そしたら、埴谷雄高は「いや、それは違う」「物書きということでいえば、実際に腹を切ってみせなくてもいいんだ、未来を暗示できればいいんだ」という答え方をしました。物書きは、クモの巣がかかったような屋根裏部屋で、ノンベンダラリンと寝ころびながらモノを考えていてもいいんだ、未来を示唆できたら、それは立派な「革命」になりうるんだというのが埴谷雄高の考え方でした。
そのときのやりとりを見て、三島由紀夫はやはり三島由紀夫だと思いましたが、埴谷雄高は「さすがだ」と思いました。僕は、埴谷雄高のいいぶんのほうが優れていると思います。
『私の「戦争論」』 吉本隆明。初出、1999年。
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