  そういう諸々がまるで判断がつかないし、ググればむしろ真偽不明の怪しげな超理論にぶつかったりして解決から遠のく...