スキップしてメイン コンテンツに移動

進撃の巨人(34 最終巻)

 

やっと完結した。

NHKのインタビュー(二年くらい前のだったか。先般再放送してたけど)で諫山創氏が語っていたそのことが実に腑に落ちる結末だった。曰く、社会、天下国家、そういうことじゃなく、実は自分のパーソナルな問題意識を作品に込めたのだと。

これあれだね、九州男児の話だったんだね。

ワイフビーターの苛烈な暴力に、それでも母よなぜあなたは耐えるのですか、と。

諫山の家がそうだったかは知らない。たぶん違うだろう(村ではむしろ珍しい知的な家庭ならではの相克はグリシャとジークのそれに投影されているかもしれない)。しかし、壁のような山々に囲まれた大分の集落で九州男児の気風と無縁に彼が過ごせたはずはない。

なぜ? と少年諫山は、青年諫山は、アルミンよろしくその心に刺さる棘を見つめ続け、意外な回答を得たのだろう。

不合理、因習、苛烈な差別を支えるその根本には愛がある。「女は黙っとれ!」と声を荒げ拳を振り下ろす逞しいワイフビーターに、母は心底惚れているのだ。


俺が感じた最終巻いちばんの魅力。やはり最後もこれで締めてきた。アルミンの得意技、ダイハードイズムだね。「考えろ、考えるんだ。考えることをやめるな!」。絶体絶命の、勝てっこない絶望状況、圧倒的な暴力にアルミンは徒手空拳、ただただ思考それのみで立ち向かう。

「道」で交わされるジークとの対話は究極の思想戦だ。人生とは何か? 生きる目的とは何か? この戦いでジークは考えを改める。確かに最後は死だ。どうせ最後はみんな死ぬ。だが、それがなんだと?

クルーガーが、グリシャが、クサヴァーさんが、叛逆の巨人と化して加勢する件りは感動的。そのあとまさかの展開で「諫山さんどこまで意地悪なんだ! ハッピーエンドでもいいじゃないか!」と驚愕落胆しかけたがここでまた二転三転。物語は一応の大団円を迎えて俺は一安心した。

最後の最後にしかし一抹の毒は撒かれたけれども。


思ったとおりおまけ漫画スクールカーストは本編と地続きだったんだね(第30巻、エレンが首ふっ飛ばされて過去と未来が宙に舞う見開き頁左上に小さくゴスミカサ、下衆アルミンが登場している)。

空爆はこの映画館を出た直後の、ややこそばゆい幸せに包まれている三人をまさに襲ったのかもしれない。

ラストの少年は空爆の被害者、生き残りであり、デルタ型のその空爆機を差し向けた大陸の連中に復讐の炎を燃やしていると見るのが順当だろう。彼はユグドラシルのウロの中にあるものを知っている。そこにはまたあいつが、カンブリア大爆発の奇妙な生き残りがいるはずだ。

世界から消えたはずの巨人は復活し少年は世界に牙を剥く。その時三人は空襲を辛くも生き延びたとしたら、こんどはどう動くのだろうか。「進撃の巨人」という、史実をもとにした映画を観た(ゴスロリヴィレヴァンミカサは感動し下衆アルミンはやや不満で普通人エレンは格別の感想なし)三人は巨人に協力、賛成するのか。果たして。そんな想像まで無限に羽ばたかせてくれる。

諫山先生、最後の最後まで楽しませてくれてありがとう。連載本当にお疲れ様。


コメント

このブログの人気の投稿

インテルグラフィックスの設定で動画の白っぽさを解消する(白っぽさシリーズ、その3 たぶん完結篇)

 タイトル通りです。  なにげにね、ほんとなにげに、さしたる予感、確信もないままインテルグラフィックスなにげにいじってみたの。そしたら、この間(かん)の懸案が一瞬で解消してしまった。   HDMIさん 、 サイバーリンクPowerDVDさん 、いわれなき嫌疑をかけていままで悪し様に罵ってすいませんでした。  悪いのはわたしの無知でした。  動画の白っぽさを、なくす。  グラフィックスビデオ設定のコントラスト自動調整を、オフればいい。  後出しジャンケンだけど、答えが出てしまえば「なーんだ」、だよね。  確かにそうだ。明暗の自動調整にノイローゼなってんなら、それ切ればいい。  いやもう、白っぽくて白っぽくて(露出不足でラボから上がってきた昔の印画紙みたい)、また瞬間瞬間に不自然に画面の明るさがディジタリーに、階段状に変わる、明らかにおかしい感じの動画、一瞬で正常化してしまったよ。 「あらこの場面ちょっと暗いわね、こんなんじゃなにがなんだかよくわかんないでしょヨッちゃん。おばちゃんがいまここちょっと明るくしたげるからね」って、パソコンの中のおばちゃんがいままで世話焼いてくれてたんだよね。  僕はおばちゃんに暇を出すことにしました。  俺ヨッちゃんじゃないし。  ノートパソコンの設定としてはデフォルトがそれっての、たぶん正解なのかもしれないね。映像ソースの再現忠実度よりも視認性。  外付けモニターの購入で小さい画面では全然わかんなかった、気にもならなかったことが見えてきた。一挙にアラが見えるようになってしまった。デカい画面という、そういう「量」が「質」のこと炙りだすのってなんかこうあれだよね、示唆するものがある。  この間の死闘、暗闘は消耗したがしかしまたその分得ることも実に多かった。いままでそこらへんの知識まるでなしにパソコンで動画見てたんだよね。実に十年間くらいはおかしな設定の変な色、明るさのままで。「きったねえなあ」ってぶつぶつ文句言いながら。  グラフィックスのビデオ、調整できるパラメーターは他にもあるので、まだまだ勉強すべきこと、更なる発見、正解があるはずである。しかし、懸案の巨大な山はひとまず乗り越えたんだと思う。  しばらくは精神の安定を取り戻せそうで一安心である。 * * * ...

