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4月, 2013の投稿を表示しています
 一遍にとっては、生を死とひとしい価値にするため、一切を放擲した生活の風体を、一挙に実現できるかどうか、その苦行と諦念と放浪に耐えられるかどうかが、浄土へ往く問題であった。これはラジカルな行為の異様さと、非凡さの像をあたえたことはたしかだった。しかし自己偽瞞も極大化されるため、ほとんど無限な自己否定を怠れば、たちまち虚偽に転落するものであった。 『最後の親鸞』 吉本隆明、1981年。

クイックメモ。

ブルーレイやっぱええわ。14型、1366x768ノパソモニターでももう違いは明らかだわ。 もっといいモニター欲しくなるわ。クイックニングのためだけに。IPS、フルHDの。 音のダイナミックレンジ広すぎて、つまり音良すぎて視聴に難ありだけど。セリフ音量に合わせてたらフォルテッシモでエライ事なる。重低音の爆発音で近所迷惑。 あれ? 上映時は「金剛蒸発!」とかゆってなかったっけか。味方艦じゃちょっとしまんねえよなあ。普通そんな言い方しねえよ。当該官庁から要求があったのか。だとしたらダセえ。 レイヤリング。濃密な情報量。再三の視聴に耐える。というか何度でもリピートで見たくなる。習慣性視聴覚ドラッグ。 表札にNHKのシール。こういうのが、うれしいんじゃないか。 仁王立ちで股間を魅せるのがもうアスカの属性か。売りか。女王様放尿プレイか。 まさかプラグスーツガムテで補修するしかないほどヴィレ貧乏なわけじゃないよねえ。あれはそういう意匠だよねえ。でもたぶんアスカの実際の肉体損傷部分を暗示しているのだと思う、あれは。 どう考えても傑作なんだけどな。完全新作だし。なんでそんな貶める向きが多いのかな。そんなにみんな日頃もっと面白いもの見てんのかな。 フライホイールのあのバリコンみたいなギミックがいいよね。音も。「カッ。カッカッカッカ」。 釜炊きチャッカマンみたいな火入れ式も。 YAMAHA。こういう実名が、ぐっとリアリティーを盛り上げてくれるじゃないか。ヤマハ偉いな、許諾出して。ヤマハ、当然消滅してるけど。サードインパクトで。ローソンも。上島珈琲店も。 手描き作画絶対無理、のブンダー。CGアニメ前提の細密構造。 各部位がエヴァの顔だったりあのチンポ頭エヴァのちんぽ頭だったり、そういうキマイラ構造なのが面白い。 主機の起動が曇天、降雪、凍結海面を一挙に吹き払う爽快感。 赤い海と青い空。あの単純な背景が逆にいーんじゃなーい。そこがいーんじゃなーい。 エヴァのストーリーは置き換えだから、CG作画新エンジン導入に不慣れな現場の不安をそのままブンダー主機点火シークエンスにぶっこんだのかもしれない。練度の低いクルー、というのも。 俺は今回のミサトがいちばん好きだな。修羅場でわざとチャラチャラ余裕見せる調子乗りの、あの嫌な感じが完全払拭

