観終わったー。3年位かけてようやっと観終わったー。
フロドが全然冴えないんだけどそれは当然で伏線だったんだよね。本当の主人公を隠すための。
最初からサムに任せとけば良かったんじゃないの? 3年かけてちびちび観たんで、なんでフロドが運び屋に任ぜられたのかもうまったく思い出せない。
といって、んじゃ最初から観直せばわかるかっつったらこの映画の場合たぶんやっぱりわかんないんだと思う。
原作小説読んでないけど、読んだってやっぱりわかんないと思う。
サウロンだかサルマンだか、なんか途中からいなくなったよねえ。あれ? どういう時点でか倒したんだっけ? いやもう全然覚えてないよ。3年もかけて観たから。ともかく「時間を忘れてのめり込む」ような瞬間が一度もなかったんだよねえ。つくづくファンタジーに不向きなんだろう、俺。
(↓※追記。)
いろいろとスターウォーズと共通点があるよね。軍司令官然と下知を飛ばす魔法使い。溶岩山の決闘。ミッションを負った小さい人の冒険行。四つ脚巨大兵器。善悪併せ持つ究極のパワー。
もちろん、向こうがこちらを土台にしたんだろうけど。
ともかくその作品世界において理路が立つなら、別に魔法が使えようが空飛べようが死者が復活しようが当然どうでもいいんだけど、それでもちょっと「変だな」と思ったことがなくはない。
「さあ、ここから落としてくださいね。自分が落ちないようにね」と言わんばかりの整った「指輪落とし用施設」が活火山火口に整然と整備されてんのどうよ? それもサルマンの城のすぐ近くに。指輪落とされたら終わりなんだろ? 破壊するなり塞ぐなりしとくでしょ普通、近所なんだから。
なんかそういう、凄い魔法使えるのにいろいろと初歩的なとこが抜けてる双方の奇妙な殺し合いだったよね。
なんてディスったりしたけど、やはりここは最後にふさわしいいい場面だ。長いばかりで概ね退屈な映画だったけど、この場面だけはうん、良かった。「俺に指輪は背負えねえ。でも、俺はフロド様を背負うことができる!」。ついに、ついに、本当の主人公がその全身の筋肉を隆々とみなぎらせて登場するのだ。
結局のところフロドは指輪の、悪の誘惑に負けてしまうんだけど、そこであのちっちゃいひと、なんだっけ、そうだスメアゴルだ。彼の悪い心がここでむしろ事態を好転させてしまうのだから面白い。ここはさすが評判の文学だけある。一筋縄ではいかない決着の付け方だ。
黒田硫黄の「ねこねこ救助隊」にも描かれた三体問題を感じさせる。世界は当事者だけのものではない。複雑系なのだ。そういうことをまた作者トールキンも意識していたのか。
※2015年6月15日追記:
俺の印象通り、凄い不自然な不登場だったらしい。その経緯を読んだがどうも門外漢には判然としない。
おかしいよね。スターウォーズでダースベイダーが特に倒された場面もなくいなくなっちゃうようなもんだもんね。
そして経緯を知ったのは今日クリストファーリーの訃報に接したからである。
「死のー!」なんて異常な雄叫びを上げる割になんだかスカスカな印象が拭えない大合戦だったけど、その理由の一つじゃないかなあ。このクライマックスで竜虎合間見ゆる大将戦が見られないんだもの。片方の老人だけ奮戦してたらやっぱりバランスが悪い。
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