「星を追う子ども」の感想

 いまから「星を追う子ども」という作品の悪口を言います。星を追う子どもという作品で涙を流した方、新海誠ファンの方は読まないほうがいいと思います。以上、配慮でした。  いやあ、ひどいね。ひどすぎるね。なんだろうこれ。  何を考えているんだろう。  もうね、10分が限界だよ。観るの。通して観るの。だからちびちびちびちび観たよ。何ヶ月もかかって。そんないやなら観なきゃいいじゃんだけど観たよ。  おそろしく長い悪口になると思うので最初にサマリーだけ、見出しだけ列挙しておく。  宮崎駿オマージュ、キャラクターデザイン、頭でっかち、5秒ごとに「はっ!」。マイケルベイ方式。音楽盛り上げ。長い。無駄に長い。新興宗教? 金どっから出てるのよ。新任の先生は特務機関員、と思ったら実はアガルタ研究者で元軍人で奥さんを蘇らせようとしているのだった! 厨二女子の妄想。  オマージュという言葉を最初に知り、かつそういう言葉で修飾することに何の意味があるのか? と初手から疑問を抱くきっかけになったのはデパルマのアンタッチャブルだった。既にポチョムキンを複数回見ていた俺にとって、デパルマが乳母車を階段に転がすことが引用行為であることは理解したが、なぜそれがこの映画のあの場面において引用されなければならないか、また、なぜそれが「オマージュ」と特別に横文字で呼称され、「な、これ、エイゼンシュテインへのオマージュなんだぜ。すごいだろう」と、それこそ敬意を強要されなければならないのかがさっぱりわからなかったのだった。それはいまでもわからない。  その愚行を更に低レベルでこれでもかこれでもかとリプレイしてくれたのが本作「星を追う子ども」である。  しかしどうなんだろう。宮崎駿、試写会招待あったんだろうか。これはさすがに本人も、惣流アスカラングレー同様「ぎぼぢわるい」とうめくしかなかったのではないだろうか。  もう最初から、5分と見続けることが苦痛になってしまったのだが、その原因は複数あって、まずはキャラクター造形、キャラクターデザインにある。  主人公の女の子、全然萌えない。頭でっかち、間抜けの小足で、なんだか体型のバランスが変なのだ。サザエさんみたい。それでいて顔だけはナウシカ、さつき、キキ。  パンチラを期待させるサービスカットが豊富だが、「こいつの見えても別に……」な気...

動画が白っぽく見える問題とPowerDVD(白っぽいシリーズ、その2 暗闘地獄篇)

※以下の記事には依然勘違い、誤り、錯誤が含まれています。陥りやすい迷妄のひとつとして残しますので、同病罹患の方のご参考にご笑覧ください。ではどうぞ。(迷妄を脱した最終解決篇は こちら )    *  *  *  今日PC上の動画再生について飛躍的な発見があった。いや、俺の中でね。  動画が白っぽく見えて見えて違和感があってしょうがないの、よーやっともうひとつの巨大な原因が判明したよ。  判明してたひとつは HDMI&グラフィック設定の問題 だけど、たぶん今回の発見こそが動画白くなる原因の殆どを占めていた感触。ごめんね、HDMI。いままで過剰に憎んでいて。  PowerDVD様がさ、リアルタイムに明度とかなんとか自動補正してくださってたの! 道理で締まった黒であるはずの場面が白っちゃけちゃうはずだよ!  なにげに今日初めて、VLCメディアプレイヤーで動画再生してみたの。そしたらもう全然違う。霧が晴れたよう。すべての原因がわかったのと併せて本当の意味で霧が晴れた。  暗い場面はちゃんと暗く。  それをさ、PowerDVD様はさ、ご丁寧に「どうだ明るくなっただろう」ってお札に火ィ点けたんかなんか知らんけどいちいちいちいち画面調整してくれてたってわけさ。おかげでずーっと動画には一枚紗がかかってるというさ。  ならVLC常用すればいいじゃん、って話なんだけど、先般クラッシュしたままでもう使用できない。安定度に欠けるしやはり使い勝手が悪い。  まだ何がどうなってんのか正確に把握している自信もないからなんもかんもパワーDVDさんにおっ被せるのもフェアでないし。  PowerDVDの設定画面、映像処理、味付けの選択肢がなまじ多いんで俺にはお手上げだよ。  明らかにプログレッシブであるソースにデインターレースを掛けるのって意味あんのか。むしろオフった方がいいのか。オフるべきなのか。  ハードウェア動画再生支援ってどういう支援をしているのか。画質、明度の修正までおせっかいに踏み込んでいるものなのか(どうもそんな感じっぽい)。  すべての補正、修正をオフってソースそのまま、生(き)のまま観るにはどう設定すればいいのか。  そういう諸々がまるで判断がつかないし、ググればむしろ真偽不明の怪しげな超理論にぶつかったりして解決から遠のく...