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「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」2021.

 

かなり良い。これは予想を裏切られた。

正直気が進まないまま観始めたのだ。いわゆるファースト原理主義者(になるつもりは別になかったのだが)だから。ともかくゼータ以降が幼稚でことごとく技術的映像的にも退歩退化してるようにしか見えなくて。だからこれもそういう一群の、いかにもオタク臭いものかと思ってたら。

ファースト(及びコミックのオリジン)以外で感心するガンダムに出会ったのはこれが初めてじゃないか。

非常にスタイリッシュ。キャラデザ、作画もいい。コックピットのモニタ視野が素晴らしい。

人間が地上にいる至近でのモビルスーツ戦のリアリズム。降ってくる溶けた金属。

ラストの一騎打ちなども演出にある種の思い切りがある。すなわち、戦闘をわかりやすく見せることの放棄。勝負は一瞬に、わけわかんない状態で決する。ならばそのわかりにくさ、わからなさをゴロリとそのまま皿に載せて提供すればよいのではないか。というコペルニクス的発想。

いや、観始めたときは暗澹たる思いにとらわれたのだ。いきなりいちばん大嫌いなアニメ的クソ女が出てきたから。おとな舐めくさって組んだ脚でセックスちらつかせるタイプ。またこういうのかよ! と思ったら、これに処するハサウェイがよかった(百パーよくはなかったが百パーいいと映画は20分で終わる)。「きゃー!」「ご、ごめん!」赤面する主人公、という5兆回は繰り返されたようなクリシェをひとつずつ丹念につぶしていく。「あー、もうそういうのいいから。業界でラッキースケベって言うんですか? 育ちの悪い下品な女だ。俺ァメンヘラの馬鹿女にはさんざひでえ目に遭ってんだ、もう懲り懲りなんだよ!」。とてもよい。そのあと助けたりしなければもっとよかったけどそうするとやはり映画がすぐに終わる。ここで負い目をつくったから、仲間を捕られるはめになったから、大将自ら大将機で取り返す展開になっていく。

そうして帰投したパルチザン(マフティー)基地の雰囲気。これが素晴らしく気持ちいい。活気に溢れ士気が高い。マフティーがいかなるものか説明的なセリフはほぼないが、政治教義など語らずとも彼らの気持ちの良さ、佇(たたず)まいが雄弁に語っている。けして狂信者の群れではないと。

これに先立つなんとか君との戦闘もまたそうだ。名前は忘れたが要するにこれは最新鋭機ガンダムを操る連邦の天才少年アムロレイに他ならない。その彼は人質を放出してハンデなしの一騎打ちに臨む。経験不足の若き兵士だからハサウェイの挑発にまんまと乗った? そうではない。険しい顔の神経質な若武者だが彼もまた善人、好漢なのだ。監督は意識的に、この戦闘を、作品を、気持ちのよいものたらしめようとしている。はい大事なひとが死にました戦争は残酷ですねここ泣くところですよー。ここでもそんなクリシェをひとつつぶしているのだ。

エンドロールで得心した。監督、村瀬修功。ウィッチハンターロビンのひとだ。夜中たまたま点けた12チャンで観たのが「ロビンがコンビニで買ったざるそば置いて事務所を去る」シーンで、俺はこの作品をそれまで観ていなかったしだから経緯も全然わからなかったけどこの場面は心を直撃したし監督の非凡才能はすぐにわかった。スタイリッシュで情緒がある。才あって徳なし冷笑ありばかりのアニメ業界でこのひとは明らかに違う立ち位置にいる。

このひとのガンダムなら、そりゃ、ね。いや、本当によかった。爽やかな読後感もとい視聴感。


2022/10/29追記: 説明セリフを意図的に廃した演出なのでリピ視聴に向いてる、耐える。ていうか何度も観たくなる。観るとひとつずつの意味がわかってくる。それが楽しい。面白い。少なくとも俺にとってはもうブレードランナーと同じカルトムービーだ(しかも行き当たりばったりにハリボテで作られたあちらさんよりこちらはきちんと精巧にできてる)。

再視聴、再々視聴で気づいたこと、なおも残る疑問等書く。

「アナハイム、やりゃあがったな」。ハサウェイが毒づく。自分が交渉し融通してもらったのと同時並行してアナハイムは連邦にも新型ガンダムを提供していた。

となると、降下時のハイジャックやら高級ホテルに閣僚を集中して泊まらせた「力」などが単なる偶然ではない気配が見えてくる。アナハイムは連邦とマフティーを噛み合わせ需要喚起を図っているのではないか。

植物の本にはたぶん空中受領の空間座標、引き渡し時刻が記されているのだろう(というか暗号解読のキーが双方で共有されてるはず)。

地上では強気のエメラルダがなぜ宇宙空間では、たかがモビルスーツを使用した無重力下の軽作業で泣くまで追い詰められたのか(逆シャアとかで既に語られてる? あるいはこれから開示される?)。

ていうかハサウェイ自分でやればよかったんに。ホールド後彼女に代わることもできたはず。

イレギュラーな空中受領となったようだが本来はどう受け取る手筈だったんだろう? 「このままではバリアントを巻き込むことになる」と言ってたからつまりそれが当初の予定? 甲板降下? それは空中受領ではないよなあ。

みんな上手いけどガウマンノビルさん(津田健次郎)が突出していい。「シャアアズナブルの幽霊なんかじゃないかってなァクククク」。素晴らしい名演。

「やられた⁉」眼前で剥がれていくコンテナが瞬時に修復し過去にまで意識が遡るあの描写の意味は。やられてしまったハサウェイの世界線もあるのか。それを遡行しやり直せるのが彼のニュータイプ能力なのか。

レーン機から放たれたノビルさんを捉えるハサウェイ機の実像スクリーンにハサウェイ機自身がアオリで映っているのはどういうこと? なにか俺勘違いしている?

ギギは服装といい態度挙措といいあからさまに商売女、囲われ者然としてあらわれるが、さて、80過ぎの伯爵はそういう目的で彼女に香港のアパルトマンやら日本の住居を提供したのか? やはり彼女の特異な能力(巫女性。ニュータイプ素養)を知ってスカウトした影の実力者、熱海の老人(比喩表現)といったところだろう。

つまり今回ハサウェイとケネス大佐はララアスンを取り合うシャアとアムロでもある(それはもちろん既に逆シャアで再現された構図である)。

ダンスフロアのビートがそのままダバオ襲撃につながるのはかっこよかったがしかし楽曲がジュワイオクチュールマキしてたのはちょっと(しかしこのダサさも意図的なものだろう。懐メロを敢えて挿れてくる。あからさまに007的オープニングテーマと同様)。

それにしてもギギ、何度見ても全てがムカつく下衆女。いや、ファムファタールだしそういうふうにつくってあんだからしょうがないんだけどさ。ほんとセンスというか嗜好を疑う(富やんの)。

小岩のキャバ嬢なんだよ。メンのヘラっぷりといい外見といい口のきき方といい。だからハサウェイが「全部この女のせいだ!」と怒るまでに悩むのが変(悩まないよねえ。捨てるよねえ気軽に)だしキルケーに祀り上げる大佐も変。キルケーどころか不用意な粋がりで政治家が死んでいる。

それに比べて冒頭のスッチーさんめちゃくちゃよかったね。大佐の言う通りメンヘラの気違い女よりふつーのひとの方がどう考えたっていい。ハサウェイが抱きとめる、そのリアルな脚の感触が俺にも伝わってきた。最高に官能的な名シーン。村瀬監督は天才だ。


2022/11/12追記: ギギがアナハイムの送り込んだ優秀なエイジェントである可能性に思い至った。プロスティチュート然とした身なり、振る舞いもメンのヘラっぷりも勘の良さも、そういう女を演じてケネス、ハサウェイの両者を油断させ誤解させる煙幕だとしたら。蠱惑し、惚れさせ、情報を引き出し、操作する。それくらい高い能力の上級スパイではないか。歳だって五歳や十歳はごまかしてる可能性がある(オープニングテーマの007オマージュがここで回収される)。

アナハイムであればハサウェイの素性も当然知っている。だってたったいまマフティーの名でガンダムを買い付けたその本人なのだから。であれば「勘の良さ」などちょっとしたトリック、最初から知ってた情報を小出しにカマをかければいい。ニュータイプという与太話の流行が勝手に彼女をその類いに仕立ててくれる。

原作小説を読めば真偽はわかるがこうして自分で勝手に想像していくのも面白い。続きのリリースが楽しみである。

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