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ウィークエンドサンシャイン、ボブディラン「モアブラッド、モアトラックス」特集。 世界の快適音楽セレクション、新規と継続の音楽。 コロンビアの恋、エレンバーンスティン。サラ。否定。 フィルラモーン。 スーズロトロ、イタリア、四丁目の恋。 74年春ノーマンレイベン、絵、時間圧縮。 「手に入ったらどうなんでしょうか」「手に入るまで、っちゅってるんで破綻はないんじゃないですか」 「どう思います?」「たまたまです」 窮地。ひとを助けたことがない。 デパート待機夫。すけたい。すけない。 BB、ザジ、サルバドル。 タイタニック、細野晴臣。 役に立ちたい。 ジョニミッチェル、ジェイムズテイラー。
世界の快適音楽セレクション、万事快調の音楽。 追悼、トミーリプーマ。 ベンソン、ブリージング。 ガラス越しでない同じ部屋。 YMOリミックス。 昼ご飯、空、撮影、快調。口内炎も膝痛もない、快調。 土日。 「調子ええな思った瞬間に駄目なりますね」 ゴンドラ下り、水バシャーン、口入った、脚痛い。 労基、アルバイト、パート。ガソリンスタンド。パンチ。「なぜこのような人間模様を」 「オムの卵焼き、カツの衣の厚みチェック係のパート」「ないと思いますよ」 1952-1954、陸軍、ハンプトンホウズ。 「海外に行きたくない」以外にヤなことがなかった。充実。

安彦良和『革命とサブカル』

 ずいぶんド直球なタイトルで、なおかつこのタイトル通りの内容。  岩波から先行して出た『原点』の続き、補遺でもある。 「自費出版でも出すつもりだった」という言通り、安彦氏自身が自分たちの青春にケリをつける、総括するただそのために作っている感じがむしろ好もしい。あの数年間の体験は何だったのか。なぜその数年間の体験が生涯を呪縛し続けているのか。「若いひとたちに先轍を踏ますまい」とかいう老婆心、老爺心は二の次。だからむしろ信用できる。プロパガンダではないのだ。わかりやすさなどすっ飛ばして、当事者が語りたいままに語っている。  それで興味を持つ若い読者がもしいるなら、彼は自分でその用語、事件、思想、闘争について積極的に調べる労を厭わないだろう。それだけの行動をひとに起こさせる、そういう魅力に満ちた証言の書になっている。  安彦良和氏がどれだけの重要人物か多言を要しないが、しかしおそらくアニメ、漫画ジャーナリズム界隈が触れない、触れようとしない氏の側面がある。氏が秘密にしているわけでもないのに。  そしてそれはたぶん日本アニメーション史を俯瞰する上で、欠落させるとむしろ不自然である事柄でもある。 「文化運動」の語を持ち出せばそれが戦後日本において政治と無関係ではなく、むしろ直結していたことを往時のひとは知っているはずだ。  宮崎、高畑。つまりジブリ組に対して本書で氏はかなり直截な事を言っている。横っ面を先に張ったのは宮崎の方だ。アニメーションに多少詳しいひとなら、宮崎が安彦氏に向けた軽侮と思しきものに思い当たるはずだ(軽侮どころか、宮崎はアニメ誌の対談企画を「そんなひと知らない」と一蹴までしている)。  そしてその軽侮はもちろんある種の羨望、嫉妬に裏打ちされている。単に技量上のそれにとどまらず、日共対反日共という党派的感情を丸出しにした。 「党の良い子」で居続けた優等生にとって、そこを飛び出たアウトロー、全共闘という鬼子に向ける感情は単なる批判にとどまるはずがない。  そして安彦氏の絵は、主人公の昏い目は、言語による思想の直截な表明以上に、「良い子(の欺瞞)」に向かって何事か突きつける衝迫力を持っている。  宮崎駿はアムロレイの昏い目に怯えたのだ。ブライトノア、富野喜幸がそうだったように。叛逆の怨念(ルサンチマン)を宿した、極左暴力集団トロツキスト...