行人、補遺。

面白いところもありました。 男子二人が落ち会う約束をした旅。あれ、実はブロークバック描写なんじゃないでしょうか。なんかいろいろ不自然というか。「なんだお前、じゃあ、山に行かないつもりか!」とか怒りだしたり。行きたきゃ一人で行けよ、と口の端から出かけた瞬間ハッ! と俺も気づいたわけです。字義通りの意味じゃないんだと。隠語なんだと。符牒だと。いや、実際山には登るんだろうけど、プラスまあそういうことなわけです。そう考えたほうがむしろ登場人物たちの妙な会話、感情の動きが不思議に得心できる。 落ち合う、っていうのがまたクサいわけです。はじめから二人一緒だとバレるのでわざとずらしてるというか。密会というか。 公然の秘密というか。当時の日本において同性が長期に旅行するというのはつまりそういうことなんだと。周りも知ってるんだけど「あらご旅行。フフフ。ごゆっくり」と知らないふりを装ったり。含み笑いしたり。いや、確証はないんですけど。 芭蕉とか膝栗毛の江戸の伝統が明治期になお残っているのは当然で、それが西洋文明の導入とともにタブー視されかかる端境期にある日本男児の苦悩。もしかしたら裏テーマとしてそういうものがあるんじゃないか、と。正常なのは男女の愛、それ以外は異常、という輸入倫理と日本の古層、その狭間で苦しむ近代知識人の姿、と捉えると、作品理解に補助線が引けるわけです。 友人との旅で始まった物語が、最後は兄とその友人との旅で締めくくられるのもその傍証ではないでしょうか。どちらも男同士水入らずの旅。 既に石原豪人氏によって「坊っちゃんはホモ小説だ!」という実証研究はなされているわけです。坊っちゃん、行人のみならず、漱石作品全てをその視点から読みなおしてみるとまたいろんな発見が期待できるのではないでしょうか。 行人の感想、その1。 http://shoujinonaiie.blogspot.jp/2013/01/blog-post_24.html

アルゴ ARGO

面白かった。以下ネタバレです。 * * * よくできた脚本だな、と思って最後まで観たらどうも実話らしい。 心臓が最初から最後までバクバクしっぱなしだった。まったく、政治以上のホラーがこの世にあるであろうか。苛政は虎よりもなんとか。 金と贅沢にしか興味のない無教養丸出しのガハハオヤジ。ダーティーワークに手を染める酷薄非情な権力の犬、民衆の敵。映画プロデューサーとCIAをそのようなステレオタイプで描くことは思考停止なんですよ、ということを強力に納得させてくれる映画だった。 革命、民衆蜂起にアプリオリな善を期待する立場も。 「タコス食うか?」のシーン、上手いよね。あれひとつで野放図な浪費家でもなんでもない、大金稼いでいても自己抑制、自己管理のできる有能な人物であると伝わってくる。 作戦成功! しかしそれを誰にも自慢できない。そこにまたしかし彼ら日陰者の屈折した栄光がまぎれもなくある。誰にもわかってもらえなくても俺ァやるんだよ、という男の気概。アメリカ人にも高倉健スピリッツはあった。 イスラム団体から抗議を受けないように、という配慮も十全にめぐらされていたかもしれないが、それは脚本の魅力を損なってはいない。むしろ脚本の陰影を深める方向に役立っている。誰が悪いと簡単に指弾できるものでないことはまぎれもなく現実の反映だからだ。全員が監視者、屠殺者と化した状況は異常だが、その原因がそもそもはどこにあったか、誰がもたらしたものか。 それは石油権益のためだった。米英の権益確保のためだったろうに、長い目で見てけしてそうはなっていない。開明進歩派の政治家に民主化、近代化をまかせておけば当たり前にビジネスできる相手となっただろうに、目先の欲にくらんで奸計を弄したあげく逆に対話不能の反米国家を育て上げてしまった。フランケンシュタインを地で行くような近現代史である。 土着民衆の封建的感情に媚びて親米傀儡政権をつくる。そういう手法の破綻が目に見える映画でした。 5月27日追記:秘宝2月号見ていまごろ気付きました。俺、ずっと「トムクルーズ主演なのに抑えた使い方、凄いな」とか思ってた。

千代田区 秋葉原駅のミルクスタンド

ちゃんと名前があるんだ。「酪 milk shop Luck」。 コロッケパンとコーヒー牛乳を食す。計200円也。 今日は暑いから冷ヤだ。ここはコーヒー牛乳の熱燗がまた美味い。 うん。たしかに。ソースって、男の子の味だよな。 秋葉原でゴローさんは万世のカツサンドを食べたけど、夕食前にあれは値段もボリュームも重すぎる。俺はコロッケパンぐらいが軽くてちょうどいいですよ。 ここのイチオシメニューは魚ソのソースかつパンなんだけど、最近見ないなあ。人気だからさっさと売れちまうのか、それとも売れないのでラインナップから外れてしまったか。 ソースカツの具は魚肉ソーセージがいちばんうまいと俺は思うのだけれど。本格ボロニャソーセージ、とかよりも。

