きのうのタイムラインは概ね「説明不足」で埋まった。
確かにそうなのだが、冒頭しきりに自己同一性、見当識の確認を慎重に進めていた描写を見るに、「この碇シンジを自称する人の形をした生物について確かに碇シンジ本人であるという確信を容易には持てない」状況にあったことは斟酌してあげてもいいのだろうと思う。
碇シンジの形をしたネルフの密偵やら使徒やらの可能性を排除できないのであれば、事実経過なりヴィレの方針なりを正直に話すことは当然しにくい。だから、しばらく首実検をして、「まあ本人に間違いなかろう」という感触を得てからおいおい、という心づもりはあったのだろうと思う。ミサトにも、リツコにも。
何が人か、理詰めで定義を始めればそれは隘路に陥っていくが、現物を見れば論理の定義など吹き飛んで一瞬にしてひとはそれをヒトと知覚する。考えてみればこれは不思議で、ヒトをヒトと認知するプロセスは神秘主義に隣接している。
人の形をしたひとを見てもそれをひとと素直に受け取るわけにはいかないネオンジェネシスは科学が発達し過ぎた未来とも見えるし、また、明白にひとであるものを人外に分類、迫害した中世期と同じ世界、とも見える。
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