蛭子能収が行く!イチかバチかのバクチ飯▼横浜中華街の究極牛バラ煮込み (BS-TBS)

 俺、蛭子さんはめちゃめちゃ大好きなんだよ。  テレビでトッぽい芸人が蛭子さんイジって嘲笑ってたりすんの見てめちゃめちゃ腹立ててた口なんだよ。お前ら、このひとがどんだけ偉い漫画家か知らないのか。それに蛭子さんが何をした。ひとつもおかしいことなんかしてないじゃないか。いちいちその所作を取り出して笑うなよ。と。  ところが、この12分の番組見て気持ちがちょっと一瞬で変わったね。申し訳ないけど変わってしまった。  あー。確かに、ひとを苛つかせてもおかしくない個性を持ってる。かなりひどい。  蛭子さんを悪しざまに言うひとたちの気持ちが初めてわかった。いま頃わかった。  どんだけデリカシーのないひとか。 「萬珍樓ってなんか、変な名前ですよね。へへへ」。これを三回繰り返した時にはさすがに唖然とした。  作品を通じて以外に接触しちゃいけないアーティスト、そのひとつの典型例、究極例を体現してる感じは確かにある。  と、そういうことを体感するには絶好の番組ではあるな、これは。
世界の快適音楽セレクション、スリムの音楽。 「若い女子アナに言って欲しい」ホチョノハウス。 サムクック謎の死。 マークノップラー。デモヴァージョン、チャーリーギレット、ホンキートンク。 にながわ。そういうとこな。 コンバット、リトルジョンでかかったで。 15、水泳、モダン焼き、おでん、刻みうどん。 アンディーマッケイにしむらけんと、オリジナル。 「このまま痩せたままなんじゃないか」 オリジナルダンス。下町のプリンス。「和風、好きー!」。ナオぺさん、みんなやめとけの目、「よー腰動くなー」 オム、小躍りダンス。

「カメラを止めるな!」

 金曜ロードショーを録画して観た。  なるほど、秘宝で評価高いのも納得。  これはあれだね、スケールの小さい話だね。  そこがいい。  戦争でも天変地異でも、世界を救う話でもない。そこがいい。  神経症やアル中、頼まれてない熱演に励む大根役者。やる気だけ空回りする映画監督の卵。ひとりひとりはダメ人間であるのに、それが映画製作に協業した時起こる奇跡。  いや、出来た代物は大したものじゃない。最初の37分で俺たちが目にした通り。粗が多く整合性を欠き当然感動も何もない。  だが、映画はこの37分経過後から始まるのだ。  娘のピュアな情熱がサラリーマン化した駄目父さんを動かした。そういう解釈を取り感動したひとも多いのかもしれない。  俺は逆なんだと思う。  キャップをポン! と跳ね上げられておばちゃん呼ばわりされたおばちゃん以下、「速い、安い、質はそこそこ」の仕事を黙々とこなしてきた「チーム日暮」の底力があったからこそ、この奇跡は生まれたのだ。彼女があの写真を父親に渡す時、依然その事に気づいていないとしたら、娘は何一つ成長していない。そこには単なる増上慢心しかない。  傍証はある。金曜ロードショー放送時の生副音声で上田監督ははっきり証言している。「妥協できるカッコよさ」と。ヴァラエティーの再現Vで飯を食ってきた職人日暮隆之に監督が体現させたものはそのプロ根性なのだ。  この解説副音声上映、いいよね。午後ローなんかも映画秘宝とコラボして気鋭のライターに好き勝手しゃべらせる解説上映なんか是非やって欲しいなあ(原語トラックつぶしちゃうことになるけど。でもまあ原語で観るひとなんてたぶん一割にも満たんでしょ)。  そしたら放送、毎回が永久保存版にもなるし。  なんか日大芸術学部映画学科の傑作「チャリン」を思い出したね。肌合いが凄く似ている。  いや、むしろ映画学科(及び学生映画サークル)が一般に背伸びして作りたがるのは彼女が着てたTシャツの面々(キューブリック、ゴダール、タランティーノ)なんだけど、チャリンは逆に等身大の大学生、ありふれた親子関係に立脚した、ものすごく足が地に着いたベタなドラマでそれが良かったんだよね。それとものすごくテーマ、作風が似ている。  廃工場、鉄柵の間隔が広過ぎ(柵としての機能が弱い)で、それが見てて冷や冷やし...
世界の快適音楽セレクション、YesとNoの音楽。 いけだとよひこ部分スキップ。 新宿、耳。 すずめ、ガラス。じぇいらもたすずめ。 スニーカーを作る子供達、学校にも行けないんだって? ゴーンカーカー亀松堂。 ええとこ。 僕が果断にしても信じてもらえん。 口に中にオーケストラ入ってるビングクロスビー。 「地球の住み心地どうや」「どおて」 1976LAライブ。 マノンとグリュー。メロドラマ「割と普通。最後は高らかにw」 トナカイ、ツノが凄い。ヨイク。9-10月は出荷で。 映画ヤングアットハート。