千代田区 秋葉原駅のスターバックス

ホームを降りるたびあの矩形の窓から覗く店内。いつか入ろう入ろうと思っていたんだ。せっがく花の東京さいんだから、オラもあの知的ハイセンス空間さ味わっでみでえ。 しがしたまに入ろうとすっと「席はもう取ってありますか」とか訊かれんだ。取るはずねえだろ。荷物置いとけとでも言うのか。取られたらお前ら責任取んのか。 きのうようやっと入った。 広大な空間、とか勝手に想像していたが、狭くはないものの微妙に小柄な店内であった。 換気ダクトも空調もあるのになぜか圧迫するような密閉感、空気の淀みを感じる。 見回した範囲にノートPC6台。うち3台がMBA。噂通りだ。 しかし彼らのために弁ずるならば、別にドヤリングではないのである。 軽さと薄さ。視認性の良さ。可搬性の高いテキストライター、ワークステーションとしてMBAが合理解であるというだけのことなのだと思う。 ウィンテル陣営も対抗馬として急遽ウルトラブックカテゴリーを作ったが、しかし。アスースやエイサーの模倣商品は「鉄工所の端材を丁番で綴じ合わせたなんかの道具(ちりとりとか)」にしか見えない。昔のコンポじゃあるまいし、いまの時代、ヘアライン加工はむしろアルミ素材の安っぽさを際立たせる効果しか持たない。コピーキャット商品であるにも関わらずアップルの訴追を余裕で免れる仕上がりであります。 「ソッチみたいに偏差値高い学校じゃなかったから。42くらいだから。でもね、中学んときは生徒会副会長とかやったんだよ。国語も百点とったことあるし」 バロック流れる店内に卑下と自慢のアマルガムが響く。メンヘラ女子の声高な独白をうんうんとうなづきながら聞いている青年。自殺防止、ひきこもり支援のNPOボランティアだろうか。ここでやんなよ。おまえらの事務所でやれよ。 あるいはあれか。君の悩み全部聞いてあげる、と優しさを示した上でマルチ、宗教に勧誘のパターンか。だとしたらいま犯罪の現場に俺立ち会ってる。 止む気配なきバカ女の独白にいたたまれなくなって店を出た。憧れの秋葉原駅スタバ。10分もいなかったなあ。 やっぱ俺にお似合いなのは200円コーヒーのヴェローチェドトールですよ。 しかしですなあ。どうなんだろ。スタバで飲み食いする連中、コスト意識としてどうなんだろ。プロテスタンティズムと資本主義の精神、からすれば

ユニクロとわたし

ユニクロ中野店の面接に行ったのはもう十年以上前のことになる。 4階のバックヤード、その店長室の壁にはなにか「死ぬ気で頑張れ」的なスローガンが書かれてあって、俺はそれを見てもうなんだか嫌になってしまったのだった。なんて書いてあったんだっけ。メモにでも、日記にでもつけておけばよかった。 中野店の女性店長はさすが見る目があるのだろう、俺に「どうもさっきから、あなたには覇気というものがまったく感じられない」と喝破したのだった。それは当たっていたのである。やる気もなにもありゃあしない。ただ生きんがための応募である。一介の失業者が店員募集の店頭告知を見て、人手が欲しいのなら雇ってもらえるかもしれないとふらりと訪ねただけなのだから。 その時の俺は経済的にも急迫していたから是が非でも雇ってもらうべき状態にあったのだが、バックヤードのそのありがちな張り紙と店長の何やらカリカリとテンパッてる、初対面の応募者に対してなぜやる気を見せないかと詰問するような調子に、すっかり反抗的なモードに突入してしまったのだった。なんでお前そんなに横柄なんだよ。なにカリカリきてんだよ。気に入らねえなら雇わなきゃいいじゃん。人手が欲しいって書いてあっから来てやったんだぜ。そんな態度にこっちも開き直ってしまったのだった。急迫の度合いが過ぎて失業者やけっぱちになる、の図である。 まあ当然不採用であります。 いま思えば、店長は店長でテンパるべくしてテンパッていたのだろう。こんな記事 http://kirik.tea-nifty.com/diary/2013/04/post-82b2.html を読むと、10年後のいま頃「管理職が率先して追い詰められていたのだろう」と俺もようやっと彼女の気持ちを忖度できるようになった次第である。 http://www.uniqlo.com/jp/

