スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

5月, 2013の投稿を表示しています

みうらじゅんのサントラくん aired on 130528

http://www.nhk.or.jp/r1-night/mjs/mjs05/index.html  より、2013年5月28日(火)「サントラくん」曲目リスト。 M1「シー・ラブズ・ミー」(映画「恋しくて」'87・米)★ M2「ガス人間第1号」('60・日) M3「シベリア超特急」('96・日) M4「北京原人 Who are you?」('97・日) M5「ビヨンド」('80・伊)監督: ルチオ・フルチ M6「ウェインズ・ワールド」('92・米)マイク・マイヤーズ M7「ゴジラ対ヘドラ」('71・日)☆ M8「夢の中へ」(映画「放課後」'73・日)主演: 栗田ひろみ ★の選曲は、細川ふみえさん ☆の選曲は、町山智浩さん みうら「…最終的にはこういうことを熱く語って、飲み屋で女子に嫌われるということになってつながっていくわけでございますけれども…」             別録りゲスト、細川ふみえ。町山智浩。 細川ふみえの声が若くて凄い。作ってる不自然さもなかったし。 声だけで抜けるかわいらしさ。

アイアンスカイ Iron Sky

んー。面白かったんだけどねー。 コンセプト(月に潜んで、潜みすぎて、浦島太郎なってるナチの残党)が面白すぎたので期待大になり過ぎて、まあまあ面白かったのに残念感が残る、って感じかなー。もっと面白くできたんじゃないかなー、と。 「このデバイスで世界を征服する!」って、もろあの企業のキーノートだかプレゼンだかのアイロニー。通底するもんあるよね。どっちも洗脳、プロパガンダ。 2018年、米大統領は共和党のエロエロペイリン。執務室で再選目指してフィットネスの真っ最中。ブレーンについた代理店が黒人票の獲得も狙って……。こういうの作れる、作っちゃうアメリカはやっぱ日本の先を行ってるよ、間違いなく。 (追記:っていうのは全然間違いで、全然アメリカ映画じゃなかった。 wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%A4 official site  http://gacchi.jp/movies/iron-sky/ 監督も役者も無名の小品だから、あんまり厳しい目で見ちゃ駄目だったね。) ナチと代理店の親和性の高さ。ナチリニューアル、現代風解釈のあのエロさはいいよね。結局ナチズムって現代において性欲喚起装置、フェティシズム、戯画化されたマチョイスモの文脈で消費されるしかないんだよね。 「編集が甘いな」。反ナチの古典がいまの普通のひとには退屈に過ぎ、むしろ現役ナチねえちゃんの胸を直撃、なのがうまい脚本。でも、「編集の甘さ」は本作自身も終盤貫いてしまうんだよね。 ストーリーはいいのに演出にスピード感を欠く感じ。マークLレスター千本ノックで大衆芸術の基本を学んでほしい。 「わが首領様が作った! ……な、なにがおかしい!」。宇宙戦艦GWB。面白いんだけど、笑ったけど、そういう小ネタの羅列に終わった憾みがあるかなあ。

悲しき獣 (The Yellow Sea 黄海)

んー。面白かった。つーか凄かった。 評判通りミョン社長だよね。フィーチャリングミョン社長だよね。 強いとか獰猛とか、それだけじゃないんだ。あのざっくばらんな気さくな感じ。うん。こういうひといるよね、こういう社長のとこで単発のバイトしたことあるよね、バイトのあと飯食わせてくれたよね、な感じ。人望、人徳、求心力。 それが豹変、とかじゃなくて、あのいつもどおりなまんまで斧と骨振り回すからアタマくらくらすんだ。日常と暴力の自他境界線がない。シンジ君タイプじゃない。生活に無理がない。逆上という瞬間がない。常に自然体。 主人公とミョン社長、映画冒頭で既に会ってるんだよね。「なんだおめえ? 変な野郎だな」って。この瞬間にもう「てめえ俺を誰だと思ってやがる」とかって凄まない、虚勢を張らないミョン社長のキャラクターも、そして、「この若造ちょっと変わってるな。ヤクザにも見えねえし。といって普通でもねえし」と相手の非凡を見抜いている社長の眼力も描かれている。 完全無欠に見えた社長が、実はここでヘタを打っている。そのように自らのすぐれた眼力で非凡を見抜きながら、「ま、とはいえ、どこにでもいるどっかのクズにはちげえねえだろ」といつもどおりの使い捨てコースに乗せてしまった。 ミョン社長、ここで裏切らずちゃんと約束も報酬も履行していれば本物の大人物になれたのに。 まあそしたら、そんなことしたら、アクション映画成立しませんが。 貧困と身分の不安定、その隙に暴力と非合法が根を張る。弱みと足元をみて犯罪に使駆される。そういう構造を告発するお話の土台がまずあって、しかし監督はその「正しさ」に寄っかからない。「これは岩波ホールで上映される政治的に正しい映画なんだから正座して見なさい。観たあとは面白かったって言いなさい」と強要する甘えがない。 スプラッタ描写は俺全然苦手だけど、省略法も駆使した全力疾走の展開は文句なしのエンタテイメントだった。韓国映画のレベル、めちゃめちゃ高いんじゃないか。シュリよりも全然進化してる。 あの教授の奥さん、斉藤由貴似でめちゃくちゃかわいかったなー。この美貌、実は伏線にもなってる。 最後のほう、結構複雑化してきて俺ついていけなくなった、話が把握できなくなったんだけど、そこはこのDVD素晴らしい。「人物相関図」が特典としてあり、これ見たら一目瞭
…地に足をつけたまま浮遊しない出世民主主義の方法論にどっぷりつかった若者たちであり、地に足をつけたままの自立しない若者を好んで雇用する幼稚な社会そのものであるはずです。  ならば佐高は、新卒採用偏重の雇用市場を徹底的に批判すべきでしょう。そして、浮遊も自立もしていないクセに、カネだけは持っている正社員という名の青二才が支配する日本社会そのものを、敵にまわすべきでしょう。そういう批判こそ、私が左派に望むことなのです。 『若者を見殺しにする国』 赤木智弘、2011年。
そしたら、埴谷雄高は「いや、それは違う」「物書きということでいえば、実際に腹を切ってみせなくてもいいんだ、未来を暗示できればいいんだ」という答え方をしました。物書きは、クモの巣がかかったような屋根裏部屋で、ノンベンダラリンと寝ころびながらモノを考えていてもいいんだ、未来を示唆できたら、それは立派な「革命」になりうるんだというのが埴谷雄高の考え方でした。  そのときのやりとりを見て、三島由紀夫はやはり三島由紀夫だと思いましたが、埴谷雄高は「さすがだ」と思いました。僕は、埴谷雄高のいいぶんのほうが優れていると思います。 『私の「戦争論」』 吉本隆明。初出、1999年。

コマンドー 日本語吹き替え完全版コレクターズボックス

これはね、いいですよ。 玄田哲章以外のヴァージョンがあるだろうことは以前から気づいていました。 VHSで録ってもう繰り返し見たやつ。なんでこんな他愛もない話飽きもせず何度も何度も観るのか自分でもわからない。それを誤って消してしまったあと、日曜洋画劇場玄田哲章吹き替えで観てみるとどうも自分が慣れ親しんだヤツではない。 今回の屋良有作(TBS、水曜ロードショー荻昌弘)版同録は偉業ですね。これでしたよ。自分が最初に親しんだコマンドーは。 シャツェネガの声はやはり玄田哲章フィックスで正しい選択だと思うけど、この屋良ヴァージョンはね、翻訳がいいんですよ。翻訳の遊びがいい。意訳を思いっきり自由に楽しんでいる。屋良有作さんがそれを伸び伸びと快演している。 最初のサンドイッチのシーン、「そうかもしれん!」って、なんか吐き捨てるように言うのがいいんですよ、屋良さんのは。 "Remember Sully I promised to kill you last?" "That's right, Matrix. You did." "I lied." "You la laaaaaaied...." [original script] 「お前は最後に殺すと約束したな」 「そうだ大佐、た、助けて」 「あれは嘘だ」  パッ。 「アーーーーーーーー」 [テレビ朝日「日曜洋画劇場」昭和64年1月1日放送 翻訳、平田勝茂] 「お前は最後に殺すと云ったのを覚えてるか?」 「覚えてるともそう云ったぞ」 「ありゃ嘘だ」  パッ。 「アーーーーーーーー」 [TBS「ザ・ロードショー」昭和62年10月6日放送 台本、宇津木道子] やっぱこのね、屋良有作さんの「ありゃ嘘だ」がいいんですよ。 同梱の解説書がまた充実しててですね、自分がかねてから抱いていた「なんで最近の吹き替えってダメなの? なんで機械翻訳みたいな直訳、教科書言葉なの? 普通こんな喋り方しねえよ、な棒読み文語ですます調なの?」の理由が明晰に記されている。自分の予想通りのところもあったし、予想を裏切る意外な真相もそこにはあった。 平田:…好きだったのは福田恆存。あの方のシェイクスピア翻訳

冨田勲のイーハトーヴ交響曲~初音ミクが歌う賢治の世界~

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2013/0203.html スクリーンでアブダカダブラ言いながら踊るの見て「やっぱわかんねー。わかんねー世界だー。気持ちわりー」の念を抑えることができませんでした。ハツネさん、冨田先生、ごめんなさい。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版Q EVANGELION 3.33 ブルーレイ

ヤマハのコマーシャルに使われてもおかしくない、そんなスタイリッシュな映像・音響結合。岩井俊二の映画って観たことないけど、こういう感じなんでしょうたぶん。少女漫画の文法。庵野秀明は今回その美学を自覚的に導入した。 ツイッターで誰か指摘してたけど、性役割ほんと逆転してんだよね。少年二人が頬赤らめながらピアノ弾いて、少女二人が人型決戦兵器でその少女のような二人に獰猛に襲いかかる。ほんとイマっぽい。 「どうしたらもっと上手く弾けるのかなあ」 「上手く弾く必要はないよ。ただ気持ちのいい音を出せばいい」 「じゃあ、もっといい音を出したいんだけど、どうすればいい?」 「反復練習さ。同じ事を何度も繰り返す。自分がいいなって感じられるまでね。それしかない」 レザボアドッグズで先輩デカの語る潜入捜査の心得がそのままタランティーノの映画哲学であるように、この会話も庵野秀明が自らの映像哲学を語っているように見える。 と同時に、これ、作品自体の構造、作品が描く人類、世界、宇宙そのものの構造の謂いにもなっている。ゼーレの老人もゼーレの少年もゲンドウも、それぞれが「かくあるべし」と思う本当の世界を求めている。 しかしまあ、やっぱり根本的におかしいと思うんだよね。少なくともゼーレの老人たちは。「予言の成就を願う」って、どう考えても背理、転倒した思考でしょ。「死海文書に書いてあったんでその通りにする」って、それ予言じゃなくて計画書じゃん。「予言の実行が遅れているぞ」って、それ、予言じゃねえじゃん。んで予言通りになった、バンザイ、これで安心して死ねるって、もうなんだか思考としてよくわからない。 よくわからないんだけど、世の中にはそういう類の転倒した、奇妙な思考に取り憑かれてわけわかんない奇行を始めるひとたちがほんとにいるから恐ろしい。 「ネルフでは『人類補完計画』と呼んでいたよ」 「ネルフが、これを。  ……父さんは、何をやってるんだ」 「……碇シンジ君。一度覚醒し、ガフの扉を開いたエヴァ初號機は、サードインパクトのトリガーとなってしまった。リリンの言うニアサードインパクト。すべてのきっかけは、君なんだよ」 このセリフ結構重要だと思うんですよ。カオル君はここで「サードインパクト」と言い切っている。リリン(=人類、つうことでOK?)たちが勝手に「ニア」をつけてる、

みうらじゅんのサントラくん 130430 on aired

http://www.nhk.or.jp/r1-night/mjs/ みうら えー栄えあるレギュラー化の一曲目は当然「あ! あれでしょ」と、みなさんも「あの曲に違いない」と踏んでると思います。当然ですよね。東宝映画「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」からテーマ曲を聴いてください。 みうら …なんていうタイトルか忘れたんですけども、「作詞:ブルースワン、作曲:ブルースツー、歌:ブルースリー」っていうなんかレコードがあったのを憶えております。お持ちの方是非ともなんていう曲だったか教えていただきたいんですけれども。映画と全く関係ない曲だったことを憶えております。 * * * リリーさん部分は事前収録だった気配。 正味50分の生番組。押してる結果最後の挨拶がなかば投げやりで面白かった。