千代田区秋葉原 てんやの天丼

500円。普通に天丼。可もなく不可もなく。 いや、いささか不満がなくもない。 ここの天丼に限らず、一般に甘い。そばもうどんも甘い。甘すぎる。 江戸時代、砂糖なんかこんなにじゃかじゃか使ってなかったはずだ。 てんやにはぜひ江戸時代の味を再現した「江戸天丼」をメニューに加えてほしいものだ。 お菓子にしろ食事にしろ、甘味を過剰に求めるのは昭和の欠食児童ババアセンスだろう。デパ地下弁当の、煮物の異常な甘さとかね。外食産業に衰退が進行しているならば、その因は自ら作り出している側面がありはしないか。 グラスビール、220円。冷温そば、うどんセットなどもあり。

「散歩もの」 原作うらばなし

 モノを作るときは、基本的には自分が好きなことを、得意なやり方でやらなければダメだと思うんだけど、ずっとやってると、好きなことに、ちょっと不得意なことが混じったほうが、自分の新しい可能性が引き出されることがある。 「かっこいいスキヤキ」のトレンチコートの男「本郷幡」もすぐ決まった。… パソコンで「絵本」「古書店」で条件検索した店に行って「あったあった」では、この喜びは味わえない。… 「♪昔ヒッピーのちラスタ 今とりあえず無農薬 ニューサイエンス 大極拳 沖縄移住考え中」 「写真をトレスしてマンガにするのは邪道」と批判する人もいるようですが、その人には「じゃあ写真を使ってこの絵を描いてみろ」と言いたい。… なんでも、印刷所の担当者が、「孤独のグルメ」の大ファンの人だったそうで、命がけでやってくれたらしい。… フランス版は絵本のように大判で、大きさが原画に近いんです。日本でも本当は大判で読んで欲しいマンガなんですけどね。文庫版の解説で言うのもなんですが。本屋の関係でなかなか出してもらえない。 …たしかガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んでいる設定にしたような気がします。…  でも井之頭五郎は飲めないけど、上野原譲治は飲める。酔って語っちゃうのはやっぱりかっこ悪いですね(笑)。… 青年誌や少年誌だったら、もしかしたら「散歩の鬼」とかそういうバカなマンガ原作にしたと思う。異常に散歩にこだわって「ゲッ! これは見せかけの散歩だ!」みたいな。… * * * 「散歩の鬼」……読みたい。  ラスタの歌、本物の悪意がこもっているなあ。久住さん、ほんとにああいうの嫌いなんだろうなあ。そして俺もその悪意を是とする。

「散歩もの」 あとがき

 主人公は、散歩を「意味無く歩くことの楽しみ」と考えている。 …なにかピンときたら下調べナシで行く。 …疲れたので中野通りに戻り、バス停を探しバスで中野に帰る。なにも散歩で、がんばることはない。  散歩の極意は、ゆっくり歩くこと。… ボクの場合、カメラを持って歩くと、無意識に「何か面白いもの無いか」と五官レーダーがよく働いてくれるようだ。 だが散歩に無駄足無し。というか、そもそも散歩は優雅な無駄足である。 * * * オリンパスの一眼を首からぶら下げたあの久住さんの姿が浮かんでくる。

「散歩もの」 久住昌之×谷口ジロー、2000~2001年。

「テレビや雑誌で見た場所へ出かけていく散歩は、散歩ではない」 「……絵=朝倉摂!?  へーえ。そんな人が描いていたのか」 「翌年俺はコネで今の会社にもぐり込んだ」 「そういうの俺は違うと思うな。  こういう路地はガイドなんかに頼らないで、ただ歩くのが楽しいんじゃない? ちょっと不安ぐらいが面白いんじゃない? 歩けば必ず面白い店やものが自分で発見できる。そんな路地ですよ。  というか、散歩って観光とは違う。目的なんて持たず自分の好きなようにのんびり歩けることの喜びです」 「え、川上宗薫!?」 「ソレハ『死にたくない!』トイウ作品デス」 「彼ガ思イ描ク生キル姿トイウノハ、体ノドコモ痛クナクテ、家ノ近所ヲ奥サント散歩スル図ダッタ。  ソノ散歩サエデキレバ、モウソレ以上ノ望ミハナカッタ。  彼ハトテモ、トッテモ散歩ガシタカッタ」 * * * 「でもこういう小さいお店大好き!」。殺したくなる無邪気女子、変わったお店めぐり女子を粉砕してくれるシークエンスが本作の白眉。 主人公上野原の奥さん、美人で巨乳なのがなんともリアルに妬ましい……。 谷口画伯の超絶画業、やはり文庫サイズではもったいない。もったいなさ過ぎる。 しかし出るかもわからぬ特装版をいつまでも待ってるわけにはいかない。押さえておかざるをえなかったのだ。

6 眠狂四郎魔性剣

「俺が一両で買ったのはそなたの身の上話だ。そのからだに一両の値打ちはない」 「禄米にかじりつく武士の愚かさ。それも長いことはなさそうだ」 「鶴松、見ておけ。これが武士というものの姿だ。この殺し合いが」 「武士の意地。忠節。虚しいことだ」 「拙者はそれだけで生きてきた。どうしてもおぬしを斬る!」 脚本、星川清司。 音楽、斉藤一郎。 監督、安田公義。 公開、1965年5月1日。
どこまでも続けるらしい。しゃぶり尽くすらしい。「花は咲く」商法。 アニメまで作りやがった。どうしてこう「ひとの優しさを描いた」とか言葉で説明できてしまう情緒的に安直なものが好きなのか。こういう「みつを」的なものに対する抵抗、疑問、反発という感情が皆無なのか。つまりはつくりものの人間が増えているのか。
今日の秋葉原はいつにもましておまわりさんがようけ出張っていた。なんか事件でもあったのだろうか。 それともあれか。入学式、入社式の季節、その幸運に与れなかったささくれた気持ちのひとがやけになってなんか起こすんじゃないか、そういう奴は特にこの秋葉原にいまようけウヨウヨしておるんじゃないか、とかいう分析に基づく予防的警戒措置であろうか。 もしそうだとして、それはあながち見当違いの警戒ではないかもしれない。 「4月4日午後4時に秋葉原で」とかいう書き込みでもあったのかもしれない。 いや。これは。あれだな。春休みだからだ。補導だ。

千代田区秋葉原 吉野家の焼鳥つくね丼

第1話 で焼き鳥を食ったゴローさん、白い飯への激しい飢渇に襲われるのだが、そのゴローさんの願いを叶えたようなどんぶりが、これだ。 焼き鳥。つくね。刻みねぎ。 これに、七味を振って。 うん。焼き鳥。この香ばしい焼き具合い。ごはんのおかずにピッタリだ。 刻み海苔の香りがまた、うれしいじゃないか。 めしに染みたこのたれは……そうだ。うな丼のたれと同じ。ちょっとした土用の丑の日気分だ。土用も、丑の日も、意味知らないけど。 380円。うまい。そして